譽田天皇 應神天皇
十九年冬十月戊戌朔（AD288.10.01） 》》
廿年秋九月（AD289.09） 》》
廿二年春三月甲申朔戊子（AD291.03.05） 》》
廿五年（AD294） 》》
.
廿八秋九月（AD297.09） 》》
卅一年八月（AD300.08） 》》
卅七年春二月戊午朔（AD306.02.01） 》》
卅九年春二月（AD308.02） 》》
卌年春正月辛丑朔戊申（AD309.01.08） 》》
卌年春二月甲午朔戊申（AD310.02.15） 》》
(岩波文庫 日本書紀 坂本太郎･家永三郎･井上光禎･大野晋 校注 を読む。)
本文に使用した漢字テキストについては古代史獺祭からダウンロードさせていただいている。
譽田天皇（ほむたのすめらみこと） 應神天皇（おうじんてんわう）
十九年冬十月戊戌朔 幸吉野宮 時國樔人來朝之 因以醴酒 獻于天皇 而歌之曰 伽辭能輔珥 豫區周塢菟區利 豫區周珥 伽綿蘆淤朋瀰枳 宇摩羅珥 枳虚之茂知塢勢 磨呂俄智 歌之旣訖 則打口以仰咲 今國樔獻土毛之日 歌訖卽撃口仰咲者 蓋上古之遣則也 夫國樔者 其爲人甚淳朴也 毎取山菓食 亦煮蝦蟆爲上味 名曰毛瀰 其土自京東南之 隔山而居于吉野河上 峯嶮谷深 道路狹𪩘 故雖不遠於京 本希朝來 然自此之後 屢參赴以獻土毛 其土毛者 栗・菌及年魚之類焉
十九年の冬十月（かむなづき）の戊戌（つちのえいぬ）の朔（ついたちのひ）（AD288.10.01）に、吉野宮（よしののみや）に幸（いでま）す。時に国樔人（くずひと）来朝（まうけ）り。因（よ）りて醴酒（こざけ）を以（も）て、天皇（すめらみこと）に献（たてまつ）りて、歌（うたよみ）して曰（まう）さく、
伽辭能輔珥（かしのふに） 豫區周塢菟區利（よくすをつくり） 豫區周珥（よくすに） 伽綿蘆淤朋瀰枳（かめるおほみき） 宇摩羅珥（うまらに） 枳虚之茂知塢勢（きこしもちをせ） 磨呂俄智（まろがち）
橿（かし）の生（ふ）に 横臼（よくす）を作（つく）り 醸（か）める大御酒（おほみき） うまらに 聞（きこ）し持（も）ち食（を）せ まろが父（ち）
歌既に訖（をは）りて、則（すなは）ち口を打ちて仰（あふ）ぎて咲（わら）ふ。今国樔（くずひと）、土毛（くにつもの）献る日に、歌訖（うたよみをは）りて即（すなは）ち口を撃（う）ち仰ぎ咲ふは、蓋（けだ）し上古（いにしへ）の遣則（のり）なり。夫（そ）れ国樔は、其の爲人（ひととなり）、甚（はなは）だ淳朴（すなほ）なり。毎（つね）に山の菓（このみ）を取りて食（くら）ふ。亦（また）蝦蟆（かへる）を煮上味（よきあぢはひ）とす。名けて毛瀰（もみ）と曰ふ。其の土（くに）は京（みやこ）より東南（たつみのすみ）、山を隔（へだ）てて、吉野河（よしののかは）の上（ほとり）に居り。峯（たけ）嶮（さが）しく、谷深くして、道路（みち）狹（さ）く𪩘（さが）し。故（このゆゑ）に、京に遠（とほ）からずと雖も、本より朝来（まうく）ること希（まれ）なり。然（しか）れども此（これ）より後、屢（しばしば）参赴（まうき）て、土毛（くにつもの）を献る。其の土毛は、栗（くり）・菌（たけ）及び年魚（あゆ）の類（たぐひ）なり。
古事記に曰く、「また吉野（よしの）の國主等（くずども）、大雀の命の佩（は）かせる御刀（みたち）を瞻（み）て歌ひけらく、
品陀（ほむた）の 日の御子 大雀（おほさざき） 大雀 佩（は）かせる大刀（たち） 本（こ）つるぎ 末（すゑ）ふゆ 冬木（ふゆき）如（の）す からが下樹（したき）の さやさや
とうたひき。また吉野の白檮上（かしのふ）に横臼（よくす）を作りて、その横臼（よくす）に大御酒を釀（か）みて、その大御酒を獻りし時、口鼓（くちつづみ）を撃（う）ち、伎（わざ）をなして歌ひけらく、
白檮（かし）の上（ふ）に 横臼（よくす）を作り 横臼（よくす）に 釀みし大御酒（おほみき） うまらに 聞こしもち食（を）せ まろが父
とうたひき。この歌は、國主等（くずども）大贄（おほにへ）を獻る時時、恆に今に至るまで詠（なが）むる歌なり（岩波文庫）。」
神日本磐余彦天皇（神武天皇）が、「菟田の穿邑より、親ら軽兵を率ゐ巡り幸ます。吉野に至る時、人有りて井の中より出ず。光りて尾有り。天皇、之を問ひて曰す。”汝は何人ぞ。”対へて曰す。”臣は是れ国神、名を井光と為ふ。”此れ則ち吉野の首部が始祖なり。更少し進み。亦尾有りて磐石を披けて出る者 天皇之に問ひて曰す。”汝は何人ぞ。”對へて曰す。”臣は是れ磐排別之子。”【排別 此云飫時和句】此れ則ち吉野の国樔部が始祖なり」とあった。壬申の乱で大海人皇子を支へた民である。その出自が神日本磐余彦天皇期に求められたことはすでにみた（書紀巻3）。
延喜践祚大嘗祭式などに、吉野国栖が大嘗祭及び諸節会に御贄を献じ、歌笛を奏したことがみえるが、ここにそれが登場させられた。書紀は、吉野宮に幸す後に、国樔人来朝とし、献りて、歌して曰す相手は天皇とするが、古事記は恒例行事として記しており、その場に同席した大雀命に焦点をあてた歌を先行させている。
大雀命の 佩かせる太刀を見て、本の方は鋭利、末は切っ先、氷のやうに冴えている。冬木のごとき（枕詞）幹下に生えた小さな木のやうに、さやさやとそよぐ、清明である、と注されている（岩波文庫）。佩（は）くは着（つ）けるで抜刀しておらず、その刃が鋭利とか切っ先が冴えているといふは妙である。本は剣であるが、末は冬の枯れ木のごとき幹（枝が分かれている）、さやは刀の鞘でもあり、さやさや揺れている。”ふゆ”は振ると冬がかかっており、大雀命に対する魂振り。大雀命の佩かせる太刀を七支刀に見立てており、そこに神威が降りて、鞘が振れている。書紀は、このシーンをカットした。
醴酒は和名抄に「古佐介、一日一宿酒也」、延喜造酒司式に、「醴酒者、米四升、蘖（かうぢ）二升、酒三升、和合醸造、得醴九升」、歌謡は、「橿の林で横臼を作り、その横臼にかもした大御酒を、おいしく召し上がれ。わが父」と注される。生（ふ）はよく生い茂ること。生気溢れた橿の林で、皆で米を口にほおばり、噛んでは横長の臼に吐き出す、そうして醗酵させた酒。”うまらに”はおいしく、”聞こしもち食せ”は飲む、食ふの尊敬体、”まろ”は一人称。その口を手で打ちて上を向いて笑ふ。
それは昔のこと、今では土毛、栗・菌及び年魚の類(『日本書紀』の中の国樔人、HP)とあり、土地の産品を献上して、口を撃ち仰ぎ咲ふ。木の実を食ひ、蛙を煮て食ふ（毛瀰）、この吉野宮への巡幸以降この歌舞が定着したとする。この民が、壬申の乱で大海人皇子に如何なる協力をしたのかは、その時にみることとする。
廿年秋九月 倭漢直祖阿知使主 其子都加使主 並率己之黨類十七縣 而來歸焉
二十年の秋九月（ながづき）（AD289.09）に、倭漢直（やまとのあやのあたひ）の祖（おや）、阿知使主（あちのおみ）、其の子、都加使主（つかのおみ）、並（なら）びに己が党類（ともがら）十七県（とをあまりななつのこほり）を率（ゐ）て、来帰（まうけ）り。
頭が混乱する、書紀は百済王が遣した阿直伎と、党類十七県を率ゐて帰化してきた阿知使主とその子の都加使主を別としている。阿直岐（伎）は馬飼ひ役として派遣されたものであり、能く経典が読めたが、これに関しては書首等の始祖（西文、河内書：かふちのふみ氏）となった王仁が本命となる。阿直岐は阿直岐史の始祖にすぎず、倭漢直の祖となるのは五年後に帰化してきた大グループを率ゐた阿知使主、都加使主等といふ。
書紀は慎重に、弓月の君のグループを意識し、それに対応する動きを記してバランスをとった。先に見た坂上田麻呂等の上表では、「七姓の民を携へて、帰化、来朝す」とあった。阿知使主は阿智王であり、阿直伎ではない。姓氏録第廿三巻に、「七姓第一は段。これは高向村主、高向史、高向調使、評首、民使主首等の祖なり。次、李姓。これ刑部史の祖なり。次、皂郭姓。これは坂合部首、佐大首等の祖なり。次、朱姓。これは小市、佐奈宜等の祖なり。次、多姓。これは檜前調使等の祖なり。次、皂姓。これは大和国宇太郡、佐波多村主、長幡部等の祖なり。次、高姓。これは檜前村主の祖なり」、いわゆる東文（倭漢書：やまとのふみ）氏。上表では、高麗（高句麗）と百済の間、帯方郡から逃れてきた漢人と称していた。姓氏録では、高麗（高句麗）、百済、新羅等の国に遍在していたが、大鷦鷯天皇（諡仁徳）の御世に来朝し、檜前に居を賜ひ、今来郡（後の高市郡）をたて、諸国にひろがり、摂津、参河、近江、播磨、阿波等、漢人の村主、是なり、と大鷦鷯天皇の時代のこととしている。
二つの大グループの来朝は、半島側に、そこに居り難い事情があり、日本（やまと）側にそれを受け容れる力のある政権があることが前提となることをよく認識していた。
廿二年春三月甲申朔戊子 天皇幸難波 居於大隅宮
丁酉 登高臺而遠望 時妃兄媛侍之 望西以大歎 【兄媛者 吉備臣祖御友別之妹也】 於是 天皇問兄媛曰 何爾歎之甚也 對曰 近日 妾有戀父母之情 便因西望 而自歎矣 冀暫還之 得省親歟 爰天皇愛兄媛篤温凊之情 則謂之曰 爾不視二親 旣經多年 還欲定省 於理灼然 則聽之 仍喚淡路御原之海人八十人爲水手 送于吉備
二十二年の春三月（やよい）の甲申（きのえさる）の朔戊子（つちのえねのひ）（AD291.03.05）に、天皇（すめらみこと）、難波（なには）に幸（いでま）して、大隅宮（おほすみのみや）に居します。
丁酉（ひのとのとりのひ）（03.14）に、高台（たかどの）に登りましまして遠（はるか）に望（みそなは）す。時に、妃（みめ）兄媛（えひめ）侍（はべ）り。西（にしのかた）を望（おせ）りて大（おほ）きに歎（なげ）く。【兄媛は、吉備臣（きびのおみ）の祖（おや）、御友別（みともわけ）の妹（いろも）なり。】是（ここ）に、天皇、兄媛に問ひて曰（のたま）はく、「何（など）か爾（いまし）歎くこと甚しき」とのたまふ。対（こた）へて曰（まう）さく、「近日（このごろ）、妾（やつこ）、父母（かぞいろは）を恋い（おも）ふ情（こころ）有（はべ）り。便（すなは）ち西望るに因りて、自（おの）づからに歎（なげ）かれぬ。冀（ねが）はくば暫（しばら）く還（かへりまか）りて、親（おや）省（とぶら）ふこと得（え）てしか」とまうす。爰（ここ）に天皇、兄媛が温凊之情（おやおもふこころ）篤（あつ）きことを愛（め）でて、則ち謂（かた）りて曰（のたま）はく、「爾（いまし）二親（かぞいろは）を視（み）ずして、既に多（さは）に年を経（へ）たり。還りて定省（とぶら）はむと欲（おも）ふこと、理（ことわり）灼然（いやちこ）なり」とのたまふ。則ち聴（ゆる）したまふ。仍りて、淡路（あはぢ）の御原（みはら）の海人（あま）八十人（やそたり）を喚（め）して水手（かこ）として、吉備に送（つかは）す。
いきなり、「幸難波、居」であり、何時造営をしたのかわからない。すでに建物があり、それを大隅宮と称したとでもならうか。大隅宮の場所は、摂津志に、「西成郡大隅宮、古蹟在西大道村」とあるが地名辞書は西成郡北中島東部（今、大阪市東淀川区大桐町：地図）」と注される。「淀川の出口に、古代には大隅島というのがありました。明治一八年の大洪水の時にでも、２キロ四方ほどは水没しなかった。ここが大隅島です。その真ん中に大隅神社がある。河岸には銅鐸が出たり、九州的な銅矛が出た有名な江口がある。それから弥生時代の、鉄製の環状の頭がついた素環頭の刀が出たりする。小さな島だけど、早くからいろんな地域の文化や、人々の集まるところです。ここが『日本書紀』による応神天皇の大隅宮があったところとなっている。 近畿地方には近江や河内などの隼人が分注しているし、特に山城には大量の隼人がいる。大隅島は近畿の隼人の要のやうな土地、九州の隼人の中継地のやうな所ではないかと見ている[『馬．船・常民』隼人と馬（森浩一氏]）」とされ、随分と賑わっていた土地であったらう。隼人とは、「諸の隼人等、今に至りて天皇の宮墻の傍を離ず。代に吠ゆる狗にして奉事る者なり。世人、失たる針を債らぬはこれその縁なり。・・・延喜隼人式に規定があり、元日即位の儀、外国使臣の入朝の際、隼人は官人に率いられて応天門外の左右に分陣する。番上の隼人ニ十人、今来の隼人ニ十人、白丁の隼人百三十ニ人で、群官が初めて入って来る時、今来の隼人が吠声を発すること三節。天皇の遠い行幸には、大衣二人、番上隼人四人、今来隼人十人で騎馬や歩行で供奉する。国の境界や山川道路の曲がり角で今来隼人が吠声を発する。・・・薩摩隼人ばかりでなく、畿内、近江、丹波、紀伊にも隼人が住みつく（書紀巻２）」とあった。これはその宮が置かれる発端となった話である。
三年には蝦夷、六年には近江、木幡を固め、以降半島との往来、渡来人の帰化により軽の地、河内を活性化させ、九年には筑紫、十三年には日向を見据えた桑津邑、そして二十二年は吉備を視野に置き難波へと、大阪湾の方向に意識が向ってきている。
さて、また頭痛が起こる。足仲彦天皇（仲哀天皇）の九年（AD200）に熊襲国征伐を可能にしたのが吉備臣の祖、鴨別であった（書紀巻9）。真金吹く吉備国、その製鉄鋳造、製塩技術が背景にあった。鴨別は、書紀では、日本武尊の東征に従軍し越に向かった吉備武彦の子。吉備武彦は、吉備臣の始祖稚武彦命。その子が、御友別と兄媛であり、鴨別は御友別の弟とされ、すでに90年を経たことになり、三人共大変な老爺、老婆となる。恋ふ父とは稚武彦命、大日本根子彦太瓊天皇（孝靈天皇）と絚某弟（書紀巻4）の子。片や干支ニ運（120年）進めて411年の半島の世界と交渉し、片や吉備平定（書紀巻5）後あたりの媛とデート、タイムマシーンでもなくばどうしやうもない。
妃兄媛とあるが、婚姻関係にあるやうではなく、一書で諸県君牛が髪長媛を貢上ったやうに、御友別が貢上り、難波に天皇を引っ張り出していたのかもしれない。省は、かえりみる、安否を問うこと、定省は、晩にはその寝具をととのえ、朝には安否を尋ねること、と注される。”とぶらう”、訪問して見舞う、安否を問ふこと、と訓じている。温凊之情は、禮記、曲禮の、「凡為人子之禮冬温夏凊定而晨省：冬暖かく、夏涼しく、宵に整へ朝に伺ふ」とあるによる、と注される。淡路の御原（三原：南あわじ市、阿万・福良地区、地図）の海人、海峡における潮の流れを心得ねば航行は難しく、ここの海人の協力を得ることが必要とされたのであらう。八十人の水手が動員される船は如何なるものであったのか？伊豆国で十丈（約30ｍ）の船（軽野船）を造らせた、とあった。親孝行の兄媛を吉備に返した。論語の世界が導入されているのかもしれない。
夏四月 兄媛自大津發船而往之 天皇居高臺 望兄媛之船以歌曰 阿波旎辭摩 異椰敷多那羅弭 阿豆枳辭摩 異椰敷多那羅弭 豫呂辭枳辭摩之魔 嚢伽多佐例阿羅智之 吉備那流伊慕塢 阿比瀰菟流慕能
秋九月辛巳朔丙戌 天皇狩于淡路嶋 是嶋者横海 在難波之西 峯巖紛錯 陵谷相續 芳草薈蔚 長瀾潺湲 亦糜鹿・鳧・鴈 多在其嶋 故乘輿屢遊之 天皇便自淡路轉 以幸吉備 遊于小豆嶋
庚寅 亦移居於葉田【葉田 此云簸娜】葦守宮 時御友別參赴之 則以其兄弟子孫爲膳夫而奉饗焉 天皇 於是 看御友別謹惶侍奉之狀 而有悦情 因以割吉備國 封其子等也 則分川嶋縣封長子稻速別 是下道臣之始祖也 次以上道縣 封中子仲彥 是上道臣・香屋臣之始祖也 次以三野縣 封弟彥 是三野臣之始祖也 復以波區藝縣 封御友別弟鴨別 是笠臣之祖也 卽以苑縣 封兄浦凝別 是苑臣之始祖也 卽以織部 賜兄媛 是以 其子孫 於今在于吉備國 是其緣也
夏四月（うづき）（AD291.04）に、兄媛（えひめ）、大津（おほつ）より発船（ふなだち）して往（まか）りぬ。天皇、高台に居（ま）しまして、兄媛が船を望（みそなは）して、歌（うたよみ）して曰（のたま）はく、
阿波旎辭摩（あはぢしま） 異椰敷多那羅弭（いやふたならび） 阿豆枳辭摩（あづきしま） 異椰敷多那羅弭（いやふたならび） 豫呂辭枳辭摩之魔（よろしきしましま） 嚢伽多佐例阿羅智之（だかたされあらちし） 吉備那流伊慕塢（きびなるいもを） 阿比瀰菟流慕能（あひみつるもの）
淡路嶋（あはぢしま） いやニ並（ふたなら）び 小豆嶋（あづきしま） いや いやニ並（ふたなら）び 寄（よ）ろしき嶋嶋（しましま） 誰（た）かた去（さ）れ放（あら）ちし 備（び）なる妹（いも）を 相見（あひみ）つるもの
秋九月（ながづき）の辛巳（かのとのみ）の朔（ついたち）丙戌（ひのえいぬのひ）（AD291.09.06）に、天皇（すめらみこと）、淡路嶋（あはぢしま）に狩（かり）したまふ。是（こ）の嶋は海に横（よこたは）りて、難波（なには）の西（にしのかた）に在（あ）り。峯（たけ）巖（いはほ）紛（まよ）ひ錯（まじ）りて、陵谷（をかたに）相続（あひつづ）けり。芳草（かうばしきくさ）薈（しげ）く蔚（もく）くして、長瀾（たかきなみ）潺（そそ）き湲（なが）る。亦（また）糜鹿（おほしか）、鳧（かも）、鴈（かり）、多（さは）に其の嶋に在り。故（かれ）、乗輿（すめらみこと）、屢（しばしば）遊びたまふ。天皇、便（すなは）ち淡路より転（めぐ）りて、吉備に幸（いでま）して、小豆嶋（あづきしま）に遊びたまふ。
庚寅（かのえとらのひ）（09.10）に、亦葉田（はだの）【葉田 此をば簸娜（はだ）と云ふ】葦守宮（あしもりのみや）に移（うつ）り居（ま）します。時に、御友別（みともわけ）参赴（まうけ）り。則（すなは）ち其の兄弟（いろねいろど）子孫（うみのこ）を以て膳夫（かしはで）として饗奉（みあへつかへまつ）る。天皇、是（ここ）に、御友別が謹惶（かしこま）り侍奉（つかへまつ）る状（かたち）を看（みそなは）して、悦びたまふ情（みこころ）有（ま）します。因（よ）りて吉備国（きびのくに）を割（さ）きて、其の子等（こども）に封（ことよ）さす。則ち川嶋県（かはしまのあがた）を分ちて、長子（このかみ）稲速別（いなはやわけ）に封（ことよ）さす。是（これ）、下道臣（しもつみちのおみ）の始祖（はじめのおや）なり。次に上道県（かみつみちのあがた）を以て、中子仲彦（なかつこなかつひこ）に封さす。是、上道臣（かみつみちにおみ）、香屋臣（かやのおみ）の始祖（はじめのおや）なり。次に三野県（みののあがた）を以て、弟彦（おとひこ）に封さす。是、三野臣（みののおみ）の始祖なり。復、波区芸県（はくぎのあがた）を以て、御友別が弟（いろど）鴨別（かもわけ）に封さす。是、笠臣（かさのおみ）の始祖なり。即（すなは）ち苑県（そののあがた）を以て、兄（いろね）浦凝別（うらこりわけ）に封さす。是、苑臣（そののおみ）の始祖なり。即ち織部（はとりべ）を以て、兄媛に賜ふ。是（ここ）を以て、其の子孫（うみのこ）、今に吉備国に在り。是（これ）、其の縁（ことのもと）なり。
大津は難波の津とされる。兄媛が吉備に帰るのを天皇が高台から見送られた。髪長媛も兄媛も手中に残らない誉田天皇（應神天皇）である。「淡路島は小豆島と二つ並んでいる｡私が立寄りたいやうな島島は､皆二つ並んでいるのに､私は独りにされてしまった｡誰が遠くへ行き去らしてしまったのだ｡吉備の兄媛を､折角親しんでいたものを」と注される。淡路嶋（天皇）は、いや二つ並ぶ小豆嶋（兄媛）と一緒で、二つ並んで 寄（よ）り添ってはじめて良（よ）い嶋と嶋。”あらち”は離（あ）るからくる、放ちとしている。た去の”た”は動詞の接頭語で調子を整へる、あるいは～のために。備は吉備の備、妹は兄媛のこと。誰が何のために兄媛を奪ったのか。お互い見つめあっていたものを。髪長媛とは比較にならぬほど、別離を惜しまれた。
峰の岩が入り交はり、丘や谷が続き、芳い香のする草がよく茂り、高い波が岩肌を濯ぎ流す、といふは陸路で横断し御原（三原）へ入るとならう。天皇を乗輿と記しており、その間、糜鹿、鳧、鴈がよく現れ、狩も楽しまれた。伊奘諾尊、伊奘冉尊が最初に生まれた洲（国生み）が淡路（島）（書紀巻1）、伊奘諾尊が幽宮を構へ（書紀巻1）、しづかに長く隠れておられたのが淡路の洲（淡路国津名郡多賀村、伊佐奈伎神社：神奈備）でもあった。
活目入彦五十狹茅天皇（垂仁天皇）三年の条（書紀巻6）に、「天日槍、艇に乘りて播磨国に泊りて、宍粟邑に在り。時に」「天日槍に詔して曰はく、"播磨国の宍粟邑と淡路島の出淺邑と、是の二つの邑は、汝、任意に居れ。"」と述べたごとく、淡路は古くからの直轄地であったと思はれる。足仲彦天皇（仲哀天皇）二年の条（書紀巻8）に、「淡路屯倉を定む。」とされた。
淡路嶋に狩するは、その後に吉備で兄媛に会ひ、連れ立って、小豆嶋に遊ぶと足が伸びる。吉備側としても、実は、これが狙いであったらう。四日後には、葉田、葦守宮に居られた。「葉田は地名辞書に備中国賀夜郡服部郷（岡山県総社市東部とするが確かでない。）葦守は和名抄の備中国賀夜郡足守（安之毛利）の地、（今、岡山県吉備郡足守町）か」と注される。葦守八幡宮（岡山市北区下足守466：地図）が「葦守宮」跡といふ。葉田は、、『岡山県通史』 （永山卯三郎著）によれば、「旭川・高梁川の両川の河口近く発達した沖積層一帯の平野」とされ（平野の拡大は、岡山県の砂防の歴史を参照）、これ簸娜（はだ）と云ふについて、秦氏は、「『姓氏録』でも別に波陀（はだ）としるしているし、『古語拾遺』 でも波陀という字を使っている。・・・なお、『和名抄』の「秦原郷」、『日本書紀』の「葉田」・「簸娜郷」、更には現在の総社市「秦」などが、すべて「ハタ」でなく「ハダ」と発音されている。（古代備中国の中枢部と秦氏：薬師寺 慎一）」ごとく、この地に居住しており、京都の嵐山の「大堰川」、「大きな堰（せき）」を築いたのが秦氏であるごとく、高梁川をせき止める湛井堰を築いたのもこの地の秦氏であらうとみておられる。この平野については吉備の穴海（岡山の地盤）と称され、この時代吉備津のあたりまで海であったとされる。
吉備津に上陸して足守川をさかのぼると葦守宮に至る。待ってましたとばかりに出てきたのが御友別、兄弟、子孫をあげて天皇一行を饗奉った。吉備国を割きて、其の子等に封さす、とはどういふことか？御友別と兄弟と兄媛は吉備津彦（吉備武彦、若建吉備津日子、稚武彦命）の子であり、吉備国の成立の過程からも、世代的にも読者の頭は混乱する。
（『和名鈔』に見える美作・備前・備中の郡名と郷名：薬師寺 慎一 編に詳しい。）
御友別
長子、稻速別
川嶋県：下道臣の始祖
備中国下道郡、総社市西半、倉敷市北
中子、仲彦
上道県：上道臣、香屋臣の始祖
備前国上道郡、岡山市東半、備中国賀夜郡、総社市東半
弟彦
三野県：三野臣の始祖
備前国御野郡、岡山市北半、旭川以西
鴨別（弟）
波區藝県：笠臣の祖
未詳：笠岡市？
浦凝別（兄）
苑県：苑臣の始祖
備中国下道郡、曾能郷、倉敷市北
兄媛
織部
吉備は磐余彦尊（神武天皇）が高嶋宮で三年船や兵食を養った地、御間城入彦五十瓊殖天皇（崇神天皇)の時、四道将軍の一人吉備津彦が派遣された地、吉備津彦は彦五十狹芹彦命、大日本根子彦太瓊天皇（孝靈天皇）と倭国香媛【亦名 絚某姉】の子。御間城入彦五十瓊殖天皇（崇神天皇）の六十年に、出雲大神宮の神宝めぐり、吉備津彦は武渟河別とともに出雲振根を誅している。
大足彦忍代別天皇（景行天皇）が皇后に吉備系の播磨稻日大郎姫を迎えたのは熊襲征伐をにらんでのこと、古事記は、若建吉備津日子（稚武彦命）の女（むすめ）とする、稚武彦命は、大日本根子彦太瓊天皇（孝靈天皇）と妃絚某弟の子。書紀は、稚武彦命の女（むすめ）、五十河媛と大足彦忍代別天皇（景行天皇）の子、稻背入彦皇子が播磨別の始祖となったとする。
日本武尊の東征に従ったのが稚武彦命（吉備武彦）と大伴武日であり、日本武尊の死を天皇に報告する役回りとなったのも吉備武彦であった。
先に見たやうに、その子鴨別は氣長足姫尊（神功皇后）の熊襲国征伐で功を挙げていた。吉備津彦がこの地を平定したのは、御間城入彦五十瓊殖天皇（崇神天皇）の十年（BC88年）の条の記述であり、突如として、わずか二代目で応神天皇の時代に突入している。
出雲、熊襲、蝦夷平定に吉備の果たしている役割は大きく、成務天皇のときには吉備はすでに彼等の子孫の統治下にあったはずである。吉備津彦の平定していた地を応神天皇が、約四百年弱歴史を戻し、その子達に中国の周王朝が諸侯を封じるやうなイメージで吉備を分封したと記している。理解に苦しむ。
古事記は孝霊天皇の条に、大吉備津日子と若日子建吉備津日子に分け、「大吉備津日子の命は、吉備の上つ道臣の祖なり。次に若日子建吉備津日子の命は、吉備の下つ道臣、笠臣の祖、次に日子寤間の命は、針間の牛鹿臣の祖なり。次に日子刺肩別の命は、高志の利波臣、豊国之国前臣、五百原君、角鹿海直の祖なり。（岩波文庫）」と記していた。書紀では、それを応神天皇の時にむしかえさねばならない事情があったやうだ。
廿五年 百濟直支王薨 卽子久爾辛立爲王 王年幼 木滿致執國政 與王母相婬 多行無禮 天皇聞而召之 【百濟記云 木滿致者 是木羅斤資 討新羅時 娶其國婦 而所生也 以其父功 專於任那 來入我國 往還貴國 承制天朝 執我國政 權重當世 然天朝聞其暴召之】
廿五年（AD294）に、百済の直支王（ときわう）薨（みまか）りぬ。即ち子、久爾辛（くにしん）、立ちて王（こきし）と爲る。王、年幼（わか）し。木満致（もくまんち）、国政（くにのまつりごと）を執る。王母（こきしのいろは）と相婬（あひたは）けて、多（さは）に無礼（ゐやなきわざ）す。天皇（すめらみこと）、聞こしめして召す。【百済記に云はく、木満致は、是、木羅斤資（もくらこんし）、新羅を討ちし時に、其の国の婦（をみな）を娶（ま）きて、生む所なり。其の父（かぞ）の功（いたはり）を以て、任那（みまな）に專（たくめ）なり。我が国に来入（まうきい）りて、貴国（かしこきくに）に往還（かよふ）ふ。制（のり）を天朝（みかど）に承（うけたまは）りて、我が国の政（まつりごと）を執る。権重（いきほひ）、世に当れり。然（しか）るを天朝（みかど）、其の暴（あしき）を聞しめして召すといふ。】
三国史記では、294+120=414年であるが、腆支（直支）王の薨去は420年であり、6年の差がある。腆支王十二年（416年）条に、「東晉安帝使を遣し、王を冊命して、使持節・都督・百済諸軍事・鎭東將軍・百済王となす（国会図書館 125/259）」とある。宋書、武帝紀永初元年（420年）七月条に、「鎭東將軍百濟王扶余映（直支王）進みて鎭東大将軍と号く」と注される。直支王が百済王として鎮東将軍を叙任したことは、三国史記と宋書では年代が合致しないが、確認できやう。書紀はこのことを記さず、木満致が国政を執り、王の母と相婬けて、多に無禮礼を為し、天皇が呼びつけたと記した。
一方、三国史記では、このことに関する言及は何等なく、久爾辛（久尓辛）については、即位と薨去のみのそっけない記述となっている。三国史記、卷第二十五、百済本紀第三、久尓辛王、「久尓辛王、腆支王の長子、腆支王薨り、即位す。八年、冬十二月、王薨る（国会図書館 126/259）」。
書紀では、木羅斤資は、気長足姫尊（神功皇后）の四十九年（ＡＤ249）に、荒田別、鹿我別を将軍として新羅を討つため派遣をしたとき、百済肖古王が精兵とともに送り込んだ百済の将軍であり、加羅七国を平定の主力であったことはすでにみた（書紀巻9）。45年前のことであり、木羅斤資が、美人で名高い新羅の婦人を娶り、そこで生まれたのが木満致なら、年齢的にも丁度いいくらいである。
木満致には、父の功があり、任那に居ることが多く、百済にも来るが、貴国（日本：やまと）に往来して制度を学び、百済の政治を行うに至ったとするが、さやうなものは三国史記には一切現れない。三国史記では、60年後の蓋鹵王の二十一年（475年）条に、木劦満致（ぼくきょうまんち）として記されているにすぎない。
当時百済は高句麗の長寿王の脅威にさらされ、魏（北魏）に高句麗の非を訴へ救援を求めたが、高句麗も魏に朝貢して対策を講じており、魏は高句麗の非を認めず、蓋鹵王は孤立した。長寿王はかねてから僧の道琳（どうりん）を間諜として送り込み、信任を得た道琳は宮殿の修繕増築、水害対策の堰堤の延長などを提言し、人民窮乏、国家財政の崩壊を招かしめると、高句麗に帰った。蓋鹵王がそれに気付いた時はすでに遅く、自らは死を覚悟し、子の文周を木劦満致と祖彌桀取（そびけっしゅ）と共に城から逃がし、南行させた。
百済が漢城を追はれ都を熊津（ゆうしん）に移すことになる転機であり、この部分の記述は「魏書」の百済伝延興二年条を相当長く引用して記述されている。百済のこの敗戦は日本（やまと）政権にも衝撃となる。
廿八年秋九月 高麗王遣使朝貢 因以上表 其表曰 高麗王敎日本國也 時太子菟道稚郎子讀其表 怒之責高麗之使 以表状無禮 則破其表
廿八年の秋九月（ながづき）（AD297.09）に、高麗（こま）の王（きみ）、使（つかひ）を遣（まだ）して朝貢（みつぎたてまつ）る。因（よ）りて表（ふみ）上（たてまつ）れり。其の表に曰（い）はく、「高麗の王（きみ）、日本国（やまとのくに）に教（をし）ふ」といふ。時に、太子（ひつぎのみこ）菟道稚郎子（うぢのわきのいらつこ）、其の表を読みて、怒りて、高麗の使を責（せ）むるに、表（ふみ）の状（かたち）の礼無（ゐやな）きことを以てして、則（すなは）ち其の表を破（やりす）つ。
朝貢するものが上表に、「高麗の王、日本国に教ふ」はない。三国史記、卷第十八、高句麗本紀第六、長寿王、元年（412年）に、「長史の高翼を遣して晉に入り奉表し、赭白馬を献ず。安帝は王を高句麗王、楽浪郡公に封じた」とあり、東晋との友好関係を築き、燕の弱体化を図っている。その燕と通じる百済を討つために、十五年（427年）、都を平壤に遷している。高句麗は中国本土からの直接の脅威を緩衝させるために、燕の滅亡を避けてきたが、北魏が燕を滅ぼすと、北魏に朝貢を重ねて、都督遼海諸軍事、征東將軍、領護東夷中郞將、遼東郡開国公、高句麗王を拝命（435年）し、中国王朝との関係を優先させ、漢文化を吸収してきた。また、騎馬民族であり、馬や弓を用いた戦いに優れていたこともあり、高句麗は、百済や新羅に「教ふ」態度に出た。これは広開土王の時代からそうであり、碑文にその態度が見られる、と注される。
半島に進出した倭に対しても同じであり、書紀の編者達は、編纂時に、菟道稚郎子の怒りとして表現することを思ひついたのであらう。彼にそれを批判させるだけの学識を備へさせるには、王仁から習ってすぐに理解したといふ筋書が不可避となったのかもしれない。木満致すら「制（のり）を天朝に承」ったくらいである、と。
教については、「をしふ」ではなく、通釈では教令の意味で「のる」と訓むべきとしていると注されている。
卅一年八月 詔群卿曰 官船名枯野者 伊豆國所貢之船也 是朽之不堪用 然久爲官用 功不可忘 何其船名勿絶 而得傅後葉焉 群卿便被詔 以令有司 取其船材 爲薪而燒鹽 於是 得五百篭鹽 則施之周賜諸國 因令造船 是以 諸國一時貢上五百船 悉集於武庫水門 當是時 新羅調使 共宿武庫 爰於新羅停忽失火 卽引之及于聚船 而多船見焚 由是 責新羅人 新羅王聞之 讋然大驚 乃貢能匠者 是猪名部等之始祖也 初枯野船 爲鹽薪燒之日 有餘燼 則奇其不燒而獻之 天皇異以令作琴 其音鏗鏘而遠聆 是時 天皇歌之曰 訶羅怒烏 之褒珥椰枳 之餓阿摩離 虚等珥菟句離 訶枳譬句椰 由羅能斗能 斗那訶能異句離珥 敷例多菟 那豆能紀能紀 佐椰佐椰
三十一年の八月（はつき）（AD300.08）に、群卿（まへつきみたち）に詔（みことのり）して曰（のたま）はく、「官船（みやけのふね）の、枯野（からの）と名（なづ）くるは、伊豆国（いづのくに）より貢（たてまつ）れる船なり。是（これ）朽（く）ちて用（もち）ゐるに堪（た）へず。然（しか）れども久（ひさ）に官用（おほやけのもの）と爲（な）りて、功（いたはり）忘るべからず。何（いか）でか其（か）の船の名を絶（た）たずして、後葉（のちのよ）に伝ふることを得（え）む」とのたまふ。群卿、便（すなは）ち詔を被（う）けて、有司（つかさ）に令（のりごと）して、其（そ）の船の材（き）を取りて、薪（たきぎ）として塩（しほ）を焼（や）かしむ。是（ここ）に、五百篭（いほこ）の塩を得たり。則ち施（ほどこ）して周（あまね）く諸国（くにぐに）に賜ふ。因（よ）りて船を造（つく）らしむ。是を以て、諸国、一時（もろとき）に五百船（いほのふね）を貢上（たてまつ）る。悉（ふつく）に武庫水門（むこのみなと）に集（つど）ふ。是（こ）の時に当りて、新羅（しらき）の調使（みつきのつかひ）、共に武庫に宿（やどり）す。爰（ここ）に新羅の停（やどり）にして、忽（たちまち）に失火（ひつきやけう）せぬ。即（すなは）ち引きて、聚（つど）へる船に及びぬ。而（しかう）して、多（さは）の船焚（や）かれぬ。是（これ）に由（よ）りて、新羅人（しらきひと）を責（せ）む。新羅の王（こきし）、聞きて、讋然（お）ぢて大（おほ）きに驚きて、乃（すなは）ち能（よ）き匠者（たくみ）を貢（たてまつ）る。是（これ）、猪名部等（ゐなべら）の始祖（はじめのおや）なり。初め枯野船（からののふね）を、塩（しほ）の薪（たきぎ）にして焼きし日に、余燼（あまりのもえくひ）有り。則ち其の焼（も）えざることを奇（あやし）びて献（たてまつ）る。天皇（すめらみこと）、異（あや）しびて琴を作らしむ。其（そ）の音（ね）、鏗鏘（さやか）にして遠（とほ）く聆（きこ）ゆ。是の時に、天皇、歌（みうたよみ）して曰（のたま）はく、
訶羅怒烏（からのを） 之褒珥椰枳（しほにやき） 之餓阿摩離（しがあまり） 虚等珥菟句離（ことにつくり） 訶枳譬句椰（かきひくや） 由羅能斗能（ゆらのとの） 斗那訶能異句離珥（となかのいくりに） 敷例多菟（ふれたつ） 那豆能紀能紀（なづのきのき） 佐椰佐椰（さやさや）
枯野（からの）を 塩（しほ）に焼（や）き 其（し）が余（あまり） 琴（こと）に作（つく）り 掻（か）き弾（ひ）くや 由良（ゆら）の門（と）の 門中（もなか）の海石（いくり）に 触（ふ）れ立（た）つ なづの木（き）の さやさや
古事記は、これは大雀命（仁徳天皇）の晩年のこととして記している、「この御世に、菟寸（？き）河の西に一つの高樹ありき。その樹の影、旦日（あさひ）に當れば、淡道（あはぢ）の嶋に逮（およ）び、夕日に當れば、高安（たかやす）山を越えき。故、この樹を切りて、船を作りしに、甚（いと）捷（はや）く行く船なりき。時にその船を號（なづ）けて枯野（からの）と謂ひき。故、この船をもちて旦夕（あさゆふ）に淡道島の寒泉（しみづ）を酌（く）みて、大御水（おほみもひ）を獻りき。この船、破（や）れ壞（こぼ）れて鹽を燒き、その燒け遺（のこ）れし木を取りて琴を作りしに、その音、七里（ななさと）に響（とよ）みき。ここに歌ひけらく、
枯野（からの）を 鹽に焼き 其（し）が余り 琴に作り 掻き弾（ひ）くや 由良（ゆら）の門（と）の 門中（となか）の海石（いくり）に 觸れ立つ 浸漬（なづ）の木の さやさや
とうたひき。こは志都（しつ）歌の返歌（うたひかへし）なり。」
書紀はこれとは全く異なる見解で古事記を訂正した。枯野船のことは五年（AD274）の条（書紀巻10）にあった。26年で朽ちた。古代の木造船の寿命は分らないが、一般に10～20年とされるやうで、これは話が合ってくる。軽く浮き速く走る、軽野を枯野と訛れたのが名の由来とあった。非常に役に立ったので、その名を後世に残すイベントを考へよとの詔を受け、役人が考へたのが船を解体して海水を煮て塩を作るという前代未聞の催事であった。場所は記されていないが、枯野船が停泊できるとなれば、結構大きな津、難波の津あるいは武庫水門とならうか。五百篭の塩、となれば、製塩技術のあった場所でもある。塩を諸国に賜ひ船を造らせた。
諸国が一時に五百船を貢上る、となればブームを引き起こしたことになる。卑弥呼が鏡を配布したとされるが、塩と船といふ形で王権が樹立されていることを誇っている。これは、古事記にはない視点である。進水式にあたる船下しの儀式に塩を用いる、と注される。船の規模が分らないが、枯野船の話の延長であり、その規模のものも造られたのであらう。武庫水門のみ、それを収容できる広さがあったといふことであらうが、ひしめきあっていた。
その時に、新羅の船が武庫水門い停泊しており、それが失火、次々と延焼し、多くが失われた。讋は「失気言」、茫然自失、責めを問われ新羅王は腕の良い匠、船大工であらうか、それを派遣してきた。それらの集団が猪名部等の始祖となった。書紀は渡来人の一環として、記述をせんとしている。
木工を専業とする品部、和名抄に、「摂津国河辺郡為奈郷（尼崎市東北部）」、姓氏録、左京神別に、「伊香我色男命之後也」とあり、摂津国諸蕃に、「為奈部首、出自百済国人中津波手也」とある、と注される。猪名川の船詰神社（地図）あたりが当時の海岸線とされる。書紀は、猪名部は新羅の出とするが、姓氏録では、百済の出となり、伊香我色男命の後となれば、物部氏の後裔となり、後に苦労して祖先を変更せざるを得ない境遇に陥ったのであらうか。
枯野船を燃やしても燃えないところがあり、不思議に思ひ、それで琴をつくらせたといふ。書紀では仲哀天皇九年の三月の条に神託をうけるに際して、「武内宿禰に命して琴を撫かしむ（書紀巻9）。」とあった。「 『古事記』には、大国主命が須佐男命のもとから須世理[田比売を背負って、生大刀・生弓矢と天沼琴を取り持って逃げ出したという説話がある。天沼琴については、通説は天詔琴という。しかし、応永の古写本にいう天沼琴、すなわち瓊（ぬ）＝玉で飾った琴という説が正しいのではあるまいか。天沼琴は、統治権と司祭権を象徴する神器の一つであらう。『古事記』には、また、神功皇后が筑紫の詞志比宮で熊曽国を撃とうとする時に、仲哀天皇が琴を控き、建内宿禰が祭の庭にいて神命を請うと、皇后に神懸りして神の教えを述べたという記事がある。『日本書紀』では、神功皇后がみずから神主となり、武内宿禰に琴を撫かせ、中臣鳥賊津使主を審神者にして、神勅を乞うた場面となっている。琴は、祭祀に用いられ、神を呼ぶ神聖な楽器であった。演奏者も、王者・高位者、すなわち政治的・宗教的権威を有する人々である。（古代の琴：増田修）」とある。ここでは、琴は歌を伴奏するやうな形であり、心情を歌ふものでこれまでの琴とは用ひ方が異なっている。
その意味では古事記の方が大雀命の心をよく伝へている。朝夕に淡路島の水を用ゐるとは伊奘諾尊を崇敬する心の表現でもあらう。安寧を願ふ気持ちが水のさやけくやうに里にまで届くことを念じている。書紀においては、『後漢書』蔡邕伝に、「呉人桐を焼いて爨（かし）ぐ者有り。邕、火が烈ける声を聞き、其の良木を知る。因りて講ひて裁きて琴と為す。果たして美音有り。而して其の尾、猶焦ぐ。故に時人、名づけて焦尾の琴と曰く」と注されるごとく、この故事に倣って、この物語を採り上げたのであらう。「枯野を 塩焼きの材として焼き、その余りを琴に作って掻鳴らすと、由良の瀬戸の海石に触れて生えているナヅノキの（潮にうたれて鳴る）やうに、大きな音でなることだ。由良の門は今の紀淡海峡。延喜神名式に淡路国津名郡由良湊神社（兵庫県洲本市由良町）がある。イクリは海中の石・・・ナヅノキは未詳。サヤサヤは音の大きく立つ意」と注される。我が国でもかういふ故事があるというのみで、琴が大きな音で鳴ったでは意味が伝はらない。
卅七年春二月戊午朔 遣阿知使主・都加使主於呉 令求縫工女 爰阿知使主等 渡高麗國 欲逹于呉 則至高麗 更不知道路 乞知道者於高麗 高麗王乃副久禮波・久禮志 二人 爲導者 由是 得通呉 呉王 於是 與工女兄媛・弟媛 呉織 穴織 四婦女
三十七年の春二月（きさらぎ）の戊午（つちのえうま）の朔（ついたちのひ）（AD306.02.01）に、阿知使主（あちのおみ）・都加使主（つかのおみ）を呉（くれ）に遣（つかは）して、縫工女（きぬぬひめ）を求めしむ。爰に、阿知使主等、高麗国（こまのくに）に渡りて、呉に逹（いた）らむと欲（おも）ふ。則ち高麗（こま）に至れども、更（さら）に道路（みち）を知らず。道を知る者（ひと）を高麗に乞ふ。高麗の王（こきし）、乃（すなは）ち久礼波（くれは）・久礼志（くれし）、二人を副（そ）へて、導者（しるべ）とす。是（これ）に由りて、呉に通（いた）ること得たり。呉の王（こきし）、是（ここ）に、工女（ぬひめ）兄媛（えひめ）・弟媛（おとひめ）、呉織（くれはとり）、穴織（あなはとり）、四（よたり）の婦女（をみな）を与（あた）ふ。
阿知使主は、「後漢霊帝の曾孫、阿智王の後なり・・・舊居帶方に在り。人民男女皆、才藝有り。近き者、百濟高麗の間に寓す」といふのが坂上田麻呂等の上表であった。つまり、一族はかつては、高麗（高句麗）から中国本土への道を知っており、そこから呉へ向かふに適任者として登場している。呉織に関しては、古事記は、「百濟の国より・・・また手人韓鍛（てひとからかぬち）名は卓素（たくそ）、また呉服（くれはとり）の西素（さいそ）二人を貢上りき」と百済からもたらされたとするが、書紀は「呉に遣して、縫工女を求めしむ」と改めた。しかし、これには無理がある。306+120=426年、長寿王の十四年、南下政策を強め、百済や新羅に圧力をかけており、それは半島の倭にも及んでおり、高麗（高句麗）が協力をして、このルートで中国本土に倭の使節を案内することは常識的には想定しがたい。また、この時代、呉の地、江南は南朝の宋（420～478）の時代である。
宋書卷九十七、列傳第五十七、夷蠻伝・倭国（宋書、倭国伝）によれば、「倭国は高驪の東南大海の中に在り、世々貢職を修む。高祖の永初二年（421年）、詔していはく、「倭讚、萬里貢を修む。遠誠宜しく甄（あらは）すべく、除授を賜ふべし」と。太祖の元嘉二年（425年）、讚、また司馬曹達を遣はして表を奉り方物を献ず（岩波文庫）」とある。
宋の都は建康、呉（222年 - 280年） がここに都を置いたときは建業、東晋（317年 - 420年） の元帝が西晋の愍帝（司馬鄴）の諱に触れるので、建康という名に変へたものである。後の南京であり、斉（479年 - 502年） 、梁（502年 - 557年） 、陳（558年 - 589年） 、いわゆる六朝の都。
倭国の王、讃は書紀の記述とは異なり、卑弥呼と同じく、中国本土の政治情勢を注視しており、朝貢の機会を窺っていた。東晋の安帝義熈九年（413年）に高句麗の長寿王が朝貢し、使持節都督営州諸軍事征東将軍高句麗王楽浪公を得たとき、梁書倭伝や南史・東夷傳によれば、「倭王讃遣使朝貢」とあり、讃も使者を入貢させていた。百済を経由してのことであらうか。416年には百済の直支王が安帝から使持節都督百濟諸軍事鎭東將軍百濟王に叙せられており、倭王にとって、百済ルートは欠かせないものであったことがわかる。そして、宋の劉裕が東晋恭帝を立て、宋王に上ったが、禅譲を受けて宋国皇帝に就くのを見るや否や、讃は建康に朝貢している（421年）。武帝（劉裕）の三男、太祖、文帝（劉義隆）の時（425年）には、司馬曹達を派遣して求めたものがあった。後に、現れる「使持節都督倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭国王」である。これを書紀は無視をするのであるが、この歴史的事実は書紀を補強することになる。讃が書紀のどの天皇に該当するのかは気にせずすすめたい。
讃は、自らを倭国王としている。使持節都督とは、軍政の官、倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓の六国諸軍事における安東大将軍を求めている。讃がそれを要求する立場にあった。当時、高句麗を除く朝鮮半島は百済・新羅・任那・秦韓・慕韓の五国が存在していたとする認識である。秦韓とは辰韓、新羅側、慕韓とは馬韓、百済側、秦韓・慕韓の間に任那があり、讃は任那を足掛かりにして、百済・新羅・秦韓・慕韓に対する軍事的な影響力を行使していたことになる。半島に拠点がなくば、不可能であり、それが任那であり、単なる交易のみの拠点ではなかった。
倭王、讃が手本としたのは、魏と結び、半島に対して優位にたった卑弥呼であったらう。魏志倭人伝（一）でみたごとく、卑弥呼を魏に取り込むことには司馬懿（仲達）の力があった。讃は、司馬氏の子孫を求め、司馬曹達という人物を仲介して太祖、文帝に朝貢し、弟の珍の時に、安東将軍と倭国王に叙されている。卑弥呼と異なるところは、讃が軍事力を半島に投入していること、任那に拠点を設け、場合によれば、高句麗に兵をすすめる水準にもあった。卑弥呼が魏の軍事顧問を受け容れて以来、倭の軍事に影響をもたらしたばかりか、半島に進出することを可能とする変化が倭の側に起きていた。
広開土王碑の文字、解釈には諸説があり解釈が定まっていない。高句麗広開土王碑（抄）（ネット上で検索不可となった）に依拠して訓じたものである。「百殘（百済）・新羅は舊（もと）是れ屬民、由来朝貢す。而して倭、以て辛卯年（391）来る。渡毎して百殘、更に□（加羅？）新羅を破り、以て臣民と爲す」。高句麗からみれば、元来百済や新羅、加羅は自国の属民であったが、倭が侵攻してこれを臣民にしたと読む立場である。まさに書紀の立場と一致する。
「九年己亥（399）、百残は誓を違へ倭と和を通じ、王は平穰に巡下す、而して新羅は使を遣りて、王に云ひて白（いは）く、『倭人、其の国境に満ち、城池を潰破す。奴客を以て民と爲す。王に帰し命を請ふ。』太王恩慈して後に其の忠誠を稱す。□使を遣り、還りて告げて以て□計す。十年庚子（400）、歩騎五萬を教遣し、住きて新羅を救ふ。從男居城、新羅城に至る。倭其の中に滿ち、官軍、方に至りて、倭賊退く。倭の背より急追し、任那、加羅に至り從伐城。城即ち帰服す。安羅人、戎兵□新□城・鹽城。倭寇委潰す。城内十九、盡く倭に随ふを拒む」。百済は倭と通じたが新羅は救援を求めて来たので広開土王（談德）は歩騎五万で平壌から南下して倭軍を任那、加羅に追い返した。ところがその隙をついて安羅人が新羅を落としたと複雑な軍事情勢を語っている。
「十四年甲辰（404）、而して倭、不軌にして、帶方界に侵入す。和□殘□至石城□連船□□□王躬率□□從平穰□□□鋒相遇、王幢要截盪刺。倭寇潰敗。斬殺無數（百済と和して倭は船を連ねて攻めたが王自ら平壌より出陣し倭を壊滅させたといふことか）」。倭は勢力を盛り返し、かつての帯方郡に侵入してきたといふ。個々の事件の内容を別とすれば、書紀の記述にあるごとく、倭軍が半島の南において大きな役割を果たしていたことは合致する。
帯方郡が崩壊した時、馬韓は五十余国に分かれた部族社会であり、親魏倭王の卑弥呼の邪馬台国と比べれば国力に大きな差があった。倭は、奴国の時代から漢文化への憧れがあり、銅鏡をはじめ旺盛な交易への意欲があった。
魏志倭人伝を記した陳寿を取り立てた張華、司馬懿の次男である司馬昭（しょう）の秘書となり、司馬昭の子供の炎（えん）が武帝に即位すると、次席秘書官である中書令になり、282年から287年の間故郷の幽州（北京）に赴任して、持節・都督幽州諸軍事・領護烏桓校尉・安北将軍の要職に就き、朝鮮半島の経略に力を入れ、彼は、東夷の馬韓・新弥（しんび）の諸国や沿海から山間部の、幽州より四千余里も隔たり、歴世いまだ中国に付いたことのない二十余国も、ついに朝貢せしめたとされるのであるが、楽浪郡崩壊以降にはもはや直接に統治することはできず、朝貢するものを叙すことで権威を保つにすぎなかった。
中洲（奈良盆地）に王権を確立した倭は、だうやら半島に軍を派遣し、進出の拠点を確保したやうである。鉄の産地を押さへることが、任那への進出の動機とされるが、倭王は中国に半島での権益を認めさせることが重要とみていたのであらう。
半島は草刈場となっていた。高句麗と倭の間の部族社会が部族連合を形成し、国の形を整へねば、いづれかへ属する他ないのが当時の状況であらう。馬韓の中から伯済が漢文化を取り入れ漢城を中心に帯方故地を統一したのが百済とするむきもある。近肖古王の時に、力が結集され、新羅とは和親を保ち、平壌へ攻め込み（371）、高句麗を討ち、372年には東晋に朝貢し、鎮東将軍・領楽浪太守に叙ぜられたことはすでにみた。この時点では百済が一歩抜きん出た。近肖古王は、倭王に七支刀を贈り、高句麗に対峙するために、燕、東晋、新羅、倭との外交関係を強化した。
この動きを牽制し、南下政策を採り、百済と倭を討ち、新羅を離反させたのが広開土王と、その子、長寿王であった。高句麗にとっては、すでにみたごとく（書紀巻10）、緩衝地帯であった燕が北魏に滅ぼされたことにより（436）、長寿王は北魏にも宋にも朝貢せざる得ない状況となり、複雑な政権運営を強いられることになった。百済と倭は、宋との関係を深めることになる。
漢の武王は楽浪郡へは陸路、海路の両方を用ゐたが、半島からの中国への朝貢は、海路は非常に不安定であり、陸路が中心で、軍事的に封鎖されやむを得ない場合のみに海路が用ひられたやうである。卑弥呼の場合には、楽浪郡に進出してきた魏の楽浪郡太守と結べば道は通じたが、讃の場合は、高句麗から先を導くルートとして司馬氏を頼ったことになる。
書紀では、そのやうな朝貢はありえず、誉田天皇（応神天皇）は、阿智王の子孫、阿知使主・都加使主を使って、高麗（高句麗）王をくどかせ、呉（宋）に遣して、縫工女を求めしめたとした。渡来人確保の一環として記述されているにすぎない。
讃については、応神天皇から年代的には、干支二運（120年）後までが対象となり、仁徳天皇、履中天皇、反正天皇、允恭天皇が含まれる。いわゆる倭の五王の特定が定まらない所以となった。
卅九年春二月 百濟直支王 遣其妹新齊都媛以令任 爰新齊都媛 率七婦女 而來歸焉
三十九年の春二月（きさらぎ）（AD308.02）に、百済の直支王（ときわう）、其（そ）の妹（いろも）、新斉都媛（しせつひめ）を遣（まだ）して任（つか）へまつらしむ。爰（ここ）に新斉都媛、七（なな）の婦女（をみな）を率（ゐ）て、来帰（まうけ）り。
これまた不可解な記述である。書紀では、直支王は、「廿五年（AD294）に、百済の直支王薨りぬ」とあった。414年のことであるが、百済本紀では、腆支王は、十六年(420年)三月に薨じている。書紀の篇者達もそのくらいのことは分かっていたはずである。何故こうしなければならなかったのか？
三国史記、卷第二十五、百済本紀第三、毗有王、二年（AD428）にあたり、毗有王は「久尓辛（久爾辛）王之長子 或云 腆支王庶子 未知孰是（国会図書館 126/259）」とあり、毗有王が腆支王の庶子であったとする噂があり、誰か分らないといふも、すっきりしない。直支王は太子のとき日本（やまと）に質となり、父の死後、日本（やまと）の援助を得て王位についた経緯があった。其の妹、新斉都媛については他に言及されない、と注される。新斉都媛の立場は元来よくなく、王位継承においても微妙なものがあったのかもしれない。二年、春二月に、「倭国使至 從者五十人（同上）」とある。書紀では、阿知使主・都加使主等の帰途であったかもしれず、新斉都媛をかつて兄が過ごした日本（やまと）へお連れした。さうともいへず、それは、、直支王が天皇に仕へるべく派遣したものであるとしたものか？いづれにしても、渡来人のなかには、王族の媛もおられた。
卌年春正月辛丑朔戊申 天皇召大山守命・大鷦鷯尊 問之曰 汝等者愛子耶 對言 甚愛也 亦問之 長與少孰尤焉 大山守命對言 不逮于長子 於是 天皇有不悦之色 時大鷦鷯尊 預察天皇之色 以對言 長者多經寒暑 旣爲成人 更無悒矣 唯少子者 未知其成不 是以 少子甚憐之 天皇大悦曰 汝言寔合朕之心 是時 天皇常有立菟道稚郎子 爲太子之情 然欲知二皇子之意 故發是問 是以 不悦大山守命之對言也
甲子 立菟道稚郎子爲嗣 卽日 任大山守命 令掌山川林野 以大鷦鷯尊 太子輔之 令知國事
四十年の春正月（むつき）の辛丑（かのとのうし）の朔（ついたち）戊申（つちのえさるのひ）（AD309.01.08）に 天皇、大山守命（おほやまもりのみこと）・大鷦鷯尊（おほさざきのみこと）を召（め）して、問ひて曰（のたま）はく、「汝等（いましたち）、子愛（こうつく）しきや」とのたまふ。対（こた）へて言（まう）したまはく、「甚（はなは）だ愛（うつく）し」とまうしたまふ。亦（また）問ひたまはく、「長（ひととなれる）と少（わかき）とは、孰（いづれ）か尤（いとうつく）しき」とのたまふ。大山守命、対へて言（まう）したまはく、「長子（ひととなれる）に逮（し）かず」とまうしたまふ。是（ここ）に、天皇悦（よろこ）びたまはぬ色（みおもへり）有（ま）します。時に、大鷦鷯尊、預（あらかじ）め天皇の色（みおもへり）を察（さと）りて、対へて言したまはく、「長（ひととな）れるは多（さは）に寒暑（とし）を経（へ）て、既に成人（ひと）と爲（な）りたり。更に、悒（いきどほり）無し。唯（ただ）少子者（わかき）は、未だ其の成不（ひととなりひととならぬ）を知らず。是（ここ）を以（も）て、少子（わかき）は甚だ憐（かな）し」とまうしたまふ。天皇、大きに悦（よろこ）びたまひて曰はく、「汝（いまし）が言（こと）、寔（まこと）に朕（わ）が心に合（かな）へり」とのたまふ。是（こ）の時に、天皇、常に菟道稚郎子（うぢのわきいらつこ）を立てて、太子（ひつぎのみこ）としたまはむとおもほす情（みこころ）有（ま）します。然（しか）るを二（ふたり）の皇子の意（こころ）を知りたまはむと欲（おもほ）す。故（かれ）、是の問（とひごと）を発（おこ）したまへり。是（ここ）を以て、大山守命（おほやまもりのみこと）の対言（みこたへ）を悦びたまはず。
甲子（きのえねのひ）（AD309.01.24）に、菟道稚郎子を立てて嗣（ひつぎ）としたまふ。即日（そのひ）に、大山守命に任（ことよ）さして、山川林野（やまかははやしの）を掌（つかさど）らしめたまふ。大鷦鷯尊を以て、太子（ひつぎのみこ）の輔（たすけ）として、国事（くにのこと）を知（し）らしめたまふ。
古事記に曰く、「ここに天皇、大山守の命と大雀の命とに問ひて詔りたまひしく、「汝等（いましら）は兄（え）の子と弟（おと）の子と孰（いづ）れか愛（は）しき」とのりたまひき。【天皇、この問を發したまひし所以は、宇遲能和紀の郎子に天下治らさしめむ心あるればなり】」。ここに大山守の命、「兄（え）の子ぞ愛（は）しきと白したまひき」。次に大雀の命は、天皇の問ひたまひし大御情を知らして白したまひしく、「兄（え）の子は既に人と成りて、これ悒（いぶせ：心配）きこと無きを、弟（おと）の子は未だ人と成らねば、これぞ愛（は）しき」とまをしたまひき。ここに天皇詔りたまひしく、「雀（さざき）、吾君（あぎ）の言（こと）ぞ、我が思ふが如くなる。」とのりたまひて、すなはち詔り別けたまひしく、「大山守の命は山海の政（まつりごと）をせよ。大雀の命は食國（をすくに）の政を執（と）りて白したまへ。宇遲能和紀の郎子は天津日繼（あまつひつぎ）を知らしめせ」とのりわけたまひき。故、大雀の命は天皇の命（みこと）に違（たが）ひたまふことなかりき（岩波文庫）。」
古事記は応神天皇の冒頭にこの場面が登場するが、書紀は巻末にとりあげた。このため、混乱が生じてしまった。本来は、早々に菟道稚郎子を太子として、大鷦鷯尊がこれを補佐する体制で事が進んでいたのであらう。十五年八月条に、「阿直岐、亦能く経典を読めり。即ち、太子、菟道稚郎子、師としたまふ（書紀巻10）」とあり、その方がつじつまが合ふ、また、六年条での菟道稚郎子の誕生の説話の削除（書紀巻10）、十三年条での、大鷦鷯尊に関する歌の内容変更（書紀巻10）もそれがために起こったことであらう。
三人の出生は、大山守命が天皇家主流をなす高城入姫との子で年長、大鷦鷯尊がその妹の仲姫との子、菟道稚郎子が和珥臣の祖、日触使主（渡来系）の宮主宅媛との子、三人の中では一番若かった。「汝等、子愛しきや」、愛を”うつくし”と訓じている。古語では親が子をかわいいと思う感情と注される。かわいい、いとしい、こと。
長（ひととなれる）と少（わかき）はどちらが尤（いとうつくし）、尤は優に通じすぐれる、最に通じ一番となる。逮は及ぶ、追ひつくこと。誉田天皇（応神天皇）は、まずは、天皇家本流との関係改善を旨として婚姻政策を採った（書紀巻10）。大山守命は、自分の立場を意識し、長子に及ぶものなしとした。しかし、大鷦鷯尊は父との交流が深く、慎重にみていた。誉田天皇は木幡で会った宮主宅媛をことのほか気にいっておられ、その媛との間に生まれた菟道稚郎子の渡来系の聡明さを好んでおられる、と見抜いていた。
色（みおもへり）とは、中国的には顔色のこと、ここでは思ひ。悒は説文では、「不安」、玉篇では、「憂い」、”いきどほり”と訓じられ、心中安からざる、憂え、怒りのこと、「更に～無し」は少しも～しない、と注される。
長子は寒暑（年月）を経て、もはや何の心配もない。憐は、あわれな気持ちだが、為さんとしてみずからの力の全く及ばざるを知る感情、少子は成れるのか成れないのか自分では分からない、親もそれをはらはらして見守るしかない。
菟道稚郎子の才能を、半島の水準、否、それ以上に育てたいとする気持ちと、そうできるかという不安のあることを大鷦鷯尊は知っていた。国家を形成するには、漢文化の国家形成原理を理解し、導入することが必要であり、書紀の編者達は、菟道稚郎子にその原型を想定し、誉田天皇（応神天皇）の意志として記したことにならうか。
書紀の編者達は、氣長足姫尊(神功皇后)の途中から、干支をニ運（120年）繰り上げて、半島の情勢を取り込み、卑弥呼以降の倭の王達が何故中国に朝貢したがったのか、五胡十六国という大陸の情勢、それによる半島の情勢、それをどうみて進出を果たしたのか、その歴史を客観的に描くことはできなかった。そのことが、平成の時代になってさえ、事態を正しく認識する妨げとなっている、
卌一年春二月甲午朔戊申 天皇崩于明宮 時年一百一十歳 【一云 崩于大隅宮】
是月 阿知使主等 自呉至筑紫 時胸形大神 有乞工女等 故以兄媛奉於胸形大神 是則今在筑紫國 御使君之祖也 旣而率其三婦女 以至津國 及于武庫 而天皇崩之 不及 卽獻于大鷦鷯尊 是女人等之後 今呉衣縫・蚊屋衣縫是也
日本書紀 卷第十
四十一年の春二月（きさらぎ）の甲午（きのえうま）の朔（ついたち）戊申（つちのえさるのひ）（AD310.02.15）に、天皇（すめらみこと）、明宮（あきらのみや）に崩（かむあが）りましぬ。時に年（みとし）一百一十歳（ももあまりとを）【一（ある）に云（い）はく、大隅宮（おほすみのみや）に崩りましぬといふ】。
是（こ）の月に、阿知使主等（あちのおみら）、呉（くれ）より筑紫（つくし）に至る。時に胸形大神（むなかたのおほかみ）、工女等（ぬひめら）を乞（こ）はすこと有り。故（から）、兄媛（えひめ）を以（も）て、胸形大神に奉（たてまつ）る。是（これ）則（すなは）ち、今筑紫国に在（はべる）る、御使君（みつかひのきみ）の祖（おや）なり。既にして其の三（みたり）の婦女（をみな）を率（ゐ）て、津国（つのくに）に至り、武庫（むこ）に及（いた）りて、天皇崩りましぬ。及（えまゐあ）はず。即（すなは）ち大鷦鷯尊に献（たてまつ）る。是の女人等（をみなども）の後は、今の呉衣縫（くれのきぬぬひ）・蚊屋衣縫（かやのきぬぬひ）、是（これ）なり。
書紀は、「磐余に都をつくる。【是をば若桜宮と謂ふ】」とするが、古事記は、「輕嶌（かるしま）の明（あきら）の宮に坐しまして、天の下治らしめしき」とする。軽島豊明宮（奈良県橿原市大軽町「春日神社境内に碑あり」:地図）であり、軽の地と称される、ことはすでにみた。大隅宮の場所は、摂津志に、「西成郡大隅宮、古蹟在西大道村」とあるが地名辞書は西成郡北中島東部（今、大阪市東淀川区東大道町・西大道町：地図、大桐町）」と注され、森浩一氏は、「大隅島は近畿の隼人の要のやうな土地、九州の隼人の中継地のやうな所」とみておられた。渡来人文化の香りの高い軽の地、渡来人の往来する難波の津の地、いづれにしても誉田天皇（応神天皇）にふさわしい地である。
古事記は、「凡そこの品陀の天皇の御年、一百三十歳（ももあまりみそとせ）【甲午の年の九月九日に崩りましき】。御陵は川内（かふち）の惠賀（えが）の裳伏（もふし）の岡にあり」と伝へており、甲午は334年、130年前となれば、204年足仲彦天皇（仲哀天皇）没後４年目となる。これでは出生に関して困った問題が生じる。また、古事記は陵を惠我藻伏崗（大阪府羽曳野市誉田六丁目:地図）と伝へるが、書紀はこのことには言及していない。
古事記では大山守命の反逆は、品陀天皇の条で言及され、その後に天之日矛等の挿話が続き、品陀天皇の御世の事件と錯覚する。書紀は、大鷦鷯天皇(仁徳天皇)の条のはじめに後継争いを記述し、このために陵を造営する状況にはなかったことが想像される。惠我藻伏崗の位置からしても、河内政権により後に造営されたと考へるほうがつじつまが合う。
さて阿知使主等であるが、三十七年の春二月に出立しており、四年を費やしている。高麗経由で呉に至り、呉王が、工女兄媛・弟媛、呉織、穴織、四の婦女を与へたとあった。呉は280年に晋に滅ぼされ、300年代では成立しないことはすでにみた。二運(120年)後なら、倭王讃は宋に朝貢しており、使者が宋の工女を連れて帰国することは有り得た。卑弥呼の時代は織物現物を賜ったのであるが、この時代には、その技術そのものを求めたとならうか。
胸形大神が工女を乞ふたとある。胸形は「胸に文身(入墨)をしている」が原義とされ、魏志倭人伝に、「倭の水人、好んで沈没して魚蛤を捕え、文身し、また以て大魚・水禽を厭（はら）う」とあり、「以て蛟竜の害を避く」と同じく護身のためのものであった（魏志倭人伝-１）。胸形氏は漁民といふことのみならず、朝鮮半島との水運を取り仕切り、そのルートにあたる沖ノ島（奥津宮）、大島（中津宮）、響灘（辺津宮）を治め、玄界灘を守る海人族であった。
このルートは「道中」、あるいは「海北道中」とされ、胸形大神は、「道主貴（ちぬしのむち：海北道中の神）という名の神で、筑紫の水沼君等が祭る神」ともされる（書紀巻１）。胸肩（形）氏が左座、水沼氏が右座とされる。「道中」は、葦原中国（あしはらなかつくに）の宇佐嶋（うさのしま）ともされ、神代紀上によれば、素戔嗚尊の誓約（うけひ）により、天照大神が生んだ三女、田心姫（中津宮）、湍津姫（辺津宮）、市杵嶋姫（奥津宮）は、筑紫の胸肩氏等が祭る神となっていた。
天照大神が筑紫の洲（くに）降ろすに際し、教へて申し渡されたことは、「いまし、三（みはしら）の神（かみ）、道の中に降（くだ）り居して、天孫（あめみま）を助け奉（まつ）りて、天孫のために祭られよ」であり、天照大神は天孫が葦原中国に降りるに際して、これを助けるために筑紫の洲に姫を降ろしたといふ。皇孫（すめみま）、天津彦彦火瓊瓊杵尊も天孫（あめみま）であるが、天孫というと天津彦彦火瓊瓊杵尊に限るものではない。天津彦彦火瓊瓊杵尊は「槵日（くしひ）の二上の天浮橋より、浮渚在平處（うきじまりたひら）に立たし、しかして、膂宍（そしし）の空国（むなくに）、頓丘（ひたを）から国をもとめてとおり、吾田の長屋の笠狹の碕に到る」であり、海北道中とは関係がない。天孫を助けるためにこのルートをしっかり確保したのは、皇孫のためではあるまい。気長足姫尊（神功皇后）の時代となって、突如として、このルートの重要性に触れられることになるが、実は、それ以前からも、天孫族にとっては重要なものであった。そのことは分かっていたが、独自に発展してきた自らの歴史を強調するために、書けなかったのだらう。この工女獲得においても、胸形氏の海運力に頼るところが非常に大きく、誉田天皇（応神天皇）がその要請を容れて兄媛を奉ったことになる。その天皇が崩御、権力の空白が生まれ、阿知使主等は工女を大鷦鷯尊に献った。後継者に関して、大鷦鷯尊に人望があったことを暗示していやう。
日本書紀 卷第十
了 2008.10.03 更新 2022.09.28
岩倉紙芝居館 古典館 日本書紀 10-2 上田 啓之
.