�~日本磐余彦天皇　　�~武天皇 戊午年夏五月（BC663.05.08） 戊午年夏六月（BC663.06.23）　≫≫ 戊午年秋八月（BC663.08.02）　≫≫ 戊午年秋九月（BC663.09.05）　≫≫ .	事績一覧　∋ 古事記　≫≫ 　神武天皇　東征（つづき） 所見1　≫≫ 所見2　≫≫ 所見3　≫≫ .
(岩波文庫　日本書紀　坂本太郎･家永三郎･井上光禎･大野晋　校注　を読む。) 本文に使用した漢字テキストについては古代史獺祭からダウンロードさせていただいている。 �~日本磐余彦天皇　　�~武天皇 五月丙寅朔癸酉　軍至茅渟山城水門　【亦名山井水門　茅渟　此云智怒】時五瀬命矢瘡痛甚　乃撫劒而雄誥之曰　【撫劒　此云都盧耆能多伽彌屠利辭魔屢】慨哉　大丈夫　【慨哉　此云宇黎多棄伽夜】　被傷於虜手　將不報而死耶　時人因號其處　曰雄水門　進到于紀國竈山　而五瀬命薨于軍　因葬竈山 五月（さつき）の丙寅（ひのえとら）の朔（ついたち）癸酉（みずのとのとりのひ；8日）（BC663.05.08）に、軍（みいくさ）、茅渟（ちぬ）の山城水門（やまきのみなと）【亦の名は山井水門（やまのゐのみなと）。茅渟、此をば智怒（ちぬ）と云ふ】に至る。時に、五瀬命（いつせのみこと）の矢（いたやぐし）の瘡（きず）痛（いた）みますこと甚（はなはだ）し。乃ち撫剣（つるぎのたかみとりしば）りて雄誥（をたけび）して曰（のたま）はく、【撫剣、此をば都盧耆能多伽彌屠利辭魔屢（つるぎのたかみとりしばる）と云ふ】「慨哉（うれたきかや）、大丈夫（ますらを）にして、【慨哉、此をば宇黎多棄伽夜（うれたきかや）と云ふ】　虜（いやしきやつこ）が手を被傷（お）ひて、報（むく）いずしてや死（や）みなむとよ」とのたまふ。　時人（ときのひと）、因りて其の処（ところ）を号（なづく）けて、雄水門（をのみなと）と曰ふ。進みて紀国（きのくに）の竈山（かまやま）に到りて、五瀬命、軍に薨（かむさ）りましぬ。因りて竈山に葬（はぶ）りまつる。 茅渟については血沼・千沼・千渟・智努・・・とされるが、茅は”かや”渟は水の流れがとどまっていることであり、葦原といふ説をとりたい（茅渟考；日本古代史とアイヌ語）。川の水が流れ込み、穏やかで船を停泊させやすく、背後に山があり、大軍に攻め込まれる恐れがない場所であらう。矢傷を癒すために上陸できる地点とみたい。男里川流域の男神社あたりに伝承がある。「この地は九州から古墳用の石材を運びストックする所であった。」（男神社；神奈備）とあり、後には大きな船が停泊できるような良港となったやうである。しかし、いきなり山城水門では遠すぎる。引用をさせていただいている神奈備の神武東征　日向から熊野へによれば、和泉日根に立ち寄ったという伝承がある。和泉山脈から大阪湾に流れ込む諸々の川が作り出す葦原、茅渟があちこちに広がっていた海辺ではなからうか。 ”つるぎのたかみとりしばる”は剣の手上（柄）を取り握ること。撫は威霊の力によって安撫、撫循をなすこと、もとは、魂振り、魂鎮め的な意味の行為（字統）。”うれたし”慨は、心（うら）痛（いた）し、いまいましいこと。虜をここでは、”いやしきやつこ”と訓じている。男として、これに報いずして死ねようか！！！と傷をものともせず、雄叫んだ。雄水門とは雄誥水門のことである。 草香津、盾津から追い落とされ紀伊に向かった軍の士気が高からうはずがない。それを深手を負った五瀬命がなんとか振り払おうと撫剣、雄誥を行のふ。しかしながら、紀国の竈山に至るも息絶え、竈山に葬られる（竈山神社；神奈備）。 このあたりは、名草郡。素戔嗚尊の子の五十猛神所縁の地であった。素戔嗚尊の曰はく、「韓郷の嶋には、是金銀有り。若使吾が児の所御す国に、浮宝（船）有らずは、未だ佳からじ」とのたまひて、乃ち鬚髯を抜きて散つ。即ち杉に成る。又、胸の毛を抜き散つ。是檜に成る。尻の毛は、是�艪ﾉ成る。眉の毛は是櫲樟に成る。已にして其の用ゐるべきものを定む。乃ち称して曰はく、「杉及び櫲樟、此の両の樹は、以て浮宝とすべし。檜は瑞宮を為る材にすべし。�艪ﾍ可以て顕見蒼生の奧津棄戸に将ち臥さむ具にすべし。夫の噉ふべき八十木種、皆能く播し生う」とのたまふ。船や宮を建造する、また、棺椁の用材となる木々は素戔嗚尊によりもたらされた。また、素戔嗚尊の子を、号けて五十猛命と曰す。妹大屋津姬命。　次に柧津姬命。凡て此の三神、亦能く木種く分布す。即ち紀伊国に渡し奉る。その三子が種を採り、苗を作り、植林し、紀伊国名草郡の郷名の津麻神戸に柧津姫命、大屋に大屋津姫命が祭られることになった。驚いたことに、植物学者宮脇昭氏（基調講演；長野県自然保護研究所長）によれば、古代（素戔嗚尊の植林以前となろうか）の日本の植生は平成の世に見られるものとは全く異なっていたという。常緑広葉樹林、落葉広葉樹林がほとんどを占めていた（日本の植生；東北大学植物園）そうである。稲作の伝来同様、杉や檜、�范ﾞの伝来、植林が日本の山野の姿を大きく変へたことになる。国家を運営するためには必須の用材である。それ故に、その恩沢を授かった人々の素戔嗚尊とその三子に対する崇敬の念は、平成の世の人間が想像するよりはるかに高かった。紀の川流域はその典型的な場所といはねばならない。 皇帥は、もし、この地にうまく駐留できれば、吉備でそうであったごとく、船舶の補修や建造、食糧や兵員や武器の調達が可能であり、紀の川上に呼応する族があれば、奈良盆地への南からの侵入が可能となる。南なら太陽に向かふこともない。 六月乙未朔丁巳　軍至名草邑　則誅名草戸畔者　【戸畔　此云妬鼙】 六月（みなづき）の乙未（きのとのひつじ）の朔丁巳（ひのとのみのひ；23日）（BC663.06.23）　軍（みいくさ）、名草邑（なくさのむら）に至る。則ち名草戸畔（なくさとべ）といふ者を誅（ころ）す。　【戸畔、此をば妬鼙（とべ）と云ふ】 注に、”とべ”の”べ”は”め”女の音転で戸畔は戸女、一家の老主婦。”とじ”が戸主の約転。紀伊国神名帳に、従四位上名草姫大神・従四位上名草比古神が見え、紀伊続風土記は名草郡安原村（今、和歌山市吉原）にあった中言大明神社をそれにあてる。通釈の引いた或人の説では、名草戸畔はこの名草姫かとある、としている。名草姫の祭られている神社に日前国懸神宮（神奈備）がある。石凝姥命の造った鏡（日前神）の伝承の地でもある。また、竈山神社にも祭られ、広範囲で祭られていることが気になる（名草戸畔を祀る神社；神奈備）。一書によれば、石凝姥（いしこりどめ）は冶工であり金属を扱い、矛や鏡を作っていた。鹿の皮を剥ぐことも、”ふいご”を扱ふこともできた。鉱山資源の開発、皮革の利用、炉の使用が行なはれ、祭祀用具が生産されていた、あるいは、後に行なはれることになったことを物語る。”どめ”を老女としているが上の音転によれば、戸畔ともいへる。植林の女神、冶工の女神を長とする族がある境界のなかに住む広がりのある紀伊の地である。 雄叫ぶ五瀬命の死は守護神の如何なる意志をしめすものであったのか？磐余彦尊の神は饒速日尊の神に劣るのではないか？皇帥の軍の士気の低下はもとより、紀の国の族にも疑念を抱かせるものとなる。山城水門、竈山到着時には戦闘の形跡はみられない。皇帥にあへて敵対行動をとってはいなかった。五瀬命の死はこの状況に変化を与へた。葬ってから一月半何をしていたのであらうか？名草邑は竈山と同地域である。陣を戦闘体制にすれば目前が名草邑である。 紀の川沿いの族は皇帥に協力しなかった。といふより、素戔嗚尊とその三子を崇敬する彼等は、磐余彦尊が素戔嗚尊を追放した側の子孫であることが判明すれば、遠い昔のこととはいへ、心理的には、追い払いたくなって不思議はない。そこに、磐余彦尊の兄、五瀬命の死である。戦いの正統性に疑念をいだかせた。協力を得て紀の川沿いに奈良盆地に向かふどころではない。 時は六月、梅雨に入り紀の川の水量が増し始める。降り続く雨は、うっとおしいものである。地の利のない皇帥の駐留地が水についたやもしれぬ。地元民といざこざが生じ、結局駐留していた地、名草戸畔なる者を誅す事態が起こる。戸とは地勢的に出入り口となっている所、区画相互を遮断している所（字訓）、畔とは、田の界、叛と通用して畔逆（叛逆）とも用いる（字統）。誅は討つこと。皇帥に刃向ってくる者を誅すといふ表現となっているが、「頭、胴、足と切り離された名草戸畔の遺体」（名草戸畔を祀る神社；神奈備）といふ伝承によれば惨殺であり、この事件により、皇帥は名草邑からの撤退を余儀なくされた。全面的な戦闘といふよりは、偶発的、挑発的な大事件となった不孝な出来事であったらう。結局、おられなくなった、とみる。 遂越狹野　而到熊野�~邑　且登天磐盾　仍引軍漸進　海中卒遇暴風　皇舟漂蕩　時稻飯命乃歎曰　嗟乎　吾祖則天�~母則海�~　如何厄我於陸　復厄我於海乎　言訖　乃拔劒入海　化爲鋤持�~　三毛入野命　亦恨之曰　我母及姨並是海�~　何爲起波瀾　以灌溺乎　則蹈浪秀　而往乎常世郷矣　 遂（つひ）に狹野（さの）を越えて、熊野（くまの）の神邑（みわのむら）に到（いた）り、且（すなは）ち天磐盾（あまのいはたて）に登る。仍（よ）りて軍（いくさ）を引（ひ）きて漸（やうやく）に進む。海（わた）の中にして卒（にはか）に暴風（あからしまかぜ）に遇（あ）ひぬ。皇舟（みふね）漂蕩（ただよ）ふ。時に稲飯命（いなひのみこと）、乃（すなは）ち歎（なげ）き曰（のたま）はく、「嗟乎（ああ）、吾（あ）が祖（みおや）は天神（あまつかみ）、母（いろは）は海神（わたつみ）なり。如何（いかに）ぞ我（われ）を陸（くが）に厄（たしな）め、復（また）我を海（わた）に厄むや」とのたまふ。言（のたま）ひ訖（をは）りて、乃ち剣を（つるぎ）抜（ぬ）きて海（うみ）に入りて、鋤持神（さひもちのかみ）と化爲（な）る。三毛入野命（みけいりののみこと）、亦（また）恨（うら）みて曰（のたま）はく、「我が母（いろは）及び姨（をば）は、並（ならび）に是（これ）海神（わたつみ）なり。何爲（いかに）ぞ波瀾（なみ）を起（た）てて、灌溺（おぼほ）すぞや」とのたまひて、則ち浪（なみ）の秀（すゑ）を蹈（ふ）みて、常世郷（とこよのくに）に往（い）でましぬ。　 磐余彦尊は狹野尊と云った。注に、狹野は新宮市佐野、万葉の「神之碕狹野乃渡」とある。 熊野の神邑とは熊野の神々の邑。熊野速玉大社は、「早玉（速玉）・結（夫須美）、家津美御子命を二社殿に奉斎したのがはじまりで、速玉は伊弉諾尊の映え輝く神霊を称えた御名、また夫須美は産霊の神、すなわぢ万物を育成し給う広大な御神徳を称えた御名で、伊弉册命尊の別名といわれるところから、二神を御夫婦神として一社に、もう一社に家津美御子神をお祀り申し上げたものでしょう。」また、「熊野三神は、基本的には熊野の濃い山々と山から流れ出る豊浄な水への祈念から生じた神々であり、また眼下には太平洋が広がり、太陽は海から昇り海へと沈むまさに常世への接点に祀られた神々である。これらが、淡路島や名草の海人を通じて国生みの伝承ともつながり、伊弉諾尊、伊弉冉尊にも付会され、また木種を播いたと伝わる素盞嗚尊や五十猛命にもつながったのである。速玉は水の流れ、夫須美は樟の木と太陽、家津美は豊饒を表す神格ではなかろうか。また神倉の天磐楯[あまのいわたて]は伊達[いだて]につながり、五十猛命とのつながりも出てくるのである。」とある。（熊野速玉大社；神奈備）また、熊野川下流１kmに徐福伝説の蓬莱山があり、海上交通の拠点でもあった。 天磐盾は神倉神社の地であり、磐船神社のごとく巨石がご神体となっている。熊野三所大神が最初に降りたところとされ、弥生時代の銅鐸などが出土している（神倉山 祭祀遺跡；岩石祭祀学提唱地）。饒速日尊が河内国河上哮峯に降りたとき、同行していた高倉下命はこちらに降りたとされる。また、神倉山には猿田彦神社があり、瓊々杵尊を日向高千穂まで案内して伊勢に戻った猿田彦が祭られている（神倉神社；み熊野ねっと）。 神々の集まる邑、出雲のやうである。また、珍彦（椎根津彦）が菟狹への水先案内をしたとき、菟狹川上、安心院（あじむ）を訪れていた。「アジムという古語が、海人族を指す言葉で、「アド」「アズミ」等は、その転訛だそうです。そのものズバリ安心院(あじむ)や、全国に散らばる安曇・阿曇はもちろん、渥美、厚見、厚海、熱海などは、みんなそうだというから驚きました。地名をたどると、瀬戸内海を経由して、阿波、淡路、播磨、摂津、河内、近江、そして信濃と続いています。もしかして、出雲、伊豆、和泉、吾妻、東などもそうだとすると、勢力範囲はもっと広がって行く訳です」（天と海；海人の国、日本）。 ”あからさま”暴はことの急激なこと、すべてがあらはれることの両義がある暴風を”あからしまかぜ”と訓じている。突然吹く風。”たしなむ”厄は、ものに困苦すること。嗜（たしな）むは古くは”たしむ”、”たしふ”といい、もとの意味と異なる語（字訓）。鋤は、出雲国風土記に関係が深い。童女の胸のような鋤［鉏］を取って、また、伊奘奈枳乃麻奈子坐熊野加武呂乃命。與五百津鋤［鉏O］々猶所取々とある。書紀、一書に、素戔嗚尊　乃以蛇韓鋤（からさひ）之劒　斬頭斬腹。というのがあった。韓（から）から輸入した鋤から作った剣、”さひ”小刀とされる。注によれば、古代の”ひ”はpiでpとmは発音上通用し、piがmiとなるため、”さひ”は”さめ”に通じるとある。鮫は、また、鰐であるともいふ。しかし、それでは、鋤持神は鰐を持つ神、いづれにせよこの神のイメージがわかない。今は、このままにしておこう。常世郷については、其後少彦名命　行至熊野之御碕　遂適（いでます）於常世郷（とこよのくに）矣　亦曰　至淡嶋（あはのしま）　而縁（のぼる）粟莖（あはがら）者　則彈（はじく）渡而至常世郷矣があった。少彦名命が出雲の熊野の御崎で粟に弾かれて常世郷に至った。事が成就する前に、苦労をした者が去る郷、熊野がその入口とされるやうである。 この近辺には伊奘冉尊が葬られたとされる紀伊国熊野之有馬村があった。花の窟神社（み熊野ねっと）に、平成の世も、花を飾り、舞を捧げる「お綱掛け神事」という神事が行われ、祭られ続けている。火神である軻遇突智も祭られている。ここは根の国への入口と考へられてきた。顕界と幽界の境界である。素戔嗚尊　居熊成峯（くまなりのたけ）　而遂入於根國者矣という一書もあった。熊野には磐余彦尊よりはるかに古い隠然たる伝承の神々の力が働いていた。 名草での忌まはしい事件に対して、吉備へ戻ろうとする力が働いたかもしれない。これまでとは違って、太平洋の波は荒い。東に船を進めることに不安と疑念を抱くものが多からう。東に何があるかを実際に知っていたのは、海人族、珍彦（椎根津彦）の一団くらいのものであらう。そこには、聖地たる神邑があるとの話しがあった。だから、遂に狹野を越え、とは、やっとの思いで狹野を越えたことになる。天磐盾に至り、はるかなる祖先がこの地にも降りていたことを実感し、如何なる思ひにとらはれたことであらうか？紀伊半島を北上してより、うすうす気付いていたのであるが、なによりも、海から登る朝日は、日向にも劣らぬものがあった。天磐盾から改めて眺めたとき、やっと納得できたかもしれない、ここだ、これだったのだ、神邑とは。我が日向とかはらない。こんなに気持ちが晴れたことはあるまい、気を一新して、この地を汚すことなく、軍を引きて漸に進むことができた。 しかし、突如、風が皇舟を襲ふ。大阪平野が海水に浸かっていた時代であり、海水面は平成時代より随分高く、熱帯低気圧の活動は活発で、六月中旬とはいへ、台風が襲ったのであらう。台風といへば、素戔嗚尊であった。厳しい自然現象の背後には神の厳しい”はからひ”がある。磐余彦尊の守護神の威令はこの地の神々には行き届いていなかった。異郷に入ることは、異郷の神々と自らの神々との緊張関係を伴ふものであった。河内、名草における皇帥の行動に、この地の神は怒りを表していた。隼人が雄叫びをして祓えども遺憾ともならぬすざまじき怒りがあった。稲飯命が、皇帥の父方は天祖（天照大神）、皇祖（火瓊瓊杵尊）に、母方は海神に連なるものであり、その素性を明らかにして鎮まるよう語りかけるも、一向に鎮まる気配はなかった。一命をもって、鎮めるほかないと悟り、稲飯命は剣を抜いて海に入り、死して、鋤持神として風を切り裂き、路を開かむとした。三毛入野命は豊玉姫、玉依姫を奉じて波の頭を蹈み、蹈み、波を鎮め常世郷に至った。かくて、やっと風と波が鎮まった。磐余彦尊は兄三人を犠牲として大和と熊野の神に差し出す結果となった。 天皇獨與皇子手硏耳命　帥軍而進　至熊野荒坂津　【亦名丹敷浦】　因誅丹敷戸畔者　時�~吐毒氣　人物咸瘁　由是　皇軍不能復振　 天皇（すめらみこと）独（ひとはしら）、皇子（みこ）手硏耳命（たぎしみみのみこと）と、軍（みいくさ）を帥（ひき）ゐて進みて、熊野（くまの）の荒坂津（あらさかのつ）【亦の名は、丹敷浦（にしきのうら）】に至ります。因りて丹敷戸畔（にしきとべ）といふ者（もの）を誅（ころ）す。時に神（かみ）、毒気（あしきいき）を吐き、人物（ひと）咸（ことごとく）に瘁（を）えぬ。是（これ）に由（よ）りて、皇軍（みいくさ）復（また）振（おこ）ること能（あた）はず。 荒坂津については、三重県北牟婁郡錦村、三重県南牟婁郡荒坂村二木島、新宮市三輪崎、串本、那智勝浦などがあるようだが、これも頭が混乱する。丹敷戸畔の石碑が那智山へ詣でる街道の入り口、熊野三所神社にある（熊野那智大社；神奈備）。しかし、軍を帥ゐて進むのであるから那智、串本では引き反すとなる。下段の熊野高倉下が剣を見つける場所が、天磐盾とするなら、新宮市以北へ進めば、のちに引き返すことになる。文面に従ふならば、熊野高倉下と天磐盾を切り離すしかあるまい。「紀伊續風土記　巻之九十　牟婁郡第二十二　曽根荘から 」に「當荘より以東の諸荘は上世丹敷戸畔の領せし地にして所謂荒坂の津といふ　荒坂は當荘二木島より曽根浦に越ゆる今の曽根次郎曽根太郎といふ峻坂をいふらむ 丹敷は今長島郷錦浦あり　丹敷はその邊の大名にして丹敷戸畔。神武帝の御軍を防んとて此地に來りて此あら坂の邊にて帝の為に誅せられし處成るへし。 」（熊野三所大神社；神奈備）丹敷浦、荒坂津は、三重県南牟婁郡荒坂村二木島（熊野市甫母町二木島湾）の説をとりたい。「室古神社というのは、ここに漂着した稲飯命を祀った神社とされ、三毛入野命の遺骸は見つからなかったが、阿古師神社に祀ったとされる」。「このとき二木島の里人は、難破した神武たちを必死で助けた。その事を伝える関船競漕という神事を今に伝える」。「多くの舟を失っては、もはや海路東に進むことは不可能である。やむなく山深い熊野山中を突破することになる」（熊野、荒坂の津（丹敷の浦）での難破；大和王権成立の時）。 瘁は、注に、広韻に「病也」とあり、また、やつれること。”をえ”は力を失い気力を失ふこととある。 失ったのは、稲飯命と三毛入野命の二人のみではなかった。”こっぱみじん”、航行不能といったほうが手っ取り早い。守護神の戦いにおける手ひどい敗戦でもあった。しかし、ここに、皇帥を救出する者が現はれた。火明命の血をひくものであらうか。救出されたとはいへ、呆然自失、もはや、引き返すにも進むにも十分な船がない。しぶとい磐余彦尊である。磐余彦尊と手硏耳命は、それでも、この助けを得て、やっと軍を立て直すことができ、陸路で中洲（なかつくに；奈良盆地）を目指すことになった。そして、熊野の荒坂津で、丹敷戸畔者を誅す。名草戸畔の場合と同じく、鬱積した疑念や憤懣がほとばしり惨殺に及んだのであらう。それがまた、土地の神の怒りを招く。 戸畔者は先にみたように、境界にあって叛（畔）逆する者であった。丹敷”にしき”の敷は”ふ”であり、”にふ”丹生となり、「紀の国の大神である丹生都比売神が浮かび上がってきます。即ち、持てる情報からは、丹生都比売神は丹敷戸畔の神格化されたものか、丹敷戸畔の守護神であったと考えることができます。 丹生都比売神は水銀（丹沙）や銅採取の古い鉱山神と理解でき、丹敷戸畔が殺された後で、「時に神、毒気を吐きて」と記されているように、水銀や銅の製錬時のガスの発生を思わせる毒気で以て、神武軍に祟りをなしていることからも用意(容易)に推測できます」（熊野那智大社；神奈備）。また、同神奈備の丹生の民俗に関する考察において指摘されているのであるが、丹は朱であり、「血の色でもある朱、これは、活力と蘇生、死との対決、死霊封じ、太古の人々は朱を呪術具としたのである」。そして、朱は、「天然の赤鉄鉱を砕いた鉄丹（ベンガラ）は縄文早期、同じく辰砂を砕いて得る水銀朱、他に鉛丹等が主な原料である。辰砂は硫化水銀である。常温で液体の水銀は、天然に存在するが、多くは辰砂を製錬して入手する。」もので、「辰砂の採取を司る丹生氏は、水銀製錬・鍍金の技術を持っていなかった。この技術を持ち込んできたのは秦氏である。辰砂と水銀の利用の主役は秦氏に移り、丹生氏は丹生都比売を祭祀する神官となった。秦氏もまた、丹生の地名、丹生神社の鎮座地に多く分布している。７世紀後半の記紀が編纂される頃には、丹生氏の影は薄くなっており、記記には丹生都比売神は登場していません」とある。更に、丹生都比売神は、「紀ノ川下流域では土地の祭祀を司る名草比売のもとに御子である 名草比古命 を婿養子に入れ、紀ノ川の守りを固めた」とあり、名草戸畔と丹敷戸畔は同族といふ。されば、”時に神、毒氣を吐き”の神は丹生都比売神となろうか。人と物、ことごとく力も気力も失った。 皇軍不能復振は、もはやどうすることも出来ぬ状態と読むべきであらう。士気をとり戻す術が皇帥にあろうか？隼人の雄叫びも通じない相手、奇蹟でも起こらぬ限り、意志の強靭な磐余彦尊の皇帥といえども万事窮すであらう。 時彼處有人　號曰熊野高倉下　忽夜夢　天照大�~　謂武甕雷�~曰　夫葦原中國猶聞喧擾之響焉　【聞喧擾之響焉　此云左揶霓利奈離】宜汝更往而征之　武甕雷�~對曰　雖予不行　而下予平國之劒　則國將自平矣　天照大�~曰　諾　【諾　此云宇毎那利】　時武甕雷�~　登謂高倉曰　予劒號曰韴靈　【韴靈　此云赴屠能瀰哆磨】今當置汝庫裏　宜取而獻之天孫　高倉曰唯々而寤之　明旦　依夢中�ﾍ　開庫視之　果有落劒　倒立於庫（くら）底板　卽取以進之　于時　天皇適寐　忽然而寤之曰　予何長眠若此乎　尋而中毒士卒　悉復醒起　旣而皇師　欲趣中洲　 時に彼処（そこ）に人有り、号（な）を熊野の高倉下（たかくらじ）と曰（い）ふ。忽（たちまちに）に夜（よる）夢（ゆめ）みらく。天照大神（あまてらすおほみかみ）、武甕雷神（たけみかづちのかみ）に謂（かた）りて曰（のたま）はく、「夫（そ）れ葦原中国（あいしゃらのなかつくに）は猶（なほ）、聞喧擾之響焉（さやけりなり）【聞喧擾之響焉　此をば左揶霓利奈離と（さやけりなり）と云ふ】。汝（いまし）更（また）往（ゆ）きて征（う）て」とのたまふ。武甕雷神、対（こた）へて曰（まう）さく、「予（やつこ）行（まか）らずと雖（いふと）も、予が国を平（む）けし剣（つるぎ）を下（くだ）さば、国自（おの）づからに平（む）けなむ」とまうす。天照大神（あまてらすおほみのかみ）の曰（のたま）はく、「諾（うべ）なり。【諾、此をば宇毎那利（うべなり）と云ふ】」とのたまふ。時に武甕雷神、登（すなは）ち高倉（たかくらじ）に謂（かた）りて曰（のたま）はく、「予（やつこ）が剣、号（な）を韴霊（ふつのみたま）と曰ふ。【韴霊、此をば赴屠能瀰哆磨（ふつのみたま）と云ふ】今当（まさ）に汝が庫（くら）の裏（うち）に置（お）かむ。取りて天孫（あめみま）に献（たてまつ）れ」とのたまふ。高倉、「唯々（をを）」と曰（まう）すとみて寤（さ）めぬ。明旦（くるつあした）に、夢の中の教（をしへ）に依りて、庫（ほくら）を開きて視るに、果して落たる剣有りて、倒（さかしま）に庫の底板（しきいた）に立てり。即ち取りて進（たてまつ）る。時に、天皇（すめらみこと）、適（よ）く寐（みね）す。忽然（たちまち）にして寤めて曰（のたま）はく、「予（われ）何ぞ若此（かく）長眠（ながい）しつるや」とのたまふ。尋（つ）ぎて毒（あしきいき）に中（あた）りし士卒（いくさのひとども）、悉（ふつく）に復（また）醒（さ）めて起（お）く。既にして皇帥（みいくさ）、中洲（うちつくに）に趣（おもぶく）かむとす。 先代旧事本紀に天香語山命［天降った後の名は手栗彦命。亦の名は高倉下命 ］この命は、御祖の天孫の尊に従い、紀伊の国の熊野の邑に天下られた。」とあった。天香語山命は饒速日尊の子とされる。しかし、書紀では熊野高倉下とのみ記している。皇帥に味方することになる。倉は穀物や、重要な財物の類を収納する建物、庫は兵車を入れるところであるが日本では車戦がなかったため用いることがないとあるが、この場合は武器庫となる。後に高倉下は神武天皇の意を受けて越後に赴き、農耕や産業の振興、開発を行ない、全国的な崇敬を集めることになる命であり、ここでは”熊野”と高倉下を限定している。 聞喧擾之響焉、大声を出し手足をばたばたさせている様子、丹敷戸畔者を誅す様、を”さやけり”と訓じている。”さやぐ”音の乱れさわぐこと、”さわく”は声のさわがしいこと（字訓）。 武甕雷神に関しては、是の後に、高皇産霊尊（たかみむすひのみこと）、更に諸神（もろかみたち）を会（つど）へて、当（まさ）に、葦原中国（あしはらのなかつくに）に遣（つかは）すべき者（ひと）を選ぶ。僉（みな）曰（まう）さく、「磐裂（いはさく）【磐裂　此をば以簸娑寠（いはさく）と云ふ】根裂神（ねさくのかみ）の子（みこ）、磐筒男（いはつつのを）磐筒女（いはつつのめ）が生める子（みこ）経津（ふつ）【經津　此をば賦都（ふつ）と云ふ】主神（ぬしのかみ）、是（これ）佳（よ）けむ」とまうす。時に、天石窟（あまのいはや）に住む神、稜威雄走神（いつのをはしりのかみ）の子（みこ）甕速日神（みかのはやひのかみ）、甕速日神の子熯速日神（ひのはやひのかみ）、熯速日神の子武甕槌神（たけみかづちのかみ）有（ま）す。此の神進みて曰（まう）さく、「豈唯（あにただ）経津主神のみ大夫（ますらを）にして、吾（やつかれ）は大夫にあらずや」とまうす。其の辞（ことば）気（いきざし）慷慨（はげ）し。故、以て即ち、経津主神に配（そ）へて、葦原中国を平（む）けしむ。とあった。この二神が降り出雲国五十田狹の小汀に逆さに立てたのは十握剣であった。この二神は伊奘諾尊が十握剣で軻遇突智（火神）を斬った血から生まれた神々であった。”ふつのみたま”は”ふつぬしのかみ”の”ふつ”から来るのであらうが、伝説の十握剣であらう。 事態を静観していた天照大神が動いた。狙いを定めたのは熊野高倉下であった。何故、饒速日尊の子が皇帥に味方したのか？人有りであるから、高倉下は人間として描かれている。倉庫の管理者のやうな印象を与へている。夢を見せた。天照大神が武甕雷神に地上での喧擾を征たせやうとする。武甕雷神は韴�霊を降ろし、高倉下にそれを天孫に渡すように命じた。父より位のはるかに高い大神の啓示であり、高倉下はそれに頷いた。目覚めて庫を開くと底板に剣が刺さっていた。決定的であった。 韴霊の霊力により、解毒された皇帥は、既にして、中洲に趣いていた。 而山中嶮絕　無復可行之路　乃棲遑不知其所跋渉　時夜夢　天照大�~訓于天皇曰　朕今遣頭八咫烏　宜以爲郷導者　果有頭八咫烏　自空翔降　天皇曰　此烏之來　自叶祥夢　大哉　赫矣　我皇祖天照大�~　欲以助成基業乎　是時　大伴氏之遠祖日臣命　帥大來目　督將元戎　蹈山啓行　乃尋烏所向　仰祥而追之　遂達于菟田下縣　因號某所至之處　曰菟田穿邑　【穿邑　此云于介知能務羅】　于時　勅譽日臣命曰　汝忠而且勇　加有能導之功　是以　改汝名爲道臣 而（しか）るを山の中嶮絶（さが）しくして、復（また）行（ゆ）くべき路（みち）無し。乃ち棲遑（しじま）ひて其の跋（ふ）み渉（ゆ）かむ所を知らず。時に夜夢みらく。天照大神、天皇に訓（をし）へまつりて曰（のたま）はく、「朕（あれ）今（いま）頭八咫烏（やたのからす）を遣（つかは）す。以て郷導（くにのみちびき）としたまへ」とのたまふ。果して頭八咫烏有りて、空（おほぞら）より翔（と）び降（くだ）る。天皇の曰（のたま）はく、「此の烏（からす）の来ること、自づから祥（よ）き夢に叶（かな）へり。大（おほ）きなる哉。赫（さかり）なるかな。我（わ）が皇祖（みおや）天照大神、以（も）て基業（あまつひつぎ）を助（たす）け成（な）さむと欲（おもほ）せるか」とのたまふ。是の時に、大伴氏（おほとものうぢ）の遠祖（とほつおや）日臣命（ひのおみのみこと）　大来目（おほくめ）を帥（ひき）ゐて、元戎（おほつはもの）に督将（いくさのきみ）として、山を蹈（ふ）み啓（みちをわ）け行きて、乃ち烏の向（むか）ひの尋（まま）に、仰（あふ）ぎ視て追ふ。遂に菟田下県（うだのしもつこほり）に達（とほりいた）る。因りて某の所至りましし処を号けて、菟田の穿邑（うかちのむら）【穿邑、此をば于介知能務羅（うかちのむら）と云ふ】と曰ふ。時に、勅（みことのり）して日臣命を譽（ほ）めて曰（のたま）はく、「汝（いまし）、忠（いさをしき）ありて、且（また）勇（いさみ）あり。加（また）能（よ）く導（みちびき）の功（いさをしき）あり。是を以て、汝が名を改めて道臣（みちのおみ）とす」とのたまふ。 ”さがし”嶮は高くけわしい山坂の状態。性（さが）と同根で、その内部におそるべきものを秘している（字訓）。絶は比類を絶する義。棲はとどまること、遑は間暇、”しじに”は”しじ”縮、黙と同根ですきまなく密集すること（字訓）。団子状態で進むもならず、返るもならず、迷い込んでしまった。咫は中婦人の手の長さ八寸、わが国では”あた”といひ、手の指を大きく開いた形で男は尺、婦人が八寸。12cmくらい。八咫で1m近い。頭が八咫といふなら巨大である。山海経大荒東経に、「東海の外（かなた）に大きな谷があり、そこに甘山があり、甘水が流れ甘淵を生じる。羲和はここで太陽を洗って送り出す。・・・合虚（そらとあう）の山があり日月はそこから出る。・・・山の上に扶桑の木があり、高さ三百里。谷があり湯谷といい、その湯谷の上に扶桑があり、一個の太陽がやってくると、一個の太陽が出て行く。そして、太陽はみな鳥を載せている」とある。中国では烏が太陽を運ぶという伝承があった。（神武東征、ヤタガラスの導き；み熊野ねっと）　”からす”の鳴き声は、許呂久（ころく）と表記され、鳴き声からの命名という。その賢明をたたえる少数のものを除いては、平時には凶、戦時にはときに吉祥とされた（字訓）。大きく、勢いがあった。赫はさかんな様。注に、姓氏録、山城神別によれば、神魂命孫鴨建津之身命が大鳥に化して天皇を導いたので八咫烏が起こったとあり、鴨県主・賀茂県主の祖、とある。 一書（あるふみ）に曰はく、高皇産霊尊（たかみむすひのみこと）、真床覆衾（まとこおふふすま）を以て、天津彦国光彦火瓊瓊杵尊（あまつひこくにてるひこほのににぎのみこと）に裹（き）せまつりて、則ち、天磐戸（あまのいはと）を引き開（あ）け、天八重雲（あめのやへたなぐも）を排分（おしわ）けて、降（あまくだ）し奉（まつ）る。時に、大伴連（おほとものむらじ）の遠祖（とほつおや）天忍日命（あまのおしひのみこと）、来目部（くめべ）の遠祖天槵津大来目（あめくしつのおほくめ）を帥（ひき）ゐて、背（そびら）に天磐靫（あまのいはゆき）を負（お）ひ、臂（ただむき）に稜威（いつ）の高鞆（たかとも）を著（は）き、手には天梔弓（あまのはじゆみ）・天羽羽矢（あまのははや）を捉（と）り、八目鳴鏑（やつめのかぶら）を副持（とりそ）へ、又頭槌剣（かぶつちのつるぎ）を帯（は）きて、天孫（あめみま）の前（みさき）に立ちて、遊行（ゆ）き降来（くだ）りて、日向（ひむか）の襲（そ）の高千穗（たかちほ）の槵日（くしひ）の二上峯（ふたがみのたけ）の天浮橋（あまのうきはし）に到りて、浮渚在之平地（うきじまりたひら）に立たしむ。とあった。書紀本文では触れていない。大伴氏に連なる一書であらう。この伝承を是非にも一書に記録しておきたかった。注に、日臣命は姓氏録、右京神別に高魂命九世孫とある。 元戎（おほつはもの）と訓じており、注に、文選、閑居賦の李善注に「元戎、兵車也」、季周翰注には「元戎、大兵也」とある。督は、爾雅、釈古に「正すなり」、説文に「察するなり」、方言に「理（おさ）む」、広雅に「促す」とあり督正が原義（字統）。將は軍政の第一線に立つ公族、出征のときに祖に祭り、軍社に祭って出行するが、その祭肉を奨める形が將、将軍を意味する字、説文には「帥ゐるなり」とある（字統）。督將元戎は大勢の兵を促がし帥ゐるであり、叱咤激励して率ゐたとならう。釈迦ｹ岳、大台ケ原の谷間から国見山を抜けたのであらうか。峻険である。船さえ失はなければ、志摩から伊勢街道を経由した方がはるかに楽であったらう。 熊野の山はまたしても皇帥の行軍を阻んだ。天照大神は今度は磐余彦尊自身に夢を見させる。夢から覚めると頭八咫烏が来ていた。磐余彦尊は天照大神が本気で自分に日嗣をさせやうとしている、と失ひかけた自分を取り戻したことであらう。 饒速日尊、長髓彦に疑義を抱いていたのは荒坂津での救援者や高倉下ばかりでなかった。神魂命孫鴨建津之身命という頭に烏の格好をした命が道案内を申し出てきた。罠であるかもしれない。鴨の族ともいう。この時、日臣命は、その昔、天忍日命が武装をし、來目部天槵津大来目を帥いて火瓊瓊杵尊の伴をしたごとく、大来目を帥ゐて迷はずこれに従った。大来目は猨田彦大神のごとく目勝があった。遂に菟田下県、菟田の穿邑に辿り着く。磐余彦尊は、自分の夢にすぐさま反応して、路を啓いた日臣命と大来目を心強く思った。 秋八月甲午朔乙未　天皇使徴兄猾及弟猾者　【猾　此云宇介志】　是兩人　菟田縣之魁帥者也　【魁帥　此云比�ｹ誤廼伽瀰】　時兄猾不來　弟猾卽詣至　因拜軍門　而吿之曰　臣兄々猾之爲逆狀也　聞天孫且到　卽起兵將襲　望見皇師之威　懼不敢敵　乃潛伏其兵　權作新宮　而殿内施機　欲因請饗以作難　願知此詐　善爲之備　天皇卽遣道臣命　察其逆狀　時道臣命　審知有賊害之心　而大怒誥嘖之曰　虜爾所造屋　爾自居之　【爾　此云飫例】　因案劒彎弓　逼令催入　兄猾獲罪於天　事無所辭　乃自蹈機而壓死　時陳其屍而斬之　流血没踝　故號其地　曰菟田血原　已而弟猾大設牛酒　以勞饗皇師焉　天皇以其酒宍　班賜軍卒　乃爲御謠（みうたよみす）之曰　【謠　此云宇狀預瀰】 秋八月（はつき）の甲午（きのえうま）の朔（ついたち）乙未（きのとのひつじのひ；2日）（BC663.08.02）に　天皇（すめらみこと）、兄猾（えうかし）及び弟猾（おとうかし）を徴（め）さしむ。【猾、此をば宇介志（うかし）と云ふ】。是の両（ふたり）の人（ひと）は、菟田県（うだのあがた）の魁帥（ひとごのかみ）なり【魁帥、此をば比�ｹ誤廼伽瀰（ひとごのかみ）と云ふ】。時に兄猾来（まうこ）ず。弟猾即ち詣至（まうけ）り。因りて軍門（みかど）を拜（をが）みて、告（まう）して曰さく、「臣（やつかれ）が兄（このかみ）兄猾（えうかし）の逆（さかしまなるわざ）をする状（かたち）は、天孫（あめみま）到りまさむとすと聞（うけたまは）りて、即ち兵（いくさ）を起して襲（おそ）はむとす。皇師（みいくさ）の威（いきほひ）を望見（おせ）るに、敢（あ）へて敵（あた）るまじきことを懼（お）ぢて、乃ち潜（ひそか）に其の兵を伏（かく）して、権（かり）に新宮（にひみや）を作りて、殿（おほとの）の内に機（おし）を施（お）き、饗（みあへたてまつ）らむと請（まうす）に因りて作難（まちと）らむとす。願はくは、此の詐（いつはり）を知（しろ）しめして、善く備（そな）へたまへ」とまうす。天皇、即ち道臣命（みちのおみのみこと）を遣（つかは）して、其の逆（さか）ふる状（かたち）を察（あきら）めたまむ。時に道臣命、審（つばひらか）に、賊害之心（そこなはむといふこころ）有ることを知（し）りて、大（おほ）きに怒（いか）りて誥（たけ）び嘖（ころ）ひて曰（い）はく、「虜（いやしきやつこ）、爾（い）が造（つく）れる屋（や）に、爾（おれ）自ら居（いりゐ）よ」といふ【爾　此飫例（おれ）と云ふ】。因りて、案剣（つるぎのたかみとりしばり）り弓彎（ゆみひきまかな）ひて、逼（せ）めて催（お）入（い）れしむ。兄猾、罪（つみ）を天（きみ）に獲たれば、事（こと）辭（まうしさ）る所無し。乃ち自（おのれ）機（おし）を蹈（ふ）みて圧（おそ）はれ死ぬ。時に、其の屍（かばね）を陳（ひきいだ）して斬る。流るる血、踝（つぶなぎ）を没（い）る。故（かれ）、其の地（ところ）を号（なず）けて、菟田（うだ）の血原（ちはら）と曰（い）ふ。已（すで）にして、弟猾大きに牛酒（しし）を設（まう）けて、皇師（みいくさ）を労（ねぎら）へ饗（みあへ）す。天皇、其の酒宍（しし）を以て、軍卒（いくさのひとども）に班（あか）ち賜（たま）ふ。乃ち御謠（みうたよみ）して曰はく。【謠　此をば云宇狀預瀰（うたよみ）と云ふ】 ”うかち”の”うかし”。猾はわるがしこいことであるが”うかし”は別義であう。”うかつ”穿は小さな穴を掘ること、”うかみ”候は敵状をさぐること。宇介志の宇介は槽で穀物を容れておくおけ（字訓/字統）。宇介志は食糧を扱っていたものと思われる。徴は元来虜囚となった長老、あるいは、長髪の巫女を路上で攴（う）つことにより求めるところを得ること（字統）。魁帥は一群の長、人（ひと）兄（このかみ）と同じ。魁は大きな勺で柄の長いもので、魁首のごとく、すぐれた者を意味する。徴は食糧を求めて召したのであろう。 軍門を”みかど”と訓じている。御門であり、門は宮門、皇居の門で天子をさすが、ここでは軍営の地であり軍門とした。望は大きな目をあけて先方を見ること、敵方の妖祥を察し、またその眼力で敵に圧服を加える呪儀（字統）、”おせる”と訓じ、押すと同根のことばで、上のほうからはるかに見る、気力をこめてみやること（字訓）。嘖"ころふ"は人を責め罵ること。 權ははかり、衡（はかり）のおもりが原義、その軽重によって、便宜に一時ことを処理することも權という（字訓）。機の幾は呪飾を付けた戈（ほこ）でこれで悪邪を護察し、幾微を知ることができるとされた。のちしかけのある器具を機械といい、織機のように機動するもので、ばねをもちいるもの、からくりで動くものをいう（字統）。周礼、作氏に草木及び林麓を攻（をさ）むることを掌るとあり、柞新をもって獣の陥穽を作る。その陥穽中に逆茂木として立てる逆木を柞鄂という。難は元来、火矢で隹（とり）をとること（字統）。作難を”まちとる”と訓じている。宮に閉じ込めて屋根ごと落として殺すことを意味している。案は按に通じ按剣は、剣を撫して身構えること（字統）。彎弓は弓を持して矢をつがえること。 獲罪於天事無所辭、注に、論語、八佾の「獲罪於天」による、とある。「不然　獲罪於天無所禱也」を借用しているのであるが、意味は全く異なる。天を”きみ”と訓じており、天皇を想定しているのであらう。辭は糸の乱れていることを辛（はり）で治め解くことが原義であるが神に対して弁解する義に用ゐられている。 ”しし”獣、肉、宍、食用の獣、鹿、猪などまたその肉をさす。宍は肉の俗字。食肉の風は外来のものとされる(字統）、が本当か？。牛酒とあるのは牛と酒であり、牛の肉を供したことになる。軍卒にはそれと異なる酒と肉を供したのであらう。八月のことであるから、日干し、塩漬け、燻製等の保存用鯨肉、骨（随）などが出たかもしれない。食べなかったとは思はれない。 名草邑を出て一月と二週間弱、ようやく菟田の穿邑に辿り着いている。（桜実神社；奈良観光）中洲をうかがふ拠点となった。神魂命孫鴨建津之身命は道案内をしただけではなささうである。道臣命と大来目の威を背に皇帥に従ふやう道中の族を説得したのであらう。菟田に先遣を送っていたやもしれない。穿邑では野営でなく門のある建物に陣を構へるに至る。食糧の調達をするために目をつけたのが猾（宇介志）兄弟であった。弟猾はこの陣容に気押され皇帥の軍門に降る。兄猾は仕掛のある宮に皇帥を饗応し、圧死させようとしていると告げる。道臣命が事の次第をことごとく調べあげると、そのとほりであった。 道臣命と大来目一行は、雄叫び、罵り、兵に刀を身構へさせ、弓に矢をつがせ、兄猾を宮の中に追いやる。天（きみ：天皇）に罪を獲ては、弁解の余地なし、自ら仕掛を踏み圧死する。天孫の威、このことを広く知らしめるために、陳其屍而斬之、その屍を宮のなかから引き出し、さらして斬った。流れる血が踝を没すといふから、相当数の者が殺されたのであらう。弟猾が従ったことにより、皇帥の食糧事情が一気に改善された。 于儴能（うたの）多伽機珥（たかきに）　辭藝和奈破盧（しぎわなはる）　和餓末菟夜（わがまつや）　辭藝破佐夜羅孺（しぎはさやらず）　伊殊區波辭（いすくはし）　區旎羅佐夜離（くじらさやり）　固奈瀰餓（こなみが）　那居波佐麼（なこはさば）　多智曾麼能（たちそばの）　未廼那鷄句塢（みのなけくを）　居氣辭被惠禰（こきしひゑね）　宇破奈利餓（うはなりが）　那居波佐麼（なこはさば）　伊智佐介幾（いちさかき）　未廼於朋鷄句塢（みのおほけくを）　居氣儴被惠禰（こきだひゑね） 菟田（うた）の　高城（たかき）に　鴫（しぎ）羂（わな）張（は）る　我（わ）が待（ま）つや　鴫は障（さや）らず　いすくはし　鷹等（くぢら）障り前妻（こなみ）が　肴（な）乞（こ）はさば　立（たち）稜（そ）麦（ば）の　実（み）の無けくを　幾多（こきし）聶（ひ）ゑね　後妻（うはなり）が　肴乞はさば　齋（いち）賢木（さかき）　実の多けくを　幾多（こきだ）聶（ひ）ゑね ”しぎ”は鴫、田や澤に来る渡り鳥とされる。”さやる”障は、ひっかかること。”いすくはし”は”くぢら”にかかる枕詞、”いす”はます、”くはし”は美しいであり、”美しくまします”との尊称か。”くぢら”を鷹としているが鯨であろう。”こなみ”の反が”うはなり”。”な”は魚、野菜などすべて飯に添える食べ物、おかず。”たちそばの”は（そばの木（今のかなめもち）は実が小さいところから）「実のなき」にかかる。”こきしく”は、しごき取って敷きならべること。”ひゑ”は切り取ること、”こきしひゑね”は薄くそぐ意の動詞の連用形か未詳。”こきだく”はたくさん、”こきだひゑね”たくさん切り取る未詳。”いちさかき”は今の”ひさかき”（以上三省堂古語辞典）。聶は耳につけてひそかに小語すること、攝に通じひく、とること（字統）。 肉を食らひ、酒を浴びて、歌を歌った。鴫を取ろうと罠かけりゃ、でっかい鯨がかかったわい。”こなみ”がくれといふのなら、もう実がなりゃしまいが、しごき取ってくれてやれ。”うはなり”がくれといふなら、実がいっぱいできやうに、たくさん取ってくれてやれ。”しぎ”と思ふや”くじら”かえ、釣った魚に餌はいらぬといふけれど。食はんかい、飲まんかい、歌はんかい、女や来（こ） 、女や来・･･食へ食へくはしてやらひでは・ひ・ふ・へ・ほ・・・菟田の高城という場所以外の句は、日向の頃から宴となれば歌ひなれた歌ではなかったか。 是謂來目歌　今樂府奏此歌者　猶有手量大小　及音聲巨細　此古之遺式也　是後　天皇欲省吉野之地　乃從菟田穿邑　親率輕兵巡幸焉　至吉野時　有人出自井中　光而有尾　天皇問之曰　汝何人　對曰　臣是國�~　名爲井光　此則吉野首部始祖也　更少進　亦有尾而披磐石而出者　天皇問之曰　汝何人　對曰　臣是磐排別之子　【排別　此云飫時和句】　此則吉野國樔部始祖也　及緣水西行　亦有作梁取魚者　【梁　此云揶奈】　天皇問之　對曰　臣是苞苴擔之子　【苞苴擔　此云珥倍毛菟】　此則阿太養鸕部始祖也 是を来目歌（くめうた）と謂ふ。今、楽府（おほうたどころ）に此の歌を奏（うた）ふときには、猶（なほ）手量（たはかり）の大（おほ）きさ小（ちひ）ささ、及び音声（うたごゑ）の巨（ふと）さ細（ほそ）さ有り。此古（いにしへ）の遺式（のこれるのり）なり。是の後に、天皇（すめらみこと）、吉野（よしの）の地（ところ）を省（み）たまはむと欲（おもほ）して、乃ち菟田（うだ）の穿邑（うかちのむら）より、親（みづか）ら軽兵（いささけきいくさ）を率（ひき）ゐて、巡（めぐ）り幸（いでま）す。吉野に至る時に、人有りて井（ゐ）の中（うち）より出でたり。光りて尾（を）有り。天皇、問ひて曰（のたま）はく、「汝（いまし）は何人（なにもの）ぞ」とのたまふ。対（こた）へて曰（まう）さく、「臣（やつかれ）は是国神（くにつかみ）なり。名を井光（ゐひか）と為（い）ふ」とまうす。。此則ち吉野首部（よしののおびとら）が始祖（はじめのおや）なり。更（また）少し進めば、亦尾有りて磐石（いは）を披（おしわ）けて出（きた）れり。天皇問ひて曰はく、「汝は何人ぞ」とのたまふ。対へて曰さく、「臣は是れ磐排別（いはおしわく）が子なり」とまうす【排別、此をば飫時和句（おしわく）とふ】。此則ち吉野の国樔部（くずら）が始祖なり。水（かは）に縁（そ）ひて西（にしのかた）に行きたまふに及びて、亦梁（やな）を作（う）ちて取魚（すなどり）する者有り。【梁、此をば揶奈（やな）と云ふ】。天皇問ひたまふ。対へて曰さく、「臣は是苞苴擔（にへもつ）が子なり」とまうす。【苞苴擔、此をば珥倍毛菟（にへもつ）とふ】。此則ち阿太（あだ）の養鸕部（うかひら）が始祖なり。 注に、来目舞は、職員令集解、雅楽寮に「大伴弾琴　佐伯持刀儛　即斬蜘蛛　唯今琴取二人　儛人八人　大伴佐伯不別也」と見え、大伴佐伯の氏に伝えた古式の舞とある。来目歌には来目舞がついている。楽府は雅楽寮のこと、手量は手の広げ方、といふ。振り付け、発声が指定されていた。食い、呑み、歌ふのみならず踊っていた。 ”よし”はすぐれていて、ふさわしい状態。”の”は広々として人の住まない土地（字訓）。”よ”が夜、”し”が司るの”よし”ともいへる。”くま”は川や道が折れ曲がっていること。”いささけし”は小さい、少しばかりのの義（三省堂古語辞典）。 ”おびと”首は”おほひと”で”ともべ”部曲の首領、”あがたむら”県邑に設置することになる（三省堂古語辞典）。天武十二年十月に吉野首は連を賜る。壬申の乱での功績である。この節は、その由縁を記すものとなっている。この始祖の帰順は大きな影響力を有したことであろう。人の姿の国神、井戸から出て尾があるという。この場所の地形や伝承をみると水や滝と関連が深い（大滝の郷「川上村」；奈良観光）。姓氏録、大和神別に「吉野連、加弥比加尼之後也　謚神武天皇行幸吉野　到神瀬遣人汲水　使者還曰　有光井女　天皇召之　汝誰人　答曰　妾是自天降来白雲別神之女也　名曰豊御富　天皇即名水光姫　今吉野連所祭水光神是也」と注される。吉野川の水を司る位置に居た族であらうか。湧水、水源を暗示している。宇太水分神社（うだみくまり）下宮の宮司の言葉が紹介されている。「思うにわが民族の由来するところ、古来、山に神霊がやどり、水を支配する神の存在することを信じて農耕を本として生活してきたわが民族の信仰は極めて根強く、その源を高見山に発する芳野川に沿ってこの「水の神」を祀って、農耕生活を営んだものでありましょう。」（宇太水分神社（うだみくまり）下宮；神奈備）地元水神の帰順を大いに慶んだことであらう。 磐排別之子、洞窟から出てくるのであるが、これも水や滝に関係がありそうだ。注に、姓氏録、大和神別に「国栖　出自石穂押別神也　�~武天皇行幸吉野時　川上有遊人　于時天皇御覧　即入穴　須臾又出遊　窃窺之喚問　答曰　石穂押別�~子也　爾時詔賜国栖名」とある。吉野国栖が大嘗祭及び諸節会に御贄を献じ、歌笛を奏したこと、延喜践祚大嘗祭式などに見える、とある。吉野の国樔部は川上村の下流、国栖（大蔵神社あるいは川上鹿塩神社；延喜式神社の調査）のあたりで、”くず”の民とされる。”くず”の民については「神社による古代史−八劍宮編」に詳しく論じられている。壬申の乱で大海人皇子を支へた民である。 阿太は、和名抄の大和国宇智郡阿陀郷（五条市東部）、鵜飼は古くから行なわれた漁法と注される。”にへ”は神に食物として供へてまつるもの、苞苴は魚肉を包んだもの。贄は左伝、荘二十四年に「男の贄（おくりもの）は大なるものは、玉帛、小なるものは禽鳥」（字訓）とある。 兄猾の自滅、来目歌の大宴会の噂は広がった。後に、大嘗会で舞付き、音楽付きで奏されることになるほどの象徴的な出来事であった。弟猾を通じて、皇帥になびくものが現はれはじめる。”いささけし”兵で巡幸できる”よし”野としゃれこめる土地になりはじめた。巡幸というのは政権を確立した天皇の行為であり、磐余彦は政権を確立してはいないし天皇に即位しているわけでもない。強引に天皇と記述し、ここでは、巡幸といふ。巡（めぐり）幸（いでます）と訓じて印象を変へやうとしているが。偶然に出会ったものではなく、巡幸先に選ばれる勢力である。菟田の穿邑がかなりの拠点となっていたことを印象付ける狙いがあらう。猨田彦大神の伊勢、火明命の尾張にも通じる地でもあった。後の吉野の首部、吉野の国樔部、阿太の養鸕部の始祖等がこの機に皇帥に加わった。菟田の穿邑に着く前ではなく、その後に加わった勢力と位置付ける必要があった。何故だろう？壬申の乱と無縁ではないといふ指摘があった。今はその程度として、その時に、見てみよう。 九月甲子朔戊辰　天皇陟彼菟田高倉山之巓　膽望域中　時國見丘上則有八十梟帥　【梟帥　此云多稽屢】又於女坂置女軍　男坂置男軍　墨坂置焃炭　其女坂　男坂　墨坂之號　由此而起也　復有兄磯城軍　布滿於磐余邑　【磯　此云志】　賊虜所據　皆是要害之地　故道路絕塞　無處可通　天皇惡之　 九月（ながづき）の甲子（きのえね）の朔（ついたち）戊辰（つちのえたつのひ）（BC663.09.05）　天皇、彼（か）の菟田（うだ）の高倉山（たかくらやま）の巓（いただき）に陟（のぼ）りて、域（くに）の中（うち）を膽望（おせ）りたまふ。時に国見丘（くにみのをか）の上（うへ）に則ち八十梟帥（やそたける）【梟帥、此をば多稽屢（たける）と云ふ】有り。又、女坂（めさか）に女軍（めのいくさ）を置（を）き、男坂（をさか）に男軍（をのいくさ）を置く。墨坂（すみさか）に焃炭（おこしずみ）を置けり。其の女坂、男坂、墨坂之号（な）は、此（これ）に由りて起れり。復（また）兄磯城（えしき）の軍（いくさ）有りて、磐余邑（いはれのむら）に布（し）き満（いは）めり。【磯、此をば志（し）と云ふ】　賊虜（あた）の拠（を）る所は、皆（みな）是（これ）要害（ぬみ）の地（ところ）なり。故（かれ）、道路（みち）絶（た）え塞（ふさ）がる。通らむに処無し。天皇、惡みたまふ。 高倉山は奈良県宇陀郡大宇陀町守道（マピオン編修地図）にある山、標高約440ｍと注される。この近辺では440ｍあれば山頂からの見晴らしは悪くない（高角神社；延喜式神社の調査）。膽望（おす）の膽は肝、胆力を込め、相手を圧服せんとして見渡すこと。戦闘において巫女が望す役割を荷っている。ここでは磐余彦自らが行なっており、女軍に対する独自の対応が暗示されている。国見丘は守道の西、経ケ塚山（マピオン編修地図）とされるが地名とは限らない。国見といふのは巡幸と同じく元来は天子の国情視察である。この場合の国とは中洲（奈良盆地）、敵地であり、この時点で中洲を国見する立場にあるのは饒速日命側である。 ”たける”はこころがはげしく動いて興奮すること、”たけぶ”は勇みたって怒号すること、いきりたって荒々しく振舞うこと（字訓）。梟はふくろう、さらしくび、中国では、悪鳥、猛禽（字統）。八十は多くのの義、梟帥（たける）は梟将に同じ。強くたけだけしい野蛮人の長、どっちが野蛮か？烏、鴫、鴨、梟と山中で鳥軍が主導権をとっている。 女坂は上宮奥の大峠（マピオン編修地図）あたり、男坂は半坂（半坂峠：奈良観光）あたり、墨坂は榛原町西方の坂（墨坂傳稱地；奈良観光）。男坂は半坂の北の女寄坂も含む。昔は粟原へは、近畿自然歩道となっている半坂が用ゐられたのであらう。女坂と男坂は対で女坂がなだらかな坂とされるが、この女坂は男坂より険しく、女軍が配置されている。女軍について折口信夫氏は、「巫女の従軍した事実は際限なくある事で、皆戦場に於て、神の意思を問ふ為である。其と共に、女軍を指揮するのだから、真の戦闘力よりも、信仰の上から薄気味のわるい感じを持つて居たのであらう。一方からは、他の種族の祀る異教神の呪力を、物ともせない勇者にとつては、極めて脆い相手であつたのである。神武天皇なども、女軍を破つて、敵を窮地に陥れて居られる。」（最古日本の女性生活の根拠；青空文庫）と述べておられる。焃炭を置くということは金属を扱っていた族を連想させる。（葛城王朝の宇陀地方征圧；神奈備）中洲と伊勢、尾張を結ぶ主用路の峠の上に焃炭を置いて防衛線を張っている。 磐余邑は桜井市南西部の吉備、池之内、橋本、阿部から橿原市の東池尻町を含む同市南東部にかけての古地名とされる。この地は”しき”であり、磯城とは周囲に岩をめぐらした神を祭る地（三省堂古語辞典）であった。”いはむ”は満ちることの古語、”ぬみ”は”ぬま”の転、要害、後に物事の枢要な点をいう、と注される。 兄猾の自滅、来目歌の大宴会の噂は饒速日命側にも伝はっていた。楯津から撤退した磐余彦尊、諱では彦火々出見尊、本名狭野尊の軍が今度は東から現はれたという。一月の間に饒速日命側は対策を講じていた。東は磯城が任に当った。磯城は聖地であり、その地の族を磯城と称したのであらうか。西の生駒での戦闘の模様は長髄彦から聴取してのことであらう、兄磯城の本陣は磯城（後の磐余邑）であり、菟田の穿邑を見下ろす経ケ塚山周辺に猛々しき八十梟帥を配し圧力をかけ、女坂（宮奥から八井内ルート）、男坂（粟原から忍坂ルート）を閉ざし、大軍が移動可能な墨坂（榛原から忍坂ルート）には、炭火をいこし何時でも投げ落とす準備を整へた。万全の備へであり、音羽山系が生駒山系のごとく中洲を守る楯となった。うっかり攻めても孔舎衞坂の二の舞となる。これには困ってしまった皇帥側である。 是夜自祈而寝　夢有天�~訓之曰　宜取天香山社中土　【香山　此云介遇夜摩】以造天平瓮八十枚　【平瓮　此云毘邏介】　幷造嚴瓮　而敬祭天�~地祇　【嚴瓮　此云怡途背】　亦爲嚴呪詛　如此　則虜自平伏　【嚴呪詛　此云怡途能伽辭離】天皇祇承夢訓　依以將行　時弟猾又奏曰　倭國磯城邑　有磯城八十梟帥　又高尾張邑　【或本云　葛城邑也】有赤銅八十梟帥　此類皆欲與天皇距戰　臣竊爲天皇憂之　宜今當取天香山埴　以造天平瓮　而祭天社國社之�~　然後撃虜則易除也　 是夜（こよひ）、自（みみづか）ら祈（うけ）ひて寝（みね）ませり。夢（みゆめ）に天神（あまつかみ）有（ま）して之を訓（をし）へまつりて曰（のたま）はく、「天香山（あまのかぐやま）の社（やしろ）の中の土（はに）を取りて、【香山、此をば介遇夜摩（かぐやま）と云ふ】天平瓮（あまのひらか）八十枚（やそち）を造り、【平瓮　此をば毘邏介（ひらか）と云ふ】　并（あは）せて嚴瓮（いつへ）を造りて天神（あまつやしろ）地祇（くにつやしろ）を敬（ゐやま）ひ祭（まつ）れ。【嚴瓮、此をば怡途背（いつへ）と云ふ】亦（また）嚴呪詛（いつのかしり）をせよ。如此（かくのごとく）せば、虜（あた）自（おの）づから平（む）き伏（したが）ひなむ」とのたまふ。【嚴呪詛、此をば怡途能伽辭離（いつのかしり）と云ふ】　天皇（すめらみこと）、祇（つつし）みて夢（みゆめ）の訓（をしへ）を承（うけたまは）りたまひて、依りて將（まさ）に行（おこな）ひたまはむとす。時に、弟猾（おとうかし）又奏（まう）して曰（まう）さく、「倭国（やまとのくに）の磯城邑（しきのむら）に、磯城（しき）の八十梟帥（やそたける）有（はべ）り。又、高尾張邑（たかをはりのむら）　【或本（あるふみ）に云く、葛城邑（かづらきのむら）といふ】に赤銅（あかがね）の八十梟帥有り。此の類（ともがら）皆天皇と距（ふせ）き戦はむとす。臣（やつかれ）竊（ひそか）かに天皇の爲（みため）に憂（うれ）へたてまつる。今当（まさ）に天香山（あまのかぐやま）の埴（はにつち）を取りて、天平瓮（あまにひらか）を造りて天社（あまつやしろ）国社（くにつやしろ）の神を祭（いはひまつ）れ。。然して後に、虜（あた）を撃ちたまはば、除（はら）ひ易（やす）けむ」とまうす。　 祈を”うけふ”誓と訓じている、神に祈って占った結果について、これを受け従ふこと。天香山については、天照大神が天石窟に幽られたとき、中臣連の遠祖天兒屋命、忌部の遠祖太玉命、天香山の五百箇の真坂樹を掘じて、上枝には八坂瓊の五百箇の御統を懸け、中枝には八咫鏡【一に云はく、真経津鏡（まふつのかがみ）といふ】を懸け、下枝には青和幣【和幣、此をば尼枳底（にきて）と云ふ】、白和幣を懸でて、相与に致其祈禱す。また、又猨女君の遠祖天鈿女命、則ち手に茅纏の矟を持ち、天石窟戸の前に立たして、巧に作俳優す。亦天香山の真坂樹を以て鬘にし、蘿【蘿、比をば舸礙（ひかげ）と云ふ】を以て手繦【手繦、此をば多須枳（たすき）と云ふ】にして、火処焼き、覆槽置せ、【覆槽、此をば于該（うけ）と云ふ】　顕神明之憑談す。【顕神明之憑談、此をば歌牟鵝可梨（かむがかり）と云ふ】、また、石凝姥を以て冶工として、天香山の金を採りて、日矛を作らしむ。又真名鹿の皮を全剥ぎて、天羽韛に作る。また、天香山の真坂木を掘して、上枝には、鏡作の遠祖天抜戸が児石凝戸辺が作れる八咫鏡を懸け、中枝には、玉作の遠祖伊奘諾尊の児天明玉が作れる八坂瓊の曲玉を懸け、下枝には、粟国の忌部の遠祖天日鷲が作ける木綿を懸でて、乃ち忌部首の遠祖太玉命をして執り取たしめて、広く厚く称辭をへて祈み啓さしむ、とあった。聖なる地であり、その地の真坂樹に御統、八咫鏡、青和幣や白和幣を懸て祈る、また、それを持って神懸りとなる。その地の金属で矛あるいは鏡（銅鏡）、鹿の皮でふいごを作っており、また真坂樹に八咫鏡、八坂瓊之曲玉、木綿を懸け祈ってもいた。社については、注に、延喜神名式に十市郡天香山坐櫛真命神社とある。（天香山神社；神奈備）その社の土で瓮（へ）を作る。瓮は酒食を入れる土焼きの器、平瓮（ひらか）には山海の産物を供え、嚴瓮（いつへ）には酒や水を供える。磯城とはこの一帯のことであらう。 ”かしる”呪は、所（か）知るで日知（ひじり；聖）と相似の構造の語、神に祈って、人を呪うこと、随に呪禁（じゅきん）博士があり、我が国では敏達記六年に呪禁師（じゅこむのはかせ）の渡来がしるされ、古い伝承をもつわが国の遊部（あそびべ）も、その類のものである（字訓）。”いつ”が付いており潔斎して行なうと注される。大己貴命と少彦名命が禁厭法を定めたとする記述もあった。鳥獣、昆虫の災いを祓ふ呪詛であった。国が形成されると敵国を呪詛することにもなる。 ”やまと”倭は、磯城邑、高尾張邑、葛城邑あたりの地名であったものが、大和の国名、さらにわが国全体の名となったとされる（字訓）。”やまと”は「夜麻登（『古事記』、『万葉集』）、夜萬止（『和名抄』）、耶魔等・夜麻等・野麻登・山門・大日本など（『日本書紀』）、日本（『日本書紀』、『万葉集』）、倭（『古事記』、『日本書紀』、『万葉集』）、大養徳（『続日本紀』）、和（『万葉集』、『続日本紀』）、大倭（『古事記』、『日本書紀』）、大和（『続日本後紀』、『和名抄』、『万葉集』）などと多様に書かれています。」（大和国；夢間草廬）マオリ語「イア・マト」の転音で「大きな、深い沼地」の義という。大阪平野が水に浸かっていた時代の伝承である、奈良盆地が水に浸かっていた時代の名残りといふのは面白い。倭は漢書、地理志に倭人、後漢書、光武帝紀に倭奴、魏略に倭、魏志、随書に倭国とあり、わが国でも古文書に倭琴の字を用いる。名義抄には倭、倭歌、倭琴とみえる。魏志にみえる耶馬臺（やまと）の台（と）は乙類で山門（やまと）の門（と）は甲類（字訓）。登、止、等は乙類である。倭の字義は、説文に順（したが）ふ兒（かたち）なり、と委随の意に解する。委は農耕儀礼において、稲魂を象る禾を被って舞う女の形。倭はその低く舞うさまをいう語である。わが国の名に、その字義を用いることは考えがたい。倭の古音はiuaiで、自称の代名詞の「わ」に近い（字訓）。倭の解釈は諸説あり、ここでは論じる余裕は無い。 葛城邑の葛は、髪に巻く蔓で、玉などを通して髪に巻き飾りとしたのであるが、元来は呪飾、天鈿女命が神懸りになった時に用ゐられたものである。葛を産し、また、銅を産した地でもある。また、葛城の勢力は丹後、但馬の勢力と連携していたとされる。（葛城の古代；神奈備）元は、高尾張邑と称され、土蜘蛛のいた地であり、誅されて以降、尾張に本拠を移したやうに注されている。 兄磯城は聖地を預かる聖職者のやうである。武力においても万全の陣を敷いたこの聖職者に対抗するには、尋常の手段では到底無理である。困り果てた磐余彦に天神はここでも夢を送った。敵の聖地、天香山、の土を奪ひ、平瓮、嚴瓮を造り、天神地祇を敬ひ祭り、嚴呪詛を行なへといふ。弟猾もこの地の事情に精通していた。磯城の八十梟帥、高尾張の赤銅の八十梟帥、粗野な野蛮人の長のごとき形容をしているが、聖地を守護する強力な武人で、寝返るやうなことは考へられない相手であると念をおす。 両者の天神は共通をしている。どうやら神代の記述からすれば、饒速日命側は大己貴神の勢力を引き継いだ形となっており、天神はこれを磐余彦尊に再編成させやうといふ形勢である。問題は地祇である。これを懐柔するためには、土地の神の土をもって祭らねば効果は期待できない。社とは土地の神である。饒速日命側以上の祭りを行なひ、自らの正統性を訴へ、饒速日命側を賊軍となし、呪詛をするといふ。幕末の鳥羽伏見の戦いにおける錦の御旗のごときものである。天香山の土は天社の神とも地社の神とも通じる土であった。 天皇旣以夢辭爲吉兆　及聞弟猾之言　益喜於懐　乃使椎根津彥　著弊衣服及蓑笠　爲老父貌　又使弟猾被箕　爲老嫗貌　而勅之曰　宜汝二人　到天香山　潛取其巓土　而可來旋矣　基業成否　當以汝爲占　努力愼歟　是時　虜兵滿路　難以往還　時椎根津彥　乃祈之曰　我皇當能定此國者 　行路自通　如不能者　賊必防禦　言訖徑去　時群虜見二人　大咲之曰　大醜乎【大醜　此云鞅奈瀰儛句】老父老嫗　則相與闢道使行　二人得至其山　取土來歸　 天皇、既にして夢の辞（をしへこと）を以て吉兆（よきうらはひ）なりと爲（おも）ひたまふ。弟猾の言（まうすこと）を聞（きこ）しめすに及びて、益（ますます）懐（みこころ）に喜びたまふ。乃ち椎根津彦（しひねつひこ）をして、弊（いや）しき衣服（きぬ）及び蓑笠（みにかさ）を著（き）せて、老父（おきな）の貌（かたち）に爲（つく）る。又（また）弟猾をして箕（み）を被（き）せて、老嫗（おみな）の貌に爲りて、勅（みことのり）して曰（のたま）はく、「汝二人（なむたちふたり）、天香山に到りて、潜（ひそか）に其の巓（いただき）の土（はにつち）を取りて、来旋（かへ）るべし。基業（あまつひつぎ）の成否（ならむならじ）は、当（まさ）に汝を以て占（うらな）はむ。努力（ゆめ）、愼歟（ゆめ）」とのたまふ。是の時に、虜（あた）の兵（つはもの）、路（おほち）に満（いは）みて、以（も）て往還（かよ）ふこと難（かた）し。時に椎根津彦、乃ち祈（うけ）ひて曰（い）はく、「我が皇（きみ）、能（よ）く此の国を定（さだ）めたまふべきものならば、行（ゆ）かむ路（みち）自（おの）づからに通（とほ）れ。如（も）し能（あた）はじとなれば、賊（あた）必ず防禦（ふさ）がむ」といふ。言ひ訖（をは）りて経（ただ）に去（い）ぬ。時に、群虜（あたども）、二（ふたり）の人（ひと）を見て、大（おほ）きに咲（わら）ひて曰（い）はく、「大醜（あなみにく）【大醜、此をば鞅奈瀰儛句（あなみにく）と云ふ】の老父（おきな）老嫗（おみな）」といひて、則ち相与（あひとも）に道を闢（さ）りて行かしむ。二の人、其の山に至るをことを得て、土（はにつち）を取りて来帰（まうかへ）る。 寢（夢）は神霊の啓示としてあらはれるもの、その啓示をもたらすものは媚（び）とよばれる巫女、この呪霊が夢の中で種々の暗示を行なう。周禮に、日月星辰を以て、六寢の吉凶を占う。一に曰く正夢、ニに曰く逆夢、三に曰く思夢、四に曰く悟夢、五に曰く喜夢、六に曰く懼夢（占夢）、大卜の注に、夢は人の精神の寤（さ）むるところ、占ふべきものなり。歳終には一年間の夢をしらべ、堂贈（どうぞう）という夢送りの行事をして悪夢を祓う（字統）。庶人の夢は夢見てそれでおしまいであるが王の夢はただ事ではすまされない。占官が判断し、記録し、悪夢は祓はねばならない。 磐余彦は自ら夢判断をしており、男巫の役割を兼ねている。膽望も自ら行なっていた。 珍彦、すなはち、椎根津彦、久々の登場であった。弊は古びて破れていること。素戔嗚尊　結束青草　以爲笠蓑　而乞宿於衆�~　衆�~曰　汝是躬行濁惡　而見逐謫者　如何乞宿於我　遂同距之　是以　風雨雖甚　不得留休　而辛苦降矣　自爾以來　世諱著笠蓑　以入他人屋内　又諱負束草以入他人家内　有犯此者　必債解除　此太古之遺法也とあった。家内に入れてはならぬ者のいでたちである。天香山の頂きの土を取って帰れといふ、夢の啓示、それを椎根津彦、弟猾をして占はんとする。”ゆめ”謹、勤、努、謹は説文に慎むなり、勤は説文に労するなり、ともに飢饉のときに神に祈り、勤苦すること。非常の際に臨んで戒めることを”ゆめ”といった。兄磯城の万全の布陣、警戒を怠ることはありえず、いささかもの疑いを抱かせては生還することはできない。 咲は古の笑の字、声をたてて笑うこと。”をみな”の”みな”は女陰をさし、”をきな”は”をぐな”ともいい、”ぐな”も性器とする説がある（字訓）。闢は門の両扉を開くこと、書経、舜典に「四門を闢く」とあり邪悪を祓う義が含まれる、混沌を闢いて天地が創造されることを開闢（かいびゃく）という（字統）。 弟猾の言が夢を裏付けるものであり、 磐余彦は、心中深く期するものがあった。椎根津彦と弟猾を呼び、菟田の穿邑から追放され、身を寄せるところなき老父・老嫗の格好をさせた。基業（天日嗣）の成否をこの二人で占ふといふ。皇帥の道案内人となった珍彦の正念場となった。珍彦はさまざまに考へを巡らせたことであらう。最後に腹を決めた。ここは祈ひ、一命を磐余彦の夢にかけるべし。磐余彦が天神により基業を成就するといふのが本当なら、その道は自ずと啓けるべきもの、そう信じ込んで、天香山の頂きの土を取りに行かむと決意した。 天神の啓示のままに動いた二人。兄磯城の兵は、菟田方面からとぼとぼと現はれた老父・老嫗に疑念を抱くことも、同情心あるいは嫌悪感を抱くこともなく、その格好のあまりのおかしさに声をたてて笑ひ出した。案山子のような格好の老夫婦が臍もまるだしで、他愛もないいささかも卑猥なる戯言でもかけながら近づいたのであらうか。迫真の演技となった。”あなみにくや　をきな　をみな”と道を闢いた。これが基業成就の道を闢いていた。 於是　天皇甚悦　乃以此埴　造作八十平瓮　天手抉八十枚【手抉　此云多衢餌離】嚴瓮　而陟于丹生川上　用祭天�~地祇　則於彼菟田川之朝原　譬如水沫　而有所呪著也　天皇又因祈之曰　吾今當以八十平瓮　無水造飴　々成　則吾必不假鋒刅之威　坐平天下　乃造飴　々卽自成　又祈之曰　吾今當以嚴瓮　沈于丹生之川　如魚無大小　悉醉而流　譬猶�范t之浮流者　【�艨@此云磨紀】吾必能定此國　如其不爾　終無所成　乃沈瓮於川　其口向下　頃之魚皆浮出　隨水噞喁　時椎根津彥　見而奏之　天皇大喜　乃拔取丹生川上之五百箇眞坂樹　以祭諸�~　自此始有嚴瓮之置也　時勅道臣命　今以高皇產靈尊　朕親作顯齋　【顕齋　此云于圓詩怡破毘】用汝爲齋主　授以嚴媛之號　而名其所置埴瓮　爲嚴瓮　又火名爲嚴香來雷　水名爲嚴罔象女　【罔象女　此云瀰菟破廼迷】粮名爲嚴稻魂女　【稻魂女　此云于伽能迷】薪名爲嚴山雷　草名爲嚴野椎 是（ここ）に、天皇（すめらみこと）、甚（にへさ）に悦（よろこ）びたまひて、乃ち此の埴（はにつち）を以て、八十平瓮（やそひらか）・天手抉（あまのたくじり）八十枚（やそち）【手抉、此をば多衢餌離（たくじり）と云】嚴瓮（いつへ）を造作（つく）りて、丹生（にふ）の川上（かはかみ）に陟（のぼ）りて、用（も）て天神（あまつかみ）地祇（くにつかみ）を祭（いはひまつ）りたまふ。則ち彼（そ）の菟田川（うだがは）の朝原（あさはら）にして、譬へば水沫（みなは）の如くして、呪（かし）り著（つ）くろ所有り。天皇、又、因（よ）りて祈（うけ）ひて曰（のたま）はく、「吾（われ）今当（まさ）に八十平瓮を以て、水無しに飴（たがね）を造らむ。飴成（な）らば、吾必ず鋒刃（つはもの）の威（いきほひ）を仮（か）らずして、坐（ゐ）ながら天下（あめのした）を平（む）けむ」とのたまふ。乃ち飴を造りたまふ。飴即ち自づからに成りぬ。又、祈ひて曰（のたま）はく、「吾今当に厳瓮を以て、丹生之川に沈めむ。如し魚（いを）大（おほ）きなり小（ちひさ）しと無く、悉（ふつく）に醉（ゑ）ひて流れむこと、譬へば��（まき）の葉の浮き流るるが猶（ごと）くあらば、【�艨A此をば磨紀（まき）と云ふ】吾必ず能く此の国を定めてむ。如し其れ爾（しか）らずは、終（はた）して成る所無けむ」とのたまひて、乃ち瓮（いつへ）を川（かは）に沈む。其の口、下（しも）に向けり。頃（しばらく）ありて、魚皆浮き出でて、水の隨（まま）に噞喁（あぎと）ふ。時に椎根津彦（しひねつひこ）、見て奏（まう）す。天皇、大きに喜びたまひて、乃ち丹生の川上の五百箇（いほつ）の真坂樹（まさかき）を拔取（ねこじ）にして、以て諸神（もろかみたち）を祭（いは）ふ。此より始めて厳瓮の置（おきもの）有り。時に道臣命（みちのおみのみこと）に勅（みことのり）すらく、「今、高皇産霊尊（たかみむすびのみこと）を以て、朕親（われみづか）ら顕斎（うつしいはひ）【顕、此をば于圓詩怡破毘（うつしいはひ）と云ふ】を作（な）さむ。汝（いまし）を用（も）て斎主（いはひのうし）として、授（さづ）くるに厳媛（いつひめ）の号（な）を以てせむ。其の置ける埴瓮（はにへ）を名（なづ）けて、厳瓮とす。又火の名を厳香來雷（いつのかぐつち）とす。水の名をば厳罔象女（いつのみつはのめ）とす。【罔象女、此をば瀰菟破廼迷（みつはのめ）と云ふ】粮（くらひもの）の名を厳稲魂女（いつのうかのめ）と爲す。【稻魂女、此をば于伽能迷（うかのめ）と云ふ】薪（たきぎ）の名をば嚴山雷（いつのやまつち）とす。草の名をば厳野椎（いつののづち）とす」とのたまふ。 ”にへさ”甚多、ものが甚だしく多いこと。すべて程度をこえることを甚という。多は肉片を重ねた形、わが国では新穀を以て「にへ」としたが中国では肉を用いることが多かった（字訓）。悦（�ｽ）は神意に浴して、忘我恍惚の状態にあること、喜は祝詞を奏し、鼓して神を楽しませ、その祈ることの成就を求めること（字訓）。 ”はに”は黄色または赤色の粘土、霊力が含まれるとされた、その土のあるところを埴土という（字訓）。”くじる”はのちの”ほじくる”にあたり、手抉であり粘土を手でほじくって容器としたもの。嚴瓮を天手抉で造ったといふのであるから、磐余彦自らの手を用いたのであらう。 ”に”丹は土を意味する古語であるが、特に赤土のことをいい、また辰砂（しんじゃ；硫化水銀）や鉛丹（えんたん；硫化鉛）を含む赤土、辰砂からアマルガム法によって朱がえられるので丹生（にふ）という（字訓）。丹生の川上は、丹生川の上流とすれば、丹生川上神社下社（神奈備；地図）となる。菟田川之朝原となれば、丹生神社（地図）であるが、この時点では兄磯城側の勢力下であり相応しくない、後日の結果を例示したものであらうか。元来は丹生川上神社中社（神奈備；地図）とされていたが、丹生川上神社上社（神奈備；地図）が注目され遺跡の発掘調査も行なはれてきたが、その位置は定かでないようだ（宮の平遺跡；吉野郡川上村　宮の平遺跡；奈良県立橿原考古学研究所）。平安時代以降、京都の貴船神社が崇敬を集め、丹生川上神社への皇室の参詣が途絶え位置が不明となったやうである。吉野に巡幸し、井光が帰順、水神を祭ったといふ記述、また、「宮の平が吉野川最上流部に位置する」「祭祀的な空間として利用されていたことが判明」という発掘調査の報告からすれば、丹生川上神社上社あたりがよい。 菟田川の朝原は榛原近辺であらう。当時は沼地であったといふ。このあたりの戦いで呪詛は、水沫のごとく、かつ消え、かつ結びて兄磯城の兵に取り憑くことになる。”たがね”は掌と指とで握り固める意と注されるが、飴はもち米を蒸して、大麦のもやしを加えて作る（字統）。「餅米をふかし、清水と麦芽を加えて一昼夜ねかせます。すると餅米のでんぷん質が糖化してあま味に変わります。これを絞って赤釜で煮つめると水飴ができます。」（たぐり飴；新橋屋飴店）がよい。嚴瓮を沈めた場所は、丹生川上神社神域の「夢淵」（句碑の郷「東吉野村」；奈良観光）とされ、高見川沿いの丹生川上神社中社とされる。確かに位置が定め難い。酒を入れて沈めたのであらう。”あぎとふ”は魚が水面にでて口をひらくこと。 道臣命は大伴氏の遠祖であった。”うつし”顯は、玉によって霊を呼び、それにこたえて霊があらわれること（字訓）。”いはふ”齋は、婦人が祭事に従うときの、髪に簪飾を加えた形、神事のために禁忌に服している姿、その婦人を齋女という（字訓）。古来、皇女を卜定して斎王となしたものである。皇女のいない磐余彦は道臣命に厳媛の名を与え斎女にみたてている。顕斎とはこの場合、磐余彦自らに高皇産霊尊の霊を降ろすことを意味する。天照大神が夢を見させていたのであるが、実際采配を振るっていたのは高皇産霊尊であった。困った時に事態を打開する高皇産霊尊の姿は神代にすでにみたとほりである。 神代の記述に（伊奘冉尊）次生海　次生川　次生山　次生木祖句句廼馳　次生草祖草野姫（かやのひめ）　亦名野槌（のつち）　また、次生火�~　軻遇突智（かぐつち）　時伊奘冉尊　爲軻遇突智　所焦而終矣　其且終之間　臥生土�~埴山姫（はにやまひめ）及水�~罔象女（みつはのめ）　即軻遇突智娶　埴山姫　生稚産靈　此�~頭上　生蠶與桑　臍中生五穀また、飢時生兒　號倉稻魂命（うかのみたまのみこと）山雷は黄泉で伊奘冉尊の身体に発生（首に大雷、胸に火雷、腹に土雷、背に稚雷、尻に�K雷、手に山雷、足上に野雷、陰上に裂雷）したとあった。つまり、野椎は伊奘冉尊の子、埴山姫と罔象女は伊奘冉尊が軻遇突智を産み死ぬ間際に産んだ子、軻遇突智は埴山姫を娶り、埴山姫は稚産霊を産んだことになる。倉稻魂命は伊奘冉尊が飢ゑた時に産んだともされる。高皇産霊尊の霊威によって、用いた火、水、埴瓮、粮、薪、草の命名を行なふ。 磐余彦は神意を得たりと心底悦んだ。自らの手で八十平瓮、八十厳瓮に天香山の埴の霊力を込めんとした。丹生の川上に陟り、これらを焼き土器とし、天神地祇を祭り、厳呪詛を為す。呪詛の結果はいづれ、菟田川の朝原において水沫の如く兄磯城側の勢力に呪り著くことにならう。磐余彦は祭りの結果を知るために祈を行なふ。地祇である水神と丹敷戸畔者を誅した時に毒氣を吐いた神、丹生の神といふべきか、の意向を問ふ。祭った平瓮を試してみた。清水無くして飴が出来るならば、吉野の水神が磐余彦を守護したことになる。刃でなく水でもって天下を平定できる。厳瓮も試してみた。皇帥を眠りに陥しいれた毒氣が如何にあらはれるか。丹生の川に沈め、魚が大小にかかわらず、�艪ﾌ葉のごとく浮き流るるなら丹生の神が磐余彦を守護したことになる。この国を定めることができる。飴自づから成り、魚皆浮き出で、水の隨に噞喁ふ（この祈は実現された）、と椎根津彦から報告がある。 磐余彦は喜び、丹生川上の五百箇真坂樹を拔取にして、諸神を祭（いは）ふ。高皇産霊尊の霊を自に降ろし、道臣命に厳媛の名を授け斎主とし、埴瓮を厳瓮、火を厳香来雷、水を厳罔象女、粮を厳稻魂女、薪を厳山雷、草を厳野椎と爲した。高天原の祭の原型は天石窟前で掘天香山之五百箇眞坂樹　而上枝懸八坂瓊之五百箇御統　中枝懸八咫鏡【一云眞經津鏡】　下枝懸青和幣【和幣　此云尼枳底】白和幣にあった。地上においては丹生の川上で高皇産霊尊が厳瓮を用ゐることを定めた。水と酒をいれる。平瓮には米、塩、高杯や三方が出来る前は山海の産物を供へたのであらう。命名は神代での名を付けたのか、ここで名がついたものが神代に用ゐられたのか？高皇産霊尊はついに吉野の地祇をとりこみ、丹生の川上は聖地となった。磐余彦の天日嗣は神的にはこの時点で約束されたことになる。 2005.01.07　修正及び以下の追加　2018.10.09 古事記 古代における戦いは守護神の戦いでもある。土地には土地の神がおり、我が国ではこれを「くにつかみ；地（くに）の神、国神」とする。白肩、紀国、熊野において地神や海神の反撃や妨害に苦慮する。国神の助力、あるいは同盟、帰順を如何にして実現するかが肝要となる。 まずは、高倉下と八咫烏を高く評価する。高倉下は一行を惑冥から覚醒せしめ、八咫烏は路を示し、内応者を開拓した。しかし、両者の出自については沈黙している。 高倉下は、先代旧事紀では、天降りした天香語山命とし、勘注系図では、天香語山命と大屋津比売命の間の子とした。天香語山命は、天火明櫛玉饒速日尊が天に居られた時に、大国主神の女（むすめ）の天道日女命との間にもうけた御子としており、本来ならば、饒速日尊の子であり、この時点では敵対する立場にある。饒速日尊＝火明命（火明命は、「記」では番能邇邇芸命の兄、「紀」では火瓊瓊杵尊の子）としており、記紀とは設定が異なっている。この立場からみれば、その祖である天照大神が夢を送って寝返らせたことになる。彼が寝返ることで、その噂を耳にするものから、同調するものを期待することが出来やう。。 八咫烏については、新撰姓氏録では、神魂命の孫、鴨建津之身命と定めている。鴨建津之身命の祖である神魂命とは、「出雲国造神賀詞」によれば、「高天（たかま）の神王（かぶろ）高御魂（たかみむすび）神魂（かみむすび）」の神魂命であり、「かみむすひ」と訓じており神皇産霊神と同一視しているが、本来は出雲の神である。鴨は阿遅須伎高孫根命の坐す倭の葛木であり、鴨建津之身命は、賀茂建角身命であり、皇孫に供奉して天降りし、神武天皇を案内し、倭の葛木に降り、山代に移ったとされる。「国譲り」以降葛木に居たと考へられ、影響力を有していたと想像できやう。 山中の行軍は、天孫降臨において、天忍日命（大伴連等の祖）と天津久米命（久米直等の祖）が武装して先導した形式を採っている。宇迦斯（うかし）は、すでに食糧に関するものとみた。山中における食糧調達も大きな問題であったらう。 神武天皇　東征（つづき） 故（かれ）、神倭伊波禮毘古命（かむやまといはれびこのみこと）、其地より迴（めぐ）り幸（い）でまして、熊野村に到りまししし時、大熊（おほくま）髮（ほの）かに出で入りてすなはち失せき。ここに神倭伊波禮毘古の命、倐忽（には）かに遠延（惑え）まし、また御軍（みいくさ）も皆惑（を）えて伏（ふ）しき【遠延（をえ）の二字、音を以てす】。この時熊野の高倉下（たかくらじ）【此は人の名】、一（ひと）ふりの横刀（たち）を齎（も）ちて、天つ神の御子の伏したまへる地（ところ）に到りて献（たてまつ）りし時、天つ神の御子、すなはち寤（さ）め起きて、「長く寢（ね）つるかも」と詔（の）りたまひき。故、その横刀を受け取りたまひし時、その熊野の山の荒（あら）ぶる神、自（おのづか）ら皆切り仆（たふ）さえき。ここに、其の惑（を）え伏せる御軍、悉に寤め起きき。 故、天つ神の御子、其の横刀を獲（え）し所由（ゆゑ）を問ひたまへば、高倉下、答へ曰（まを）ししく、「己（おの）が夢（いめ）に、天照大神、高木神、二柱の神の命（みこと）もちて、建御雷神を召（よ）びて、詔りたまひけらく、『葦原中国（あしはらのなかつくに）は伊多玖（いたく）佐夜藝帝（さやぎて）阿理祁理（ありけり）【此の十一字、音を以てす】。我が御子等（たち）不平（やくさ）みます良志（らし）【此の二字、音を以てす】。その葦原中国は、專（もは）ら汝（いまし）が言向（ことむ）けし国なり。故、汝、建御雷の神降るべし』とのりたまひき。ここに答へ曰（まを）ししく、、『僕（あ）は降らずとも、專らその国を平（ことむ）げし横刀（たち）あれば、この刀（たち）を降すべし【この刀の名は佐士布都（さじふつ）の神と云ひ、またの名を甕布都（みかふつ）の神と云ひ、またの名は布都御魂（ふつのみたま）。と云ふ。この刀は石上神宮に坐す】。この刀を降さむ状（さま）は、高倉下が倉の頂（むね）を穿（うか）ちて、それより墮（おと）し入れむ。故、阿佐米余玖（あさめよく；朝目吉く）【阿より下の五字、音を以てす】汝（なれ）取り持ちて、天つ神の御子に献れ』とまをしたまひき。故、夢の教への如（まにま）に、旦（あした）に己が倉を見れば、信（まこと）に横刀ありき。故、この横刀をもちて献りしにこそ」とまをしき。 ここにまた、高木大神の命（みこと）もちて、覚（さと）し白（まを）しけらく、「天つ神の御子をこれより奧つ方にな入り幸（い）でまさしめそ。荒ぶる神甚（いと）多（さは）なり。今、天（あめ）より八咫烏（やたがらす）を遣（つか）はさむ。故、その八咫烏引道（みちび）きてむ。その立たむ後（あと）より幸行（い）でますべし」とまをしたまひき。故、その教へ覚しの隨（まにま）に、その八咫烏の後より幸行（い）でませば、吉野河の河尻に到りましし時、筌（うへ）を作（ふ）せて魚（うを）を取る人ありき。ここに天つ神の御子、「汝（な）は誰ぞ」と問ひたまへば、「僕（あ）は国つ神、名は贄持（にへもつ）の子と謂ふ【こは阿陀の鵜飼の祖】」と答へて曰しき。其地（そこ）より幸行（い）でませば、尾（を）生（あ）る人、井（ゐ）より出で来たりき。その井に光ありき。ここに、「汝は誰ぞ」と問ひたまへば、「僕（あ）は国つ神、名は井氷鹿（ゐひか）と謂ふ【こは吉野首等の祖】」と答へ曰（まを）しき。すなはちその山に入りたまへば、また尾生る人に遇ひたまひき。この人、巖（いはほ）を押し分けて出で来たりき。ここに、「汝は誰ぞ」と問ひたまへば、「僕は国つ神、名は石押分（いはおしわけ）の子と謂ふ。今、天つ神の御子幸行（い）でましつと聞けり。故、に參向（まゐむか）へつるにこそ【こは吉野の国巣の祖】」と答へ曰しき。　其地より蹈み穿（うが）ち越えて、宇陀（うだ）に幸でましき。故、宇陀の穿（うがち）と曰（い）ふ。 　故、ここに宇陀に兄宇迦斯（えうかし）【宇より下の三字、音を以てす。下、これに效へ】、弟宇迦斯（おとうかし）の二人ありき。故、まづ八咫烏を遣（つか）はして、二人に問ひて曰ひしく、「今、天つ神の御子幸行でましつ。汝等（なれども）仕へ奉らんや」といひき。ここに兄宇迦斯、鳴鏑（なりかぶら）をもちてその使を待ち射返（いかへ）しき。故、その鳴鏑の落ちし地（ところ）を、訶夫羅前（かぶらざき）と謂ふ。待ち撃たむと云ひて軍（いくさ）を聚（あつ）めき。然れども軍を得聚（えあつ）めざりしかば、仕へ奉らむと欺陽（いつは）りて、大殿（おほとの）を作り、その殿内（とのうち）に押機（おし）を作りて待ちし時に、弟宇迦斯、まづ參向（まゐむか）へて拜（をろが）みて曰（まを）しけらく、「僕（あ）が兄、兄宇迦斯、天つ神の御子の使を射返し、待ち攻めむとして軍を聚むれども、得聚めざりしかば、殿を作り、其の内に押機を張りて待ち取らむとす。故、參向へて顕（あら）はし白（まを）しつ」とまをしき。ここに大伴連等（おほとものむらじら）の祖（おや）、道臣命（みちのおみのみこと）、久米直等（くめのあたへら）の祖、大久米命（おほくめのみこと）の二人、兄宇迦斯を召（よ）びて罵詈（の）り云ひけらく、「伊賀（いが；汝が）【此の二字、音を以てす】作り仕へ奉らる大殿の内には、意禮（おれ）【此の二字、音を以てす】まづ入りて、その仕へ奉らむとする状（さま）を明（あか）し白（まを）せ」といひて、すなはち横刀（たち）の手上（たがみ）を握（とりしば）り、矛（ほこ）由氣（ゆけ）【此の二字、音を以てす】矢刺（やざ）して、追ひ入るる時、すなはち己が作りし押（おし）に打たれて死にき。ここにすなはち控（ひ）き出（いだ）し斬り散（はふ）りき。故、其地（そこ）を宇陀（うだ）の血原（ちはら）と謂ふ。然（しか）してその弟宇迦斯が献りし大饗（おほみあへ）をば、悉にその御軍に賜ひき。この時に歌ひけらく 　宇陀能多加紀爾（うだのたかきに）　志藝和那波留（しぎわなはる）　和賀麻都夜（わがまつや）　志藝波佐夜良受（しぎはさやらず） 　伊須久波斯（いすくはし）　久治良佐夜流（くじらさやる）　古那美賀（こなみが）　那許波佐婆（なこはさば） 　多知曾婆能（たちそばの）　微能那祁久袁（みのなけくを）　許紀志斐惠泥（こきしひゑね）　宇波那理賀（うはなりが） 　那許婆佐婆（なこはさば）　伊知佐加紀（（いちさかき）　微能意富祁久袁（みのおほけくを）　許紀陀斐惠泥（こきだひゑね） 　疊疊（ええ）【音、引け】　志夜胡志夜（しやごしや）　（此は伊能碁布曾（いのごふぞ）　【此の五字、音を以てす】） 　阿阿（ああ）【音、引け】　志夜胡志夜（しやごしや）　（此は嘲咲ふぞ） 　宇陀の高城に　鴫罠張る　我が待つや　鴫は障らず 　いすくはし　鷹等障る　前妻が　肴乞はさば 　立ち柧の　実の無けくを　こきし削えね　後妻が 　肴乞はさば　厳榊　実の多けくを　こきだ削えね 　ええ　しやごしや　（こはいのごふぞ） 　ああ　しやごしや　（こはあざわらふぞ）　 　とうたひき。 所見1 紀国、熊野にはさまざまな入植者がみられる。素戔嗚尊と五十猛神を祭祀する族 「紀」は「記」の地神、海神の反撃や反感に関する記述が欠落しているとみたのであらう。名草における名草戸畔の誅殺、海神による暴風･難破、荒坂津での丹敷戸畔誅殺が加へられている。 紀伊續風土記(天保十年;1839年編纂 ）、名草郡第十二によれば、口須佐村、奧須佐村は須佐之男命 を祭祀し、伊太祈曾村は 五十猛命、屋都比賣（大屋津姫）神、都麻都比賣（抓津姫）神 を祭祀している。この三神は、須佐之男命が天に坐す時の御子であり、父と共に新羅に降り、出雲に木種を持ち帰り、この地へ来て植林をしたとされ、そのことは「紀」の一書に記されている。 これとよく似た伝承を持つのが宇佐の辛島氏である。素戔嗚尊、其の子五十猛神に連なる氏族としており（筑紫神社）、豊前国香春岳に移って新羅神を祀り（香春神社）、そののち豊国を経て宇佐に入ったとする。香春神社の祭神の第一座辛国息長大姫大目命は、「神代に唐土の経営に渡らせ給比、崇神天皇の御代に帰座せられた」とあり、渡来系で大仏の鋳造に貢献しており、金属加工技術者を抱えていた氏族である。 また、辛嶋氏の伝承によれば、大御神は、欽明天皇の御世に辛国宇豆高嶋（からくにうづたかしま、大隅国蘇於峯）に天降り、続いて大和国膽吹（いぶき）嶺・紀伊国名草浜、吉備宮神嶋、周防国佐波由良門、伊予国宇和郡、豊後国国崎郡、安岐郷奈多浜海中大石、奈多松本、安岐林、奈保利郡、肥前国高知保、豊前豊後国境田布江、豊前国宇佐郡鷹居、郡瀬、大弥河、酒井、乙�刀A馬木峯、安心院、小山田、菱形山に移り、そこから豊前国宇佐郡馬城嶺（御許山）に始めて顕現されたとする（「『八幡宇佐宮御託宣集』 託宣･示現 年表」山口大学及び八幡寺成立史、逵　日出典著）。 つまり、九州、瀬戸内海、大和、紀伊（名草）を巡るルートであり、素戔嗚尊、五十猛神を祖とする族の分布とみられる。欽明天皇の御世には、仏教が伝来しており、仏教導入を図る蘇我氏と神代の伝統を護持する物部氏が各地で勢力を争っていた。素戔嗚尊、五十猛神、大国主神を崇敬する系統は物部氏に傾いたであらう。ただ、出雲においても、物部氏に付く族もあれば、蘇我氏に付く族もあり、両者共に付かず出雲の伝統を護持するものもあり、決めつけてかかることはできない。 所見2　伊奘冉、伊奘諾、素戔嗚を祭祀する族 高倉下を祭祀する族、広域の連携 熊野速玉大社は、一宮が熊野夫須美大神、二宮が熊野速玉大神で、上倉神社を摂社としている。 「紀」の一書に、「伊奘冉尊、火神を生む時に、灼かれて神退去りましぬ。故、紀伊国の熊野の有馬村に葬りまつる。土俗、此の神の魂を祭るには、花に時には亦花を以て祭る。又鼓吹幡旗を用て、歌ひ舞ひて祭る」とあった。花窟神社の祭神であり、伊弉冉尊は万物をお産みになられた母神であり、「熊野夫須美神」、「産；むすび」の神とされる。伊奘冉尊は黄泉の国の住人となり、黄泉の国への出入り口は出雲の黄泉比良坂とされるが、熊野では花窟にあたる。 速玉の語源は、「紀」の一書、伊奘冉尊が伊奘諾尊と決別するに当り、「唾（つば）く神を号（なづ）けて速玉之男（はやたまのを）と曰す。次ぎに掃（はら）ふ神を、泉津事解之男（よもつことさかのを）と号（なづ）く」とある。速玉大神を伊奘諾尊とみなす転移が起っている。 伊弉冉尊伝承を奉じる族がこの地に祭祀をしたものと思はれる。 出雲国造神賀詞には、「伊射奈伎乃日真名子（いざなきのひまなご）加夫呂伎（かぶろぎ）熊野大神（くまののおほかみ）櫛御気野命（くしみけのみこと）」とあり、出雲国意宇郡山口郷に降りられた伊奘諾尊の子、櫛御気野命が家都御子神（けつみこのかみ）とみなされ、素戔嗚尊と転化している。阿須賀稲荷神社では、古くは三狐神（みけつかみ）を祀っていたとあり、本来は「御饌津神」、食物の神であり、お稲荷様に転化している。古語で狐を「けつ」といふ、家都（けつ）御子も本来は狐でなく食物の神で櫛御気野命（食物神）とみなされていたのであらう。 元来はコトビキ岩に降りた神（不詳）を祭祀したものが、新たな宮に遷座され、新宮では夫須美大神（伊奘冉尊）、速玉大神（伊奘諾）、家都御子神（素戔嗚）が祭祀され、出雲系の影響がみられる。神武東征以来、コトビキ岩の地には高倉下が降りたとされ、物部氏の影響があろう。後に仏教との習合により新宮の神々は熊野権現とされた。 応保2年(1162) に、藤原忠重と本宮側と荘園に関する紛争（紀伊熊野神社社領八代荘停廃事件）となり、長寛元年（1163）に、明法博士の中原業倫が裁定のために集成した「長寛勘文」に記されている「熊野権現御垂迹縁起」にその様が知られる。 王子信（晋）は周朝の第23代・霊王(前571〜545)の王子とあり、天台宗の地主神が鎮西日子乃山峰(5年)、伊予国乃石鎚乃峰（6年）、淡路国乃遊鶴羽乃峰（6年）、紀伊国牟婁郡切部山(57年)、上倉山（61年）、石淵谷（13年）の降り、名を結玉家津美御子という。大斎原の三本の櫟(いちい)の木に三つの月がつき、8年後に、猟師がその木に月があり、月は「我は熊野三所権現であり、一社は証誠大菩薩という、二枚の月は両所権現である」と答へた、とする。九州、四国、淡路島、紀伊、熊野に広がりを持つ族の影響もみえる。 平安時代中期の聖徳太子伝暦に、太子が四十七歳の時に、妃に、自分は今まで中国の衝山で法華経を学び修行を重ね、五度生まれ変わり、東海に仏法を伝播するためにここに生まれ出た、今が六回目で、いよいよ七回目を迎へようとしていると語ったという話があり、さやうな仏教輪廻の風潮がみられる。 降臨の時は、 神武東征を考えれば、甲寅年は（547BC)となる。唐の天台宗となれば618年以降、甲寅年は654年+60Xとなり孝徳天皇以降となる。様々な伝承が組み込まれ年代がどうとでもとれるやうになっている。 熊野権現御垂迹縁起 「往昔甲寅年唐乃天台山乃王子信舊跡也。日本国鎮西日子乃山峰雨降給。其躰八角奈留水精乃石。高佐三尺六寸奈留仁天。天下給布。次五ヶ年乎経天。戊午年伊予国乃石鎚乃峰仁渡給。次六年乎経弖。甲子年淡路国乃遊鶴羽乃峰仁渡給。次六箇年過。庚午年三月廿三日紀伊国無漏郡切部山乃西乃海乃北乃岸乃玉那木乃淵農上乃松木本渡給。次五十七年乎過。庚午年三月廿三日熊野新宮乃南農神蔵峰降給。次六十一年庚午年新宮乃東農阿須賀乃社乃北石淵乃谷仁勧語静奉津留。始結玉家津美御子登申。二宇社也。次十三年乎過弖。壬午年本宮大湯原一位木。三本乃末三枚。月形仁天天降給。八箇年於経。庚寅農年石多河乃南河内乃住人熊野部千与定土云犬飼。猪長一丈五尺奈留射。跡追尋弖石多河於上行。犬猪乃跡於聞弖行仁。大湯原行弖。件猪乃一位農木乃本仁死伏世和。宍於取弖食。件木下仁一宿於経弖。木農末月乎見付弖。問申具。何月虚空於離弖木乃末仁波御坐止申仁。月犬飼仁答仰云。我乎波熊野三所権現止所申。一社乎証誠大菩薩土申。今二枚月乎者両所権現土奈牟申仰給布云々。 往昔（むかし）甲寅年に唐の天台山の王子信が舊跡なり。日本国の鎮西の日子乃山の峰に雨降（あめくだ）り給ふ。其の躰は八角なる水精の石。高さ）三尺六寸なるにて、天下り給ふ。次に五ヶ年をへて、戊午年に伊予国の石鎚の峰に渡り給ふ。次に六年をへて、甲子年に淡路国の遊鶴羽の峰に渡り給ふ。次に六箇年過ぐ。庚午年の三月廿三日に紀伊国無漏郡切部山の西の海の北の岸の玉那木の淵の上の松木本に渡り給ふ。次に五十七年を過ぎ、庚午年の三月廿三日に熊野新宮の南の神蔵峰に降り給ふ。次に六十一年庚午年に新宮の東の阿須賀の社の北石淵の谷に勧ご静奉つる。始め結玉家津美御子と申す。二宇社なり。次に十三年を過ぎて、壬午年に本宮大湯原一位木。三本の末の三枚。月形にて天降り給ふ。八箇年をへ、庚寅の年に石多河の南河内の住人熊野部千与定と云ふ犬飼。猪長一丈五尺なる射て、跡追ひ尋て石多河を上に行く。犬猪の跡を聞きて行くに、大湯原に行きて、件の猪の一位の木の本に死伏せわ、宍を取りて食ふ。件の木下に一宿をへて、この末月を見付けて、問ひて申さく、何ぞ月は虚空を離れてこの末には御坐すと申すに、月犬飼に答仰せて云ふ。我をば熊野三所権現と申す所。一社を証誠大菩薩と申す。今二枚月をば両所権現となむ申し仰せ給ふ云々」。 所見3　紀伊、熊野への来訪者 徐福来訪伝説は各地にあるが、新宮では、 初代紀州藩主・徳川頼宣が徐福の墓と七人の臣の塚の建設の計画をし、百年後に現在の地に建設されている。農耕、漁法、捕鯨、造船、紙すき、焼き物、土木、医薬などの新技術はすべて徐福から伝えられたものだとされてきた（徐福伝説 in 熊野）といふ。秦時代の中国の技術が伝へられたとするものであり、中国で枯渇した水銀（辰砂；不老不死薬製造に不可欠と考へられた）を求めるものでもあった。 辰砂を産出する水銀鉱床は日本列島各地に分布するが、多くは西南日本の中央構造線付近に集中している。 その地域には、丹生、丹生川、丹生神社が分布している。辰砂の採取を司る丹生氏は、水銀製錬・鍍金の技術を持っていなかった。この技術を持ち込んできたのは秦氏である（丹生の民俗：神奈備）。丹朱とも呼ばれ、朱は呪術具、錆止め、防腐に用ゐられ、縄文時代の丹生池ノ谷遺跡、松阪市天白遺跡や度会町森添遺跡などから朱彩土器や朱が付いた磨石･石皿などが出土する。船の底に防腐剤として用いることから海人族には必須のものであり、紀伊や熊野には早くから山師と呼ばれる渡来人が採掘に携はっていたとされる。 小野田家に伝はる伝説で、名草戸畔が長身であったという説から、『大和王朝の水軍〜神武移住団と結んだポリネシアンの秘史』の著者、中島洋氏が、遠洋航海技術に長けたポ リネシア人が、カヌーで紀伊半島に渡ってきたといふ説を述べておられる（名草戸畔　なぐさとべ Blog） 。
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