日本書紀巻第九の一

　

氣長足姬尊　神功皇后

仲哀天皇九年の春二月（AD200.02.05）　≫≫
　　三月の壬申　≫≫　　　　夏四月の壬寅　≫≫
　　秋九月の庚午　≫≫　　冬十月の己亥　≫≫
　　十二月の戊戌　≫≫

明年春二月（AD201.02）　≫≫
　　三月の丙申　≫≫　　冬十月の癸亥　≫≫.

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神功皇后の新羅征討のイデオロギー　　　≫≫

(岩波文庫　日本書紀　坂本太郎･家永三郎･井上光禎･大野晋　校注　を読む。)
本文に使用した漢字テキストについては古代史獺祭からダウンロードさせていただいている。

氣長足姬尊（おきながたらしひめのみこと）　神功皇后（じんぐうくわうごう）

氣長足姬尊　稚日本根子彥大日々天皇之曾孫　氣長宿禰王之女也　母曰葛城高顙媛　足仲彥天皇二年　立爲皇后　幼而聰明叡智　貌容壯麗　父王異焉　

気長足姫尊は、稚日本根子彦大日々天皇（わかやまとねこひこおほひひのすめらみこと）の曾孫（ひひこ）、気長宿禰王（おきながのすくねのおほきみ）の女（みむすめ）なり。母（いろは）をば葛城高顙媛（かづらきのたかぬかひめ）と曰（まう）す。足仲彦天皇（たらしなかつひこのすめらみこと）の二年に、立ちて皇后に爲りたまふ。幼（わか）くして聡明（さと）く叡智（さか）しくいます。貌容壯麗（はなはだかほよ）し。父（かぞ）の王（みこと）、異（あやし）びたまふ。

注に仲哀・神功の両紀は、「元来絶対年代を伴なかった『新羅征討物語』や各地の神功皇后伝説を中心として、いわゆる朝鮮経営の起源をえがき、三世紀中葉の対中関係を記録した魏志や晋起居注によって治世年代を定め、四世紀後半の史実にもとづく百済記の記載、四世紀末・五世紀はじめの新羅英傑の物語などを以ておもに神功皇后皇太后治下の対朝鮮交渉をえがいたものである。」とある。気長足姫尊については、仲哀天皇二年条（書紀巻8）でみたごとく、稚日本根子彦大日日天皇（開化天皇）と和珥臣の遠祖、姥津命の妹、姥津媛の子孫、近江国坂田郡に勢力を築いた気長宿禰王が父、母は新羅（しらき）の王子、天日槍を祖とする田道間守の血をひく葛城高顙媛であり、倭、近江、北陸、半島を視野に置く一族の女（むすめ）であった。”さとし”は理解や判断力に富み、かしこくすぐれていること、”さかし”は賢明であるが、ですぎて軽薄なところがあることをもいふ（字訓）。”あやし”は霊妙でふしぎなこと、驚きの感情がある。気長宿禰王はただならぬものを感じておられた。

九年春二月　足仲彥天皇崩於筑紫橿日宮　時皇后傷天皇不從神敎而早崩　以爲　知所崇之神　欲求財寶國　是以　命群臣及百寮　以解罪改過　更造齋宮於小山田邑

九年の春二月（きさらぎ）（AD200.02.05）に、足仲彦天皇、筑紫（つくし）の橿日宮（かしひのみや）に崩（かむあが）りましぬ。時に皇后、天皇（すめらみこと）の神の教（みこと）に従はずして早く崩りたまひしことを傷（いた）みたまひて、以爲（おもほ）さく、崇（たた）る所の神を知りて、財宝（たから）の国を求めむと欲（おもほ）す。是を以て、群臣（まへつきみ）及百寮（つかさつかさ）に命（みことおほ）せて、以て罪を解（はら）へ過（あやまち）を改めて、更に齋宮（いはひのみや）を小山田邑（おやまだのむら）に造らしむ。

皇后は、天皇の死を傷む一方、自分に託された神のことばを信じておられた。それは、皇后の生まれた家系の伝統を継ぐものであらう。どの神のことばであるかを探り出し、海の彼方にあると聞かされてきた豊かな国へ想いを馳せられた。”はらふ”は、この場合、神に祈り、妨げとなるものを取り除き清めること(字訓）であり、神が天皇を死へと追ひやられた過ちを改めるために、まず、斎宮を造営されたのであらう。貝原益軒が「筑前国続風土記」に｢山田村は香椎に近く、此の村の聖母屋敷こそ斎宮の跡である｣と記している（斎宮：歴研）。粕屋郡久山町の山田小学校運動場横（地図）とされるが、注には不詳とある。その北東には伊野天照皇大神宮（九州の神社）があり、平安時代の編纂された「日本三代実録」に国史見在社（六国史にみえるが延喜式神名帳には見えない社）としてみえるとある。「室町時代末期に豊丹生佐渡守ぶにゅうさどのもりが神託しんたくを奉じて都みやこより斎いつき祀まつったと考えられています（前掲HP）」とあり、この時伊野の地に移ったとあり、平安時代の位置とは異なるやうです。いずれにせよ、この近辺で伝承が遺っております。

三月壬申朔　皇后選吉日　入齋宮　親爲神主　則命武内宿禰令撫琴　喚中臣烏賊津使主　爲審神者　因以千繒高繒　置琴頭尾　而請曰　先日敎天皇者誰神也　願欲知其名　逮于七日七夜　乃答曰　神風伊勢國之百傳度逢縣之拆鈴五十鈴宮所居神　名撞賢木嚴之御魂天疎向津媛命焉　亦問之　除是神復有神乎　答曰　幡荻穂出吾也　於尾田吾田節之淡郡所居神之有也　問　亦有耶　答曰　於天事代於虚事代玉籤入彥嚴之事代神有之也　問　亦有耶　答曰　有無之不知焉　於是　審神者曰　今不答而更後有言乎　則對曰　於日向國橘小門之水底所居　而水葉稚之出居神　名表筒男・中筒男・底筒男神之有也　問　亦有耶　答曰　有無之不知焉　遂不言且有神矣　時得神語　隨敎而祭　

三月（やよひ）の壬申（みづのえさる）の朔（ついたちのひ）（AD200.03.01）に、皇后（きさき）、吉日（よきひ）を選びて、斎宮（いはひのみや）に入りて、親（みづか）ら神主（かむぬし）と爲（な）りたまふ。則（すなは）ち、武内宿禰（たけしうちのすくね）に命（みことのり）して琴（みこと）撫（ひ）かしむ。中臣烏賊津使主（なかとみのいかつのおみ）を喚（め）して、審神者（さには）にす。因（よ）りて千繒高繒（ちはたたかはた）を以（も）て、琴頭尾（ことかみことしり）に置きて、請（ねぎまう）して曰（まう）さく、「先日（さきのひ）に天皇（すめらみこと）に教（をし）へたまひしは誰（いづれ）の神ぞ。願はくは其の名（みな）をば知らむ」とまうす。七日七夜（なぬかななよ）に逮（いた）りて、乃（すなは）ち答へて曰（のたま）はく、「神風（かむかぜ）の伊勢国の百伝（ももつた）ふ度逢県（わたらひのあがた）の拆鈴（さくすず）五十鈴宮（いすずのみや）に所居（ま）す神、名は撞賢木嚴之御魂（つきさかきいつのみたま）天疎向津媛命（あまさかるむかつひめのみこと）」と。亦問ひまうさく、「是（こ）の神を除（お）きて復（また）神有（いま）すや」と。答へて曰（のたま）はく、「幡荻穂（はたすすきほ）に出（で）し吾（われ）や、尾田（をだ）の吾田節（あがたふし）の淡郡（あはのこほり）に所居（を）る神有（あ）り」と。問ひまうさく、「亦（また）有（いま）すや」と。答へて曰（のたま）はく、「天事代於虚事代（あめにことしろそらにことしろ）玉籤入彦嚴之事代神（たまくしいりびこいつのことしろのかみ）有り」と。問ひまうさく、「亦有（いま）すや」と。答へて曰はく、「有ること無きこと知（いさし）らず」と。是（ここ）に於て、審神者の曰（まう）さく、「今答へたまはずして更（また）後に言（のたま）ふこと有（ま）しますや」と。則ち対（こた）へて曰はく、「日向国（ひむかのくに）の橘小門（たちばなのをど）の水底（みなそこ）に所居（ゐ）て、水葉（みなは）も稚（わかやか）に出（い）で居（ゐ）る神、名（みな）は表筒男（うはつつのを）・中筒男（なかつつのを）・底筒男（そこつつのを）の神有（ま）す」と。問ひまうさく、「亦有（ま）すや」と。答へて曰はく、「有ることとも無きこととも知らず」と。遂に且（また）神有すとも言（のたま）はず。時に神の語（こと）を得て、教（をしへのこと）の隨（まにまに）に祭る。

古事記には、「國の大幣（おほぬさ）を取りて、生剥（いきはぎ）・逆剥（さかはぎ）・阿離（あはなち）・溝埋（みぞうめ）・屎戸（くそへ）・上通下通婚（おやこたはけ）・馬婚（うまたはけ）・牛婚（うしたはけ）・鷄婚（とりたはけ）・犬婚（いぬたはけ）の罪の類（たぐひ）を種種（くさぐさ）求（ま）ぎて、國の大祓（おほはらへ）をして、また建内の宿禰沙庭（さには）に居（ゐ）て、神の命（みこと）を請ひき。ここに敎え覺したまふ状（さま）、具（つぶ）さに先（さき）の日の如くにして、「凡そこの國は　汝命（いましみこと）の御腹に坐す御子の知らさむ國なり。」とさとしたまひき。ここに建内の宿禰、「恐（かしこ）し我が大神、その神の腹に坐す御子は、何（いづ）れの子ぞや。」と白せば、「男子（をのこご）ぞ。」と　答へて詔りたまひき。ここに具（つぶ）さに請ひけらく、「今かく言（こと）敎へたまふ大神は、その御名を知らまく欲（ほ）し」とこへば、すなはち答へて詔りたまひしく、「こは天照大神の御心ぞ。また底筒男（そこつつのを）・中筒の男・上筒の男の三柱の大神ぞ。【この時にその三柱の大神の御名は顯はれき。】今寔（まこと）にその國を求めむと思ほさば、天神（あまつかみ）・地祇（くにつかみ）、また山の神また河海の諸（もろもろ）の神に、悉に幣帛（みてぐら）を奉り、我が御魂（みたま）を船の上に坐（ま）せて、眞木（まき）の灰を瓠（ひさご）に納（い）れ、また箸（はし）また葉盤（ひらで）を多（さわ）に作りて、皆皆大海に散らし浮かべて度（わた）りますべし。」とのりたまひき。（岩波文庫）」」とあった。
日本武尊と同じく仲哀天皇には神意に対する配慮が足りないところがあるが、気長足姫命尊と建内宿禰は違ったとする。古事記では、神意は皇后が宿した子を後継者とまで暗示している。
大祓をして建内宿禰が神の命を請ふとあるが、書記は皇后が神主、武内宿禰が琴を撫き、中臣烏賊津使主が審神者となったとする。武内宿禰は質問を発しているのみで、神の命を享けたのは、中臣氏の祖先であるとした。中臣氏はこのことをここに記録として残すことを主張したのであらう。
繒(絵）とは、五彩を會（あつ）めたる繍（ぬひとり）なり（説文）、とあり、五色の刺繍による絵模様、天子の衣装にもちいられる（字統）。ここでは琴の頭と尾に置いたとあり、高く幣帛を立て掛けたのであらう。琴を撫き、神の名を問ふた。七日七夜に亘り、古事記で云ふところの国の大祓を行ひ潔めた。
神風、百伝、拆鈴は枕詞、伊勢国度逢県五十鈴宮は、活目入彦五十狹茅天皇（垂仁天皇）二十五年三月（書紀巻6）でみた磯（伊勢）宮、一書に云ふ伊勢国の渡遇宮、天照大神が倭姫命に託けたまふた斎宮として始まった宮である。
撞賢木嚴之御魂天疎向津媛命は天照大神の荒魂とされる。荒魂とは災害や病気や戦ひをもたらす魂、和魂の反とされる。撞賢木嚴之御魂（つきさかきいつのみたま）とは、榊に憑き撞くごとく威力のある魂、荒魂を意味しやうか、天疎向津媛命（あまさかるむかつひめのみこと）は、天から遠く離れ港に向かふ媛、まるで気長足姫尊（神功皇后）その人の未来を暗示するやうな名前である。「天照大神は、悉に天原を治さむ。皇御孫尊は、専に葦原中国の八十魂神を治さむ」。仲哀天皇は、その神の言葉を信じられなかった。
そればかりではなかった。幡荻（はたすすき）穂に出し吾や、尾田の吾田節の淡郡に所居る神ともある。注に、釈紀は、延喜神名式の阿波国阿波郡、建布都神社（延喜式神社の調査）をあげ、地名辞書は、志摩国答志（たふし）郡、伊雑宮の項に、伊雑宮は皇太神宮儀式帳や延喜大神宮式の同国同郡の粟嶋坐伊射波神社(延喜式神社の調査)の二説をあげ、粟嶋の粟を淡郡の淡、田節を答志とみ、この神を稚日女尊、天照大神の分身あるいは妹、とする。
尾田については、倭姫世紀における伊雑宮の置かれた伊雑の乎田、あるいは粟嶋座伊射波神社の次の粟嶋坐神乎多乃御子神社の乎多とする。幡がすすきのごとくなびくその先端に出るといふイメージからすれば、建布都神社の祭神、建布都神（武甕槌命）、経津主命といった軍神が合致する。
更に、天事代於虚事代（あめにことしろそらにことしろ）玉籤入彦嚴之事代神（たまくしいりびこいつのことしろのかみ）も同意している。天の事を知り、虚、天と地の間の事を知り、玉櫛姫に通ひ、神日本磐余彦火火出見天皇（神武天皇）の后となる姫蹈鞴五十鈴姫命を生んだ事代神であり（書紀巻１）、大国主命に国譲りを迫ったのが武甕槌命と経津主命、国譲りする他ないことを知りそれを勧めたのが事代神であった（書紀巻2）。この神がついたことは、そうする以外に方法はないことを示唆している。
ここまでくると建内宿禰も、事態が動かしがたいことに気付き、まだこれに与（くみ）している神がいるはずであると思ひ、更に問ふた。有無を知らずと返ってきた。そこでだうしたことか？神の意を伝へる審神者たる中臣烏賊津使主が口を開いて問ふた。今は駄目でも後ではだうか、ともちかけると、日向国の橘小門の水底に所居て、水葉も稚に出で居る神、名は表筒男・中筒男・底筒男の神と返ってきた（書紀巻1）。水葉も稚に出で居るとは、注に、海草のやうにわかわかしくて生命に満ちて、とある。”みなは”であれば水沫（みなは）であらふ、筒は中空のものである、水中の空洞、或ひは水の粒、泡沫として人を渡すとイメージ。”つつ”筒は星で航海の際オリオン座中央のカラスキ星、参宿を目標としたとされる、人を渡し、航海を司る神である。水名爲嚴罔象女（いつのみつはのめ）　【罔象女　此云瀰菟破廼迷（みつはのめ）】といふのが神日本磐余彦天皇（神武天皇）の丹生川上での顕斎に出てくる（書紀巻3）。”みつは”は”みつち：蛟”でもあり、竜の形をしたとされる想像上の霊獣。稚は未熟、未成年であること、これから育つ、わかわかしい推進力とみてみやう。荒魂、軍神、予知神、航海神、まだあるはずと問ふてみたが、そこまで明かせばそれ以上は分かるであらうとばかりに、お告げは終った。一同は、その教へに従って祭りを終へた。
古事記はこの神託の主を天照大神と表筒男・中筒男・底筒男と簡略に記したが、書紀は、中臣烏賊津使主を登場させ、撞賢木嚴之御魂天疎向津媛命（天照大神の荒魂）、幡荻穂出神（天照大神分身/稚日女尊）、、天事代於虚事代玉籤入彦嚴之事代神（事代主神）、表筒男・中筒男・底筒男と詳細に記した。中臣氏がこだわったのであらうか。この神託に関しては以下に、別説も収録されており、論争があったものと思はれる。

然後　遣吉備臣祖鴨別　令撃熊襲國　未經浹辰　而自服焉　且荷持田村　【荷持　此云能登利】　有羽白熊鷲者　其爲人強健　亦身有翼　能飛以高翔　是以　不從皇命　毎略盜人民○戊子　皇后欲撃熊鷲　而自橿日宮遷于松峽宮　時飄風忽起　御笠堕風　故時人號其處曰御笠也　○辛卯　至層増岐野　即擧兵撃羽白熊鷲而滅之　謂左右曰　取得熊鷲　我心則安　故號其處曰安也　○丙申　轉至山門縣　則誅土蜘蛛田油津媛　時田油津媛之兄夏羽　興軍而迎來　然聞其妹被誅而逃之　

然（しかう）して後に、吉備臣（きびのおみ）の祖（おや）、鴨別（かものわけ）を遣（つかは）して、熊襲国（くまそのくに）を撃（う）たしむ。未（いま）だ浹辰（しばらく）も経（へ）ずして、自（おの）づからに服（まつろ）ひぬ。且（また）荷持田村（のとりたのふれ）　【荷持　此をば能登利（のとり）と云ふ】　羽白熊鷲（はしろくまわし）といふ者有り。其の為人（ひととなり）、強（こは）く健（こは）し。亦身に翼（つばさ）有りて、能（よ）く飛びて高く翔（かけ）る。是（ここ）を以て、皇命（おほみことのり）に従はず。毎（つね）に人民（おほみたから）を略盜（かす）む。○戊子（つちのえねのひ）（AD200.03.17）に皇后（きさき）、熊鷲（くまわし）を撃たむと欲（おもほ）して、橿日宮（かしひのみや）より松峽宮（まつをのみや）に遷（うつ）りたまふ。時に飄風（つむじかぜ）忽（たちまち）に起（おこ）こりて、御笠（みかさ）堕風（ふけおと）されぬ。故（かれ）、時人（ときのひと）、其の処（ところ）を号（なづ）けて御笠（みかさ）と曰（い）ふ。○辛卯（かのとのうのひ）（AD200.03.20）に層増岐野（そそきの）に至（いた）りて、即ち兵（いくさ）を挙（こぞ）りて羽白熊鷲を撃ちて滅（ころ）しつ。左右（もとこひと）に謂（かた）りて曰はく、「熊鷲を取（と）り得（え）つ。我が心則（すなはち）ち安（やす）し」とのたまふ。故、其の処を号（なづ）けて安（やす）と曰ふ。○丙申（ひのえさるのひ）（AD200.03.25）に、転（うつ）りまして山門県（やまとのあがた）に至りて、則ち土蜘蛛（つちぐも）田油津媛（たぶらつひめ）を誅（つみな）ふ。時に田油津媛が兄（いろね）夏羽（なつは）、軍（いくさ）を興（おこ）して迎（むか）へ来（まう）く。然るに其の妹（いも）の誅（ころ）されたることを聞きて逃げぬ。

大日本根子彦太瓊天皇（孝靈天皇）と絚某弟（はへいろど）の子、稚武彦命が吉備臣の始祖（書紀巻4）とあった。四道将軍の一人、腹違いの兄彦五十狹芹彦命（吉備津彦命）と吉備平定を行ったことから始祖となった。真金吹く吉備国、その製鉄鋳造、製塩技術をおさえることが狙ひとされた。日本武尊の東征に従軍し越に向かったのが吉備武彦、その子が鴨別であり、皇后のもとで吉備の勢力が動員された。吉備勢力が乗り出したことで、熊襲は降伏してきた。
浹はめぐる、辰は十二辰、十二支が一周する十二日間と注されている。3月1日から7日7夜、12日を加へると3月17日は過ぎてしまう。ところが荷持田村の羽白熊鷲は従はなかった。荷持田村は二説、和名抄の肥前国高木郡野鳥（乃止利）郷、長崎県島原市か？あるいは、筑前国夜須郡秋月庄野鳥村、福岡県甘木市大字野鳥（福岡県朝倉市秋月野鳥（地図））と注される。岡県主の祖、熊鰐は恭順してきた。熊鷲といふ名、飛びて高く翔る、からすれば、山と関連し、状況が読めていないといふ点からも山中の勢力とみるべきであらう。皇后の行軍の状況からしても、後者の方が合致する。
松峽宮は通証の筑前国夜須郡粟田村、福岡県朝倉郡三輪町粟田（福岡県朝倉郡筑前町栗田（地図））と注される。松峽八幡宮の由緒に「この社は、日本書紀の神功皇后紀の『元年三月皇后熊鷲を討たんと欲して香椎宮より松峽宮に遷る。松峽は万都乃乎と訓むべし』に起する。そして『名義は山峽に松の生いたる地にて負わせたるべしと』有り。八幡宮の北二〇丁ばかりの所にあり。（九州神社紀行－ブログ）」とある。御笠は筑前国御笠郡御笠郷、福岡県筑紫郡大宰府町水城辺り(福岡県大宰府市御笠（地図）)、とされ松峽宮のはるか手前となり、これは別の話が挿入されたのであらうか。鴨別の子孫に笠臣を名乗るものがあり、皇后の笠ではなかったのかもしれない。
層増岐野、野は平野部にかぎらず、耕作されない山野でもあり、通証の筑前怡土郡雷山中、層増岐嶽の大野、その地を安（やす）と云うことから、和名抄の筑前国夜須郡、福岡県朝倉郡北部・甘木市、万葉集の安野の二説と注される。朝倉郡夜須町は「北部の砥上岳（４９７ｍ）の中腹に観音塚古墳（装飾古墳）があり、南部の花立山丘陵地には九州最大の焼ノ峠古墳（前方後円墳。国指定史跡）があり、この地の支配者の墓と考えられている。（ふるさと朝倉：風変人）」地（地図）である。筑前、筑後、肥前、肥後、豊前、豊後の諸国にまたがる交通の要衝であり、筑紫平野を支配する強大な国が想定される地でもある。ところで、中洲（倭）と夜須町においては、「ほとんど同じ場所に同じやうな地名があります。たとえば、北の方に「笠置山」といふ山があり、「春日」といふところがあり、「三笠（御笠）山」といふところがあります。あるいは「長谷」であるとか「朝倉」であるとか、ほとんど同じやうな位置に同じ地名があります。これはいったい何を意味するのでしょうか？結論からいえば、これは北九州の邪馬台国勢力が東に移って大和朝廷をたてたさいに、もとの九州の地名を畿内に持っていったんだとわたくしは思います。」安本美典氏の邪馬台国「朝倉説」（ふるさと朝倉）の地でもある。
山門県についても、和名抄に筑後国山門郡山門郷、福岡県山門郡山川村(福岡県みやま市瀬高町山門あるいは山川町（地図））邪馬台国とされる地である。土蜘蛛で田油津媛、人をたぶらかすシャーマンといふ位置付がされているがだうだらうか。卑弥呼に連なるといふ説もある。兄、夏羽、軍を興してとあり、軍を興すといふは国単位を思はせ、田油津媛も女王クラスであってよい。ただ、熊鷲同様周辺との連携がとれていなかった。
ここまでくると、大足彦忍代別天皇（景行天皇）の十八年（書紀巻7）筑紫国の巡狩が蘇る。秋七月に高田行宮（歴木、三池町高泉：地図）に入る。百寮、群臣、かなり広範囲の地域から高田行宮に詣で来、あるいは、その地で従った豪族が結構いたかなりの重要拠点であった。そこを御木国（みけのくに）と称した。八女（やめ）県から水沼（みぬま）県を通っており、当然、道中の山門県を経ている。水沼県主は猿大海（さるおほみ）といった。水沼君は宇佐と同じく宗像三女神を祭り（元来は左座が宗像氏、右座が水沼君）、海人族安曇氏の系統である。猿大海は八女山中の八女津媛との友好関係を保ち、木を取引し、船を造り、有明海の海産物の海運に従事していたと思はれ、土蜘蛛といふイメージからほど遠い地域である。ただ、これらの子孫は熊鷲や田油津媛、夏羽とは同調しなかった。かつては、中洲（倭）よりははるかに先進地域であり、隠然たる力を有していたのであらう。そして、女王の存在が非常に目立っていた。大足彦忍代別天皇（景行天皇）の巡狩は、だからこそ古事記とは別に挿入され、ここでも気長足姫尊（神功皇后）の熊襲征伐がとりあげられている。この地域の富よりはるかに素晴らしいものが半島にある、その方向を変へることがテーマであった。ここでは、新羅方面との交易も行はれていたのかもしれない。書紀や古事記編纂の時代の人々が、土蜘蛛といってその優位性を誇っている姿は、明治維新を成し遂げて以降の日本人が、大陸や半島の人々より優位にたったと横柄な口をきいたのと変はりない。

夏四月壬寅朔甲辰　北到火前國松浦縣　而進食於玉嶋里小河之側　於是　皇后勾針爲鉤　取粒爲餌　抽取裳縷爲緡　登河中石上　而投鉤祈之曰　朕西欲求財國　若有成事者　河魚飮鉤　因以擧竿　乃獲細鱗魚　時皇后曰　希見物也　【希見　此云梅豆邏志】　故時人號其處　曰梅豆羅國　今謂松浦訛焉　是以　其國女人　毎當四月上旬　以鉤投河中　捕年魚　於今不絶　唯男夫雖釣　以不能獲魚　

夏四月（うづき）の壬寅（みづのえとら）の朔（ついたち）甲辰（きのえたつのひ）（AD200.04.03）に、北（きたのかた）、火前国（ひのみちのくちのくに）の松浦県（まつらのあがた）に到りて、玉嶋里（たましまのさと）の小河（をがは）の側（ほとり）に進食（みをし）す。是（ここ）に、皇后（きさき）、針を勾（ま）げて鉤（ち）を爲（つく）り、粒（いひぼ）を取（と）りて餌（ゑ）にして、裳（みも）の縷（いと）を抽取（と）りて緡（つりのを）にして、河（かは）の中の石（いそ）の上（うへ）へ登りて、鉤を投げて祈（うけ）ひて曰（のたま）はく、「朕（われ）、西（にしのかた）、財（たから）の国を求めむと欲（おもほす）ほす。若（も）し事を成すこと有らば、河（かは）の魚（いを）鉤（ち）飲（く）へ」とのたまふ。因（よ）りて竿（さを）を挙（あ）げて、乃（すなは）ち細鱗魚（あゆ）を獲（え）つ。時に皇后の曰はく、「希見（めづらし）き物なり」とのたまふ　【希見　此をば梅豆邏志（めづらし）と云ふ】　故（かれ）、時人、其の処（ところ）を号（なづ）けて、梅豆羅国（めづらのくに）と曰（い）ふ。今、松浦（まつら）と謂（い）ふは訛（よこなば）れるなり。是（ここ）を以（も）て、其の国の女人（をみな）、四月（うづき）の上旬（かみのとをか）に当（いた）る毎（ごと）に、鉤を以て河中（かはなか）に投（な）げて、年魚（あゆ）を捕（と）ること、今に絶（た）えず。唯し、男夫（をのこ）のみは釣ると雖（いへど）も、魚（いを）を獲（う）ること能（あた）はず。　

山門県より北に向かった。火前国は肥前国。松浦県とは万葉の「遊於松浦河序」の松浦之県、万葉868の麻都良我多、和名抄の肥前国松浦郡の地、玉嶋里の小河とは、佐賀県東松浦郡浜崎玉島町（佐賀県唐津市浜玉町（地図））、玉島川、と注される。玉島神社（肥前国松浦と住吉の世界）の地とされる。魏志倭人伝における末廬国、「好んで魚鰒（ぎょふく）を捕え、水深浅となく、皆沈没してこれを取る。（魏志倭人伝１）」である。書紀の編者は、魏志倭人伝において半島から対馬を経て最初に上陸する重要拠点であった末廬国のイメージを、気長足姫尊（神功皇后）の故事、梅豆羅国が松浦、それが末廬になったと意味をすりかへ順序をひっくり返した。”をす”は飲む、食う、身につけるなど貴人の行為をいう尊敬語で支配、統治することもいう語（字訓）。縷は長い糸、緡は釣り糸のこと、自分の身につけていた針を曲げて釣り針にし、裳から糸を抜き取って釣り糸とし、飯粒を餌にして、石の上にのぼり”うけひ”を行った。”うけひ”は神意を問ふものである。河魚が釣れれば事は適（かな）ふ。細鱗魚、年魚”あゆ”を得、”うけひ”は成就すると判明し、それを告げた河魚を”めづらし”となし、梅豆羅国とされたと云ふ。上旬（かみのとをか）と訓じさせている。旬は十日を云ひ、殷では帝の行動について旬毎に卜祭し、36旬とその余数日をもって一年(360日＋数日）とし、中旬、下旬を合はせて一月（30日）とした。
古事記は同様の話を気長足姫尊（神功皇后）の新羅からの帰還時としている。「故、その政（まつりごと）を未だ竟（を）えざりし間に、其の懷妊（はら）みたまふが産（あ）れまさむちしき。すなはち御腹を鎭（しづ）めたまはむとして、石を取り御裳の腰に纏（ま）かして、筑紫の國に渡りまして、その御子は生（あ）れましつ。故、その御子の生（あ）れましし地（ところ）を號けて宇美（うみ）と謂ふ。またその御裳に纏きたまひし石は、筑紫の國の伊斗（いと）の村に在り。また筑紫の末羅（まつら）の縣（あがた）の玉島の里に到りまして、その河の邊に御食（みをし）したまひし時、四月（うづき）の上旬（はじめ）に當たりき。ここにその河中の磯（いそ）に坐（ま）して、御裳の糸を拔き取り、飯粒（いひぼ）を餌にして、その河の年魚（あゆ）【其の河の名を小河と謂ふ。またその磯の名を勝門比賣（かちどひめ）と謂ふ】を釣りたまひき。　故、四月の上旬（はじめ）の時、女人（をみな）裳の糸を拔き、粒（いひぼ）を餌にして、年魚（あゆ）を釣ること、今に至るまで絶えず。（岩波文庫）」末羅（末廬）国、伊斗（伊都）国はそのままの名を使い、宇美（宇美八幡宮（公式HP）：福岡県糟屋郡宇美町(地図）当時の海岸線はこのあたりまで後退していたことが分かる。）が新たに付された地名としているにすぎない。書紀では後に宇瀰として魏志倭人伝の不弥国に先立つ命名とする。書紀の編者達はここに譲れないものがあり、”うけひ”の成立と梅豆羅国の命名故事を挿入し古事記を訂正した。これで気長足姫尊（神功皇后）は魏志倭人伝より先の皇后であり、よもや魏から倭王に任じられた卑弥呼と混同されることはあるまいと。倭がかつて中国に朝貢し、臣従したこと、中国につけいれられる口実を与える記述を打ち消すことが至上命題であったのだらう。
書紀では、気長足姫尊の行為は神意の実現であり、”うけひ”により成就が約束されたもの、とする視点を導入することが重要であったやうだ。

既而皇后　則識神敎有驗　更祭祀神祗　躬欲西征　爰定神田而佃之　時引儺河水　欲潤神田而掘溝　及于迹驚岡　大磐塞之　不得穿溝　皇后召武内宿禰　捧釼鏡令禱祈神祗　而求通溝　則當時　雷電霹靂　蹴裂其磐　令通水　故時人號其溝曰裂田溝也　皇后還詣橿日浦　解髮臨海曰　吾被神祗之敎　賴皇祖之靈　浮渉滄海　躬欲西征　是以　今頭滌海水　若有驗者　髮自分爲兩　卽入海洗之　髮自分也　皇后便結分髮而爲髻　因以　謂群臣曰　夫興師動衆　國之大事　安危成敗　必在於斯　今有所征伐　以事付群臣　若事不成者　罪有於群臣　是甚傷焉　吾婦女之　加以不肖　然暫假男貌　強起雄略　上蒙神祗之靈　下藉群臣之助　振兵甲而度嶮浪　整艫船以求財土　若事就者　群臣共有功　事不就者　吾獨有罪　既有此意　其共議之　群臣皆曰　皇后爲天下　計所以安宗廟社稷　且罪不及于臣下　頓首奉詔　

既（すで）にして皇后、則（すなは）ち神の教（みこと）の験（しるし）有ることを識（しろ）しめして、更（さら）に神祗（あまつかみくにつかみ）を祭（いの）り祀（まつ）りて、躬（みづか）ら西（にしのかた）を征（う）ちたまはむと欲（おもほ）す。爰（ここ）に神田（みとしろ）を定めて佃（つく）る。時に儺（な）の河（かは）の水を引（まか）せて、神田に潤（つ）けむと欲（おもほして、溝（うなで）を掘る。迹驚岡（とどろきのおか）に及（いた）るに、大磐（おほいは）塞（ふさが）りて、溝を穿（とほ）すこと得ず。皇后、武内宿禰（たけしうちのすくね）を召して、剣鏡（たちかがみ）を捧（ささ）げて、神祗（あまつかみくにつかみ）を禱祈（いの）りまさしめて、溝を通（とほ）さむことを求む。則ち当時（とき）に、雷電霹靂（かむとき）して、其の磐（いは）を蹴（ふ）み裂（さ）きて、水を通さしむ。故（かれ）、時人（ときのひと）、其の溝を号（なづ）けて裂田溝（さくたのうなで）と曰（い）ふ。皇后、橿日浦（かしひのうら）に還（かへ）り詣（いた）りて、髮（みぐし）を解きて海（わた）に臨みて曰（のたま）はく、「吾（われ）、神祗の教を被（う）け、皇祖（おほみおや）の霊（みたまのふゆ）を頼（かうぶ）りて、滄海（あをきうなはら）を浮渉（わた）りて、躬（みづか）ら西（にしのかた）を征（う）たむとす。是（ここ）を以（も）て、頭（かしら）を海水（うしほ）に滌（すす）がしむ。若（も）し験（しるしの）有らば、髮（みぐし）自（おの）づからに分（わか）れて両（ふたつ）に爲れ」とのたまふ。即ち海（わた）に入れて洗（すす）ぎたまふに、髮自づからに分れぬ。皇后（きさき）、便（すなは）ち髮を結分（あ）げたまひて、髻（みづら）にしたまふ。因（よ）りて、群臣（まへつきみたち）に謂（かた）りて曰はく、「夫（そ）れ師（いくさ）を興（おこ）し衆（もろもろ）を動（うごかすは、国の大事（おほきこと）なり。安（やす）さも危（あやふ）さも成り敗れむこと、必（ふつく）に斯（これ）に在り。今征伐（う）つ所有り。事を以て群臣に付（さづ）く。若し事成らずば、罪（つみ）群臣に有らむ。是（これ）、甚（はなは）だ傷（いた）きことなり。吾（われ）婦女（たをやめ）にして、加以（また）不肖（をさな）し。然（しか）れども暫（しばら）く男（ますらを）の貌（すがた）を仮（か）りて、強（あながち）に雄（をを）しき略（はかりごと）を起さむ。上（かみ）は神祗の霊（みたまのふゆ）を蒙（かうぶ）り、下（しもは群臣の助に藉（よ）りて、兵甲（つはもの）を振（おこ）して嶮（たか）き浪（なみ）を度（わた）り、艫船（ふね）を整（ととの）へて財土（たからのくに）を求む。若し事成らば、群臣、共に功（いさをしきこと）有り。事就らずは、吾独（ひとり）罪有れ。既に此（こ）の意（こころ）有り。其れ共に議（はか）らへ」とのたまふ。群臣（まへつきみたち）、皆（みな）曰（まう）さく、「皇后、天下（あめのした）が爲（ため）に、宗廟社稷（くにいへ）を安みせむ所以（ゆゑ）を計（はか）ります。且（また）罪臣下（おのら）に及ぶまじ。頓首（つつし）みて詔（みことのり）を奉（うけたまはる）りぬ」とまうす。

教の験とは、熊襲が平定されたことと注されている。九月に臨月を迎へており、八年九月にお告げのあった子が宿っていたこととみるべきであらう。更に神祗を祭祀したとは、そのお礼と更なる祈願、西を征つこと。
爰にとは何処か？神田を”みとしろ”と訓じている。みは尊称、”とし”は年、歳、一毛作収穫の穀物、御年神（みとしのかみ）は稲を神格化したもの、”しろ：代”は名詞の下にそえて複合語をつくる、苗代は苗をつくるための地（字訓）。佃は作り田の意。感謝して神田を作った。儺の河は那珂川と注される。那珂川より溝を掘って水を引いた。迹驚岡は通証に那珂郡安徳村（福岡県筑紫郡那珂川町安徳（地図）と注される。裂田溝は、同町の山田地区、一の井手、伏見宮で那珂川から分流するおよそ5.6キロの水路、北に向かって東隈、仲、五郎丸、松木、今光の各地区の稲田を潤す現存の水路である（ふくおか歴史探訪）。祭祀した処、そこの神田であるが、どうも場所がつながらない、別途の話が継ぎ合はされたのであらうか。
何故溝が必要とされたか。「水田に水を引くといふのは本川から運河または引水路をひくのであって、川から直接引水をひくのではない。なぜなら、本川の川底はしばしば田んぼより低いレベルにあるから水をひくことはできないからだ。・・・それは低い堰を川をせき止めるやうに斜めにつくり、水が少ないときは低い堰によって水路の方向に水が流れ、大水のときは低い堰をオーバーフローして本川に流れていく。「乗越堤」である。つまり，恒常的に水を田んぼに入れることができる。（「裂田溝」はいかにつくられたか：田中充子、京都精華大学紀要　第三十二号）」とあり手本とされた水路なのであらう。
大磐に溝を通すために、剣と鏡を捧げて神祗に祈った。雷（かみなり）電（いなびかり）霹靂は落雷して物が裂けること、破裂する音、”かむとけ”雷解け、”とけ”は裂けること（字訓）。「イモガラを焼いて岩を熱くしているところへ、突如、雷が落ち大雨が降り出して岩が割れた。それを、人々は神功皇后の祈りが届いたとおもった。神功皇后は巫女だったからだ。しかしじっさいは、岩が急激に冷やされてその温度差によって割れたのだらう。皇后はあらかじめ、何時大雨が降るかを予測し、数日前から岩の上でイモガラを焼き、雨で岩を割ったのだらう。むかしの人の知恵に驚かされる。（前掲書）」とみておられる。この技術を誇ったのが中洲の政権であったのだらう。
神田を何故つくったのか？「かんがえられるのは、新羅遠征のための「兵集め」ではなかったか、といふことである。いま述べたやうに大勢の兵隊を大和から筑紫まで連れてくるといふのは至難なことである。新羅を攻めるには、おそらく何万といふ兵隊が必要だったらう。兵隊だけでなく、かれらを支える食料や武器などいろいろなものを運搬する人員も必要である。そのためのたくさんの船も必要だ。水軍も必要なのである。そこで皇后は，現地の人民に水路の開鑿や沃野の開拓を教える。そうして生まれた水田を人民に分け与える。すると人民は水田の代償として、皇后の徭役の命にしたがう。兵役にもしたがうのである。皇后は土地の開発をおこなうことによって、新羅遠征の兵を得た、とかんがえられる。（前掲書）」とみておられる。
実に大変な決断を必要とした。一体どこで祭祀をされ、何処に神田を定めたものか？橿日浦に帰って”うけひ”を行った。海に入り、頭を海水に滌がしめ、若し験有らば、髮自づからに分れて両に爲れ。髮自づからに分れぬ、髻（みづら）は男性の髪型であり、男となることである、”うけひ”は成就した。婦女にして、至らぬ。しかし、しばし男の貌をして、強に雄しき略を起さむ。しかし、師を興し衆を動すは、国の大事なり。失敗すれば類は群臣に及ぶ、事就らずは、吾独罪有れ。神意のみでは事は動かない。群臣に計ったところ、皆が賛意を示した。漢書、高后紀、「皇太后爲天下計所以安宗廟社稷甚深頓首奉詔」によると注されている。国の方向を定めるための大変な議事が行はれた。

秋九月庚午朔己卯　令諸國集船舶練兵甲　時軍卒難集　皇后曰　必神心焉　則立大三輪社　以奉刀矛矣　軍衆自聚　於是　使吾瓮海人烏摩呂　出於西海　令察有國耶　還曰　國不見也　又遣磯鹿海人名草而令視　數日還之曰　西北有山　帶雲横絚　蓋有國乎　爰卜吉日　而臨發有日　時皇后親執斧鉞　令三軍曰　金鼓無節　旌旗錯亂　則士卒不整　貪財多欲　懷私内顧　必爲敵所虜　其敵少而勿輕　敵強而無屈　則姧暴勿聽　自服勿殺　遂戰勝者必有賞　背走者自有罪　既而神有誨曰　和魂服王身而守壽命　荒魂爲先鋒而導師船　【和魂　此云珥岐瀰多摩　荒魂　此云阿邏瀰多摩】　卽得神敎而拜禮之　因以依網吾彥男垂見爲祭神主　于時也　適當皇后之開胎　皇后則取石插腰　而祈之曰　事竟還日　産於玆土　其石今在于伊覩縣道邊　既而則撝荒魂　爲軍先鋒　請和魂　爲王船鎭　

秋九月（ながづき）の庚午（かのえうま）の朔（ついたち）己卯（つちのとのうのひ）（AD200.09.10）に、諸国（くにぐに）に令（みことのり）して、船舶（ふね）を集（つど）へて兵甲（つはもの）を練（ね）らふ。時に軍卒（いくさびとども）集ひ難（がた）し、皇后の曰はく、「必ず神の心（みこころ）ならむ」とのたまひて、則ち大三輪社（おほみわのやしろ）を立てて、刀矛（たちほこ）を奉（たてまつ）りたまふ。軍衆（いくさびと）自（おの）づから聚（あつま）る。是（ここ）に、吾瓮海人烏摩呂（あへのあまをまろ）といふをして、西海（にしのみち）に出（い）でて、国有りやと察（み）しめたまふ。還（かへ）りて曰さく、「国も見えず」とまうす。又（また）磯鹿（しか）の海人（あま）、名は草（くさ）を遣（つかは）して視（み）しむ。日を数（へ）て還りて曰（まう）さく、西北（いぬゐのかた）に山有り。帯雲（くもゐ）にして横（よこしま）に絚（わた）れり。蓋（けだ）し国有らむか」とまうす。爰（ここ）に吉日（よきひ）を卜（うら）へて、臨發（たちたまは）むとすること日有り。時に皇后（きさき）、親（みづか）ら斧鉞（をのまさかり）を執（と）りて、三軍（みたむろのいくさ）に令（のりごと）して曰（のたま）はく、「金鼓（かねつづみ）節無（わきだめな）く、旌旗（はた）錯（まが）ひ乱（みだ）れむときには、士卒（いくさのひとども）整（ととの）はず。財（たから）を貪（むさぼ）り多欲（ものほしみ）して、私（わたくし）を懐（おも）ひて内顧（うちかへり）みれば、必（ふつく）に敵（あた）の爲（ため）に虜（と）られなむ。其れ敵（あた）少（すくな）くともな軽（あなづ）りそ。敵強（おほ）くともな屈（お）ぢそ。則ち姧（をか）し暴（しの）がむをばな聴（ゆる）しそ。自（みづか）ら服（まつろ）はむをばな殺しそ。遂に戦（たたかひ）に勝たば必ず賞（たまひもの）有らむ。背（に）げ走（はし）らば自（おの）づから罪有らむ」とのたまふ。既にして神の誨（をし）ふること有りて曰はく、「和魂（にきみたま）は王身（みついで）に服（したが）ひて寿命（みいのち）を守らむ。荒魂（あらみたま）は先鋒（さき）として師船（みいくさのふね）を導かむ」とのたまふ。【和魂、此をば珥岐瀰多摩（にきみたま）と云ふ。荒魂、此をば阿邏瀰多摩（あらみたま）と云ふ】　即ち神の教（みこと）を得て、拝礼（ゐやま）ひたまふ。因（よ）りて依網吾彦男垂見（よさみのあびこをたるみ）を以て祭（いはひ）の神主（かむぬし）とす。時に、適（たまたま）皇后の開胎（うむがつき）に当（あた）れり。皇后則ち石を取りて腰（みこし）に插（さしはさ）みて、祈りたまひて曰（まう）したまはく、「事竟（を）へて還らむ日に、玆土（ここ）に産（あ）れたまへ」とまうしたまふ。其の石は、今伊覩県（いとのあがた）の道の辺（ほとり）に在り。既にして則ち荒魂を撝（を）ぎたまひて、軍（いくさ）の先鋒（さき）とし、和魂を請（ね）ぎて、王船（みふね）の鎮（しづめ）としたまふ。

諸国に号令して船舶を集めた。船は水に順って行くが原義、舶は海上交通に用いる大船（字統）。総動員をかけねば舶は揃はない。兵は斤（おの）を両手でさしあげている形、武器をとって戦うもの、甲は甲羅の形、獣皮を綴り、後には鉄の小札を緒通しにして作った（字統）。バラバラに集まってくるから練兵が必要となる。ところが軍卒が集まらない。神の心に端を発するものと、大三輪社を建て、刀矛を奉った。このことにより軍衆自ら聚ってきた。
大三輪の神とは大物主神、海から浮き来たとされる大己貴神の幸魂奇魂であった（書紀巻１）。注に、延喜神名式に筑前国夜須郡於保奈牟智神社（延喜式神社調査）があり、福岡県朝倉郡三輪町弥永（福岡県朝倉郡筑前町弥永697-3(地図））とある。田油津媛の勢力範囲であり、筑紫平野の諸国の船舶、軍勢を取り込むことに腐心されたのであらう。依網吾彦男垂見を神主とした。依網は依網池（書紀巻５）の依網東住吉区我孫子町、庭井町から大和川の対岸、松原市天美町一帯。吾彦は我孫でもある。男垂見は和名抄、播磨明石郡の垂見を多留見とよんでおる、と注され住吉出身で播磨に居た男が任命されたことにならうか。
ここで偵察を送り出した。吾瓮は阿閉嶋（書紀巻８）、御甂（みなへ：器）としたとあり、その地の海人でその名が烏摩呂を西海に送った。足仲彦天皇（仲哀天皇）の場合と同じく国は見えなかった。磯鹿とは和名抄の筑前国糟屋郡志珂郷（志賀島）、万葉集にも志賀島の海人の歌が多く歌われていると注される。草といふ者は何日かたって、西北に山が有り、雲が横たはっていたと報告、雲の下には島があり多分そこに国があるとみたてたのであらう。
これは妙な話であり、奴国の時代には後漢の光武帝（A.D.57年）より「漢委奴国王」の金印を授かり、107年には十月、倭国王、帥升らが後漢に朝貢し、安帝に生口160人を献上しており、土地の人間のみならず西海の彼方に国のあることは、よくよく知られていたはずである。中洲の政権の豪族ですらよく知っていたはずである、それをあたかも初めて発見するかのごとき扱いをしているのは、一体だういふ意図があってのことか？
出発の日を卜ふと、何日か先となった。吉日とは開胎（うむがつき）であった。石を取りて腰に插み、帰る時までお産を延ばして欲しいと祈った。神功皇后・鎮懐石（九州最古の万葉歌碑, 由緒 - 鎮懐石八幡宮）とされる。女であるが男として行動せねばならぬ身、まさに本来なら産まれんとする日を出発の日となす。荒唐無稽とされる由縁である。
親ら斧鉞を執りてとは、自ら将軍となること、天子六軍、諸侯三軍、大国の諸侯が三軍、気長足姫尊（神功皇后）は大国諸侯並の軍を動かしたとなす。一軍の兵数は12500人、三軍ならば、37500人となる。孫子、軍争に曰く、「軍政に曰く、言、相聞こへず故に之を金鼓と為す。視、相見へず故に之を旌旗と為す。夫れ金鼓、旌旗は人の耳目を一つにする所以なり」。金鼓が節無くとはリズムが乱れること、そして、旌旗が錯亂すれば士卒は整はなくなる。財にめがくらみ自分の身内しか考へないとすれば、バラバラにされ捕虜とならう。敵が少なくとも侮るな、多くとも恐れるな。姦し暴することは許さない。服従するものは殺すな。戦に勝たば必ず賞を与える。背走すれば墓穴を掘らう。孫子のごとき訓示を行った。
王身を”みついで”と訓じている。”み”は尊称、”ついで”は序の意であらうが未詳と注される。和”にき”とは穏やかなこと、和魂は王が服を身にまとうやうに王をまとい、寿命を守るであらうが、気長足姫尊（神功皇后）は身重まさに臨月の状態である。天照大神の和魂は憑くがごとくにその子までお守りするといふ配慮か？平成、令和の感覚では、髻姿でこの石二個を付けると変身して男となったとでもいふか、神意図りがたし。荒魂は先鋒として障害となるものを取り払ふ。神がそう申しておられる以上、それを拜禮（ゐやまふ）べし。撝ぐはさしまねくこと、”をぐ”は招、呼、神を招いて憑かせること。”ねぐ”は、神の心を労（ねぎら）ひ安めその加護を得ること（字訓）。

冬十月己亥朔辛丑　從和珥津發之　時飛廉起風　陽侯擧浪　海中大魚　悉浮扶船　則大風順吹　帆舶隨波　不勞㯭楫　便到新羅　時隨船潮浪　遠逮國中　卽知　天神地祇悉助歟　新羅王　於是　戰戰慄慄厝身無所　則集諸人曰　新羅之建國以來　未甞聞海水凌國　若天運盡之　國爲海乎　是言未訖間　船師滿海　旌旗耀日　鼓吹起聲　山川悉振　新羅王遥望以爲　非常之兵　將滅己國讋焉失志　乃今醒之曰　吾聞　東有神國　謂日本　亦有聖王　謂天皇　必其國之神兵也　豈可擧兵以距乎　卽素旆而自服　素組以面縛　封圖籍　降於王船之前　因以　叩頭之曰　從今以後　長與乾坤　伏爲飼部　其不乾船柂　而春秋獻馬梳及馬鞭　復不煩海遠　以毎年貢男女之調　則重誓之曰　非東日更出西　且除阿利那禮河返以之逆流　及河石昇爲星辰　而殊闕春秋之朝　怠廢梳鞭之貢　天神地祇　共討焉　時或曰　欲誅新羅王　於是　皇后曰　初承神敎　將授金銀之國　又號令三軍曰　勿殺自服　今既獲財國　亦人自降服　殺之不祥　乃解其縛爲飼部　遂入其國中　封重寶府庫　收圖籍文書　卽以皇后所杖矛　樹於新羅王門　爲後葉之印　故其矛今猶樹于新羅王之門也　爰新羅王波沙寐錦　卽以微叱己知波珍干岐爲質　仍齎）金銀彩色及綾羅縑絹　載于八十艘船　令從官軍　是以　新羅王常以八十船之調　貢于日本國　其是之縁也　於是高麗百濟二國王　聞新羅收圖籍　降於日本國　密令伺其軍勢　則知不可勝　自來于營外　叩頭而款曰　從今以後　永稱西蕃　不絶朝貢　故因以　定内官家屯倉　是所謂之三韓也　皇后從新羅還之　

冬十月（かむなづき）の己亥（つちのとゐ）の朔（ついたち）辛丑（かのとのうしのひ）（AD200.10.03）に、和珥津（わにのつ）より発（た）ちたまふ。時に飛廉（かぜのかみ）は風（おひかぜ）を起（おこ）し、陽侯（うみのかみ）は浪を挙（あ）げて、海（うみ）の中の大魚（おほいを）、悉（ふつく）に浮びて船（みふね）を扶（たす）く。則（すなは）ち大きなる風順（おひかぜ）に吹きて、帆舶（ほつむ）波に隨（したが）ふ。㯭楫（かぢかひ）を労（いたつ）かずして、便（すなは）ち新羅（しらき）に到る。時に隨船潮浪（ふななみ）、遠（とほ）く国の中に逮（みちおよ）ぶ。即（すなは）ち知る、天神地祇（あまつかみくにつかみ）の悉（ふつく）に助けたまふか。新羅（しらき）の王（こきし）、是（ここ）に、戦戦慄慄（おぢわなな）きて厝身無所（せむすべなし）。則ち諸人（もろもろのひと）を集へて曰（い）はく、「新羅の、国を建（た）てしより以来（このかた）、未（いま）だ甞（むかし）も海水（うしほ）の国に凌（のぼ）ることを聞かず。若（けだ）し天運（よのかぎり）尽（つ）きて、国、海と爲（な）らむとするか」といふ。是（こ）の言（こと）未だ訖（をは）らざる間（あひだ）に、船師（ふないくさ）海に満ちて、旌旗（はた）日に耀（かかや）く。鼓吹（つづみふえ）聲（こゑ）起して、山川（やまかは）悉（ふつく）に振（ふる）ふ。新羅の王（こきし）遥（はるか）に望（おせ）りて以爲（おも）へらく、非常（おもひのほかの）の兵（つはもの）、将（まさ）に己（おの）が国を滅さむとすと。讋（お）ぢて志（こころ）失（まど）ひぬ。乃今（いまし）醒（さ）めて曰く、「吾聞く、東（ひむがしのかた）に神国（かみのくに）有り。日本（やまと）と謂ふ。亦聖王（ひじりのきみ）有り。天皇（すめらみこと）と謂ふ。必ず其の国の神兵（みいくさ）ならむ。豈（あに）兵（いくさ）を挙（あ）げて距（ふせ）くべけむや」といひて、即ち素旆（しろきはた）あげて自（みづか）ら服（まつろ）ひぬ。素組（しろきくみ）して面縛（みづからとらは）る。図籍（しるしへふみた）を封（ゆひかた）めて、王船（みふね）の前（まへ）に降（くだ）す。因（よ）りて、叩頭（の）みて曰（まう）さく、「今より以後（のち）、長く乾坤（あめつち）に与（ひと）しく、伏（したが）ひて飼部（みまかひ）と爲（な）らむ。其れ船柂（ふねかぢ）を乾（ほ）さずして、春秋（はるあき）に馬梳（うまはたけ）及び馬鞭（うまのむち）を献（たてまつ）らむ。復（また）海（わた）の遠きに煩（いたつ）かずして、年毎（としごと）に男女（をとこをみな）の調（みつき）を貢（たてまつ）らむ」とまうす。則ち重（かさ）ねて誓（ちか）ひて曰さく、「東（ひむがし）にいづる日（ひ）の、更（さら）に西（にし）に出づるに非（あら）ずは、且（また）阿利那禮河（ありなれがわ）の返（かへ）りて逆（さかしま）に流れ、河の石の昇りて星辰（あまつみかほし）と爲るに及（いた）るを除（お）きて、殊（こと）に春秋の朝（ゐや）を闕（か）き、怠（おこた）りて梳（くし）と鞭（むち）との貢（みつき）を廃（や）めば、天神地祇、共に討（つみな）へたまへ」とまうす。時に或（あるひと）の曰はく、「新羅の王を誅（ころ）さむ」といふ。是（ここ）に、皇后（きさき）の曰（のたま）はく、「初（はじ）め神の教（みこと）を承（うけたまは）りて、将（まさ）に金銀（こがねしろがね）の国を授（う）けむとす。又三軍（みたむろのいくさ）に号令（のりごと）して曰（い）ひしく、『自ら服（こ）はむをばな殺しそ』といひき。今既に財（たから）の国を獲（え）つ。亦（また）人（ひと）自（おの）づから降（まつろ）ひ服（したが）ひぬ。殺すは不祥（さがな）し」とのたまふ。乃ち其の縛（ゆはひつな）を解（と）きて飼部（みまかひ）としたまふ。遂（つひ）に其の国の中に入りまして、重寶（たから）の府庫（くら）を封（ゆひかた）め、図籍文書（しるしのふみ）を收（とりをさ）む。即ち皇后の所杖（つ）ける矛（みほこ）を以て、新羅の王の門（かど）に樹（た）て、後葉（のちのよ）の印（しるし）としたまふ。故（かれ）、其の矛（みほこ）、今猶（なほ）新羅の王の門に樹（た）てり。爰（ここ）に新羅の王（こきし）波沙寐錦（はさむきむ）、即ち微叱己知波珍干岐（みしこちはとりかんき）を以て質（むかはり）として、仍（よ）りて金（こがね）銀（しろかね）彩色（うるはしきいろ）及び綾（あやきぬ）羅（うすはた）縑絹（かとりのきぬ）を齎（もたら）して、八十艘（やそかはら）の船に載（のせい）れて、官軍（みいくさ）に従（したが）はしむ。是（ここ）を以（も）て、新羅の王、常（つね）に八十船の調（みつき）を以て日本国（わがみかど）に貢（たてまつ）る。其れ是（こ）の縁（ことのもと）なり。是（ここ）に、高麗（こま）、百済（くだら）、二（ふたつ）の国の王（こきし）、新羅の図籍（しるしへふみた）を收（とりをさ）めて日本国（やまとのくに）に降（まつ）りぬと聞きて、密（ひそか）に其の軍勢（みいくさのいきほひ）を伺（うかが）しむ。則ちえ勝つまじきことを知りて、自ら営（いほり）の外（ほか）に来（まうき）て、叩頭（の）みて款（まう）して曰（まう）さく、「今より以後（のち）は、永く西蕃（にしのとなり）と称（い）ひつつ、朝貢（みつきたてまつること）絶（た）たじ」とまうす。故、因りて、内官家屯倉（うちつみやけ）を定（さだ）む。是（これ）所謂（いはゆる）三韓（みつのからくに）なり。皇后（きさき）、新羅（しらき）より還（かへ）りたまふ。

古事記の曰く、「故、備（つぶ）さに敎へ覺したまひし如くにして、軍（いくさ）を整へ船を雙（な）めて度（わた）り幸（い）でましし時、海原の魚、大き小さきを問はず悉に御船を負ひて渡りき。ここに順風（おひかぜ）大（いた）く起こりて、御船浪の從（まにま）にゆきき。故、其の御船の波瀾（なみ）、新羅（しらぎ）の國に押し騰（あが）りて、既に國半（なから）に到りき。ここにその國王（こにきし）、畏惶（かしこ）みて奏言（まを）しけらく、「今より以後（のち）は天皇の命（みこと）の隨（まにま）に、御馬甘（みまかひ）として、年毎に船を雙（な）めて、船腹（ふなばら）乾（ほ）さず、柂（さを）楫（かじ）乾（ほ）さず、天地（あめつち）の共與（むた）、退（や）むこと無く仕へ奉らむ」。故、ここを以ちて新羅の國は御馬甘と定め、百濟（くだら）の國は渡（わたり）の屯家（みやけ）と定めたまひき。ここにその御杖を、新羅の國主（こにきし）の門（かど）に衝（つ）き立てて、すなはち墨江（すみのえ）の大神の荒御魂（あらみたま）を、國守ります神として、祭り鎭めて還り渡りたまひき。(岩波文庫)｣

和珥津は対馬北端の対馬市上対馬町鰐浦（地図）。飛廉は風伯（神）、「頭が雀に似ていて一対の角がはえ、からだが鹿、尾が蛇のやうで、豹のやうな斑がある（黄炎篇、中国の神話伝説上、青土社）」。陽侯は、「もともと諸侯であったが、罪を犯したため川に身を投じて自殺し、死後に大波の神になり、黄河の水神である河伯の配下…蛟竜と共に波浪を起こす（周秦篇、中国の神話伝説上、青土社）」。中国の風神、波浪神及び大魚に扶助され、帆を付けた船は大きな順風を受けて進む。舵柂も櫂（楫）も労せずして（いたつかず）新羅に着いた。隨船潮浪（ふななみ）とは船、潮と浪のまにまに、のこと。あまりの手際の良さであり、天神地祇、あらゆる神々の加護のあることを知った。
さて、魏志倭人伝の世界では、狗邪韓国から対馬に渡ったとある（魏志倭人伝１）。韓国とは馬韓、辰韓、弁韓のこと（地図）。馬韓の伯済国が百済となり、辰韓は秦から移ってきた流民によりなり、そのうちの斯盧国が新羅となり、狗邪韓国は弁韓のちの任那に属した。下文からすれば、狗邪韓国じゃなく新羅の王宮のある金城に至っている。辰韓、弁韓が統一されて以降の新羅であり、歴史的には四世紀末から五世紀のことである。卑弥呼より以前のはずの気長足姫尊（神功皇后）は卑弥呼より一世紀以上後の世界に辿り着くことになる。その混乱ぶりは以下の通りであらう。

新羅の王はその様に戦慄し、厝身は措身で身の措（を）き所く無く、諸人を集めてこう言ったとされる。建国以来、海水がこのやうにどっと押し寄せてくる、津波のごとく王宮金城（慶尚北道慶州市：地図）まで押し寄せるのを聞いたことはない。天運が尽きて国が海になる（海没する）のであらうか？言ひ終はらぬうちに、船団海に満ち、旌旗日に耀き、太鼓笛が鳴り響き、山川が振動した。王が望見するに予想できぬ兵であり、国が滅びる危険を覚へ、はっと思ひ出した。これは普通の兵でなく、かの東の神国、日本の聖王、天皇の神兵であり、到底防ぐことはできぬ、と白旗をあげて降服の意を示した。素とは色に染めていない生地、素組は白い綬（印綬）を頸にかけて降ること。面縛は両手を後ろに縛り顔を前に向けること、謝罪して降服すること。図籍は土地の図面と人民の籍、これに封印することは支配権の放棄、”へ”は戸”ふみ”は文と注される。図籍は田の図と農民の数、徴税の元帳であらう。叩頭は頭を地に垂れて服することであらうが、”のむ”と訓じており、祈る意味が入っていやう。
乾は易の三陽、天であり父、坤は三陰、地であり母、乾坤に与（ひと）しくとは、天地を共（むた）にしての義。同じ天下で、従って飼部といふ部民の役割を果たすといふ。日本には良い馬がなかったため、舵を乾かさずとは、長い航海をしてでも、春秋に馬を運ぶ、梳（毛を洗うハケ）と鞭のみを献上したわけではあるまい。古墳中期頃から馬具の副葬品が多くなると注される。年毎に男女を貢ぐともある。新羅は美女で名高い国であり、「倭国からは再三にわたって王や王子に新羅の娘を嫁に欲しいといふ申し込みが行われていて、日本の王たちが新羅の美女たちを欲しがっていたことを新羅の王たちは十分に知っていた。」「こうした新羅女性の美しさは、おそらく周辺諸国とは異った文化を受け容れていた社会の中から生まれてきた美しさであったのではなからうか。あるいはまた、異文化（ローマ文化）とともに新羅にやってきた異国人たちとの混血によって生れてきた美女たちであったのかもしれない（ローマ文化王国―新羅：由水常雄著、新潮社）」。
駕洛国記、建武二十四年(AD48年）に、首露の王妃として、許黄玉（ホファンオク：インドのアユタ国王の娘とされる）が、駕洛に嫁入りした話があり、駕洛の鉄を求めインド商人が交易に訪れており、インド商人を通じて、東南アジア、地中海へとつながっていたとされる（書紀巻6）。新羅の交易活動も後には、唐の彼方へと展開することになる。「新羅第八代阿達羅王の四年（AD157年）に東海の浜に、延烏郎・細烏女の夫婦があり、延烏郎が一巌に乗って日本に渡り、日本国人が彼を非常の人として王とし、細烏女も一巌に乗って日本に渡り、夫婦は再会し、貴妃となった（書紀巻6）。」といふ話もあり、思っている以上の交流があった。
倭が王子の花嫁を求めるといふは、新羅本紀第二・第十六代　訖解尼師今（在位ＡＤ310-356）「三年（312年）春三月倭の国王、使ひを遣はし、子の為に婚を求む。以て阿飡の急利の女（むすめ）これを送る（徒論（Toron）)」に現はれる。

東から上る陽が西から上り、阿利那禮河が逆流し、河の石が天に昇り星辰となるやうな事でもなくば、朝貢することを怠るなら、倭の天神地祇の罪を受けましょうと臣従を誓った。”ありなれ”は鴨緑江の異名であるが、状況からすれば、慶州付近の北川、古名閼(ありなる）川が合致する。すると或（あるひと）とは誰であらうか？疑ひを抱き、「新羅の王を誅（ころ）さむ。」と進言した。
広開土王碑（古代史獺祭）によれば、「百残（百済）と新羅は舊く是れ属民。由り来き朝貢す。而して倭、辛卯年（391年）を以て来り、渡海して百残＊＊新羅を破り、以て臣民と為す」とあり、新羅を臣民としたことは確認される。新羅本紀第三・第十七代、奈勿尼師今（在位ＡＤ356-402）（徒論（Toron）)によれば、「三十八年（393年）夏五月倭人来りて金城を圍む、五日解かず。・・（死地に引き込み）・・夾撃して大ひにこれを敗り、甚しく衆きを殺し獲る」とあり、倭人は金城を囲む勢ひであるが、結末は敗戦であり、真逆の記述となっている。その約30年前、「九年（364年）夏四月倭兵大ひに至る。王これを聞きて、敵とすべからずと恐る。・・（策が成功し）・・倭人、大ひに敗走し、追撃してこれを殺し幾ぼ盡きる」とあり、倭人の来襲は珍しいことではなかったやうである。広開土王碑では、「（永楽）九年（399年）己亥、百残、誓を違へ倭と和して通ず。王、巡りて平穣に下る。而して新羅、使ひを遣はして王に云ひて曰く、倭人其の国境に満てりと」ともある。
身重の皇后が新羅の王に降服を求めるといふイメージはない。新羅の王、その子に言及されているが、実のところ特定はできかねる（波沙寐錦については後に見る）。
皇后は、神の教により、金銀の国を得、三軍に「自ら服従するを殺すな」と号令しており、自から降服するを殺すは不祥とし、縛を解ひて新羅の王を飼部とした。また、重宝の府庫を封め、図籍文書を收めたとする。漢書、高帝紀の「封秦重宝財物府庫･･･蕭何尽収秦丞相府図籍文書」を引用した。その証拠に、皇后が持つ矛を新羅の王の門に樹て、その矛が今猶新羅の王の門に樹っている、といふ。今とは、書記編纂時代、天武天皇十年～養老四年（720年）年間である。注に、新羅王宮の門庭に聖標として蘇塗系の神竿・水竿が立てられたものか（三品彰英）とある。蘇塗の祭りは、「竿や木柱を神木に見立て、鳥の羽、白紙、布を結びつけて天神を降ろし、民衆がこれをとりまいて歌い踊るもので、五穀豊穣を祈願する祭りだった。そこからまた、鳥形の木製品を竿の上に立てて、ムラの境界線におき、村に邪気、悪気が入らないやうに祈念するソッテ信仰も派生している（八幡信仰の源流：やほよろづ）」とあり、古事記は、「墨江（すみのえ）の大神の荒御魂（あらみたま）を、國守ります神として、祭り鎭め」としている。

仲哀天皇九年（AD200年）あたりで該当する三国史記の記述を見てみる。新羅本紀第ニ・第十代、奈解尼師今（在位ＡＤ196-230）「十三年（208年）夏四月倭人、境を犯す。伊伐飡として利音を遣はし、将兵これを拒む（徒論（Toron））」。新羅本紀第二・第十一代　助賁尼師今（在位ＡＤ230-247）「三年（232年）夏四月倭人、猝（にはか）に至り金城を圍む、王親（みづか）ら出でて戰ひ、賊、潰走す。軽騎を遣はしてこれを追撃し、一千餘級を殺し獲る（徒論（Toron））」とあり、倭軍は防御され、あるいは敗走している。
書紀は、その新羅の王を波沙寐錦（はさむきむ）としている。寐錦は尼師今と同じく王の義と注される。新羅本紀第一・第五代、婆娑尼師今（在位ＡＤ80-112：徒論（Toron）が該当するが、加耶国や百済国との戦の記述はあるが、倭に関する記述はない。波珍干は新羅17等官位の第四波珍干（飡）＝海干（海の朝鮮古訓patar）とあり、人質の微叱己知波珍干岐（みしこちはとりかんき）は、注に、第十七代、奈勿尼師今（在位ＡＤ356-402）の子、未斯欣とされ、神功皇后とは年代からして合致しない。
人質を差し出すといふものは、新羅本紀第三・第十八代　実聖尼師今（在位ＡＤ402-417）「元年（402年）三月倭国と好（よしみ）を通ず。奈勿王の子、未斯欣（みしきん）を以て質と為す（徒論（Toron）」にある。
三国史記において、波沙寐錦とその子微叱己知波珍干岐を特定することは出来かねやう。

金銀彩色及綾羅縑絹であるが、注に、津田左右吉説として、新羅が発達し金銀の国とされるのは、第二十ニ代、智證麻立干（在位ＡＤ500-514）、第二十三代、法興王（在位ＡＤ514-540）以降のこととある。彩色は器、調度品か。絹織には平織、斜文織（綾織）、朱子織（産業資材・織物基礎知識）があり、綾は斜文織、羅は朱子織、縑は平織とならう。そして、八十船の調の故事に言及している。
仁徳十七年、允恭四十二年条に、新羅の調船八十艘がみえると注される。新羅本紀第三・第二十代、慈悲麻立干の「二年（459年）夏四月倭人、兵船百餘を以て、東邊を襲ふ（徒論（Toron））」の記事がみえる。派遣された軍船がそれぞれ戦利品を持ち帰ると八十船分は必要とでもならうか？いづれにせよ、時代認識が混在している。
ここで云ふ高麗は高句麗（地図）である。高句麗、新羅、百済となれば、三韓時代とは異なる。すでにみたやうに三韓は、馬韓、辰韓、弁韓のことであった。高麗にしても三韓にしても、日本側ではそう厳格には言葉を選んで使っていた訳ではなささうである。AD200年は魏志倭人伝の世界であり、朝鮮半島は中国の三国（魏呉蜀）時代の緊張下にあり、高句麗、新羅、百済となれば半島は隋、唐の緊張下にあり、半島に対する倭、大和の対応はまるで異なる。
書紀の編者の意識は後者、対唐にあり、それを魏志倭人伝の前の世界に持ち込んでいやう。二の国の王は、新羅が図籍を收めて日本国に降服したと聞き、密に軍勢を派遣してみたが、勝つこと不可と知り、降服し、西蕃（西の境となる属領）となり、朝貢を絶やさぬと約した。そして、内官家（朝廷直轄の）屯倉を定めた。これは、もう書紀の編者、政策担当者がさう記したかった、としか言ひやうがあるまい。

何故、倭に半島を攻めるほどの力があったのか？奴国が光武帝から「漢委奴国王」に叙されたことがそれを象徴している。半島の情勢は漢が楽浪郡など４郡を置いたことにより変化をはじめる。半島が漢文化化されはじめ、小国家連合が形成され、海を隔てた倭などとるに足らぬ存在であったらう。漢の郡県制度は後漢の時代には半島では機能せず、その地の有力者を朝貢をさせ、統治させる方向に動いていた。紀元44年には、東夷の韓人で廉斯（れんし）邑の蘇馬諟（そばし）等、47年には、高句麗、49年には、扶余王、54年には、鮮卑大人が朝貢し、57年には、倭の奴国王の使者が楽浪を経由し洛陽に至り、奴国が後漢から王に叙され、半島に於いても存在感を増していた。後漢は半島の背後に、統一国王と認めてよい国があることを認識していた。これは一体何を意味していやう。107年には、倭国王、帥升らが後漢に朝貢し、安帝に生口160人を献上ており、倭の半島を越へて後漢の認知を得るエネルギーは衰へることはなかった。その認知が、政治、交易において圧倒的優位にたてるメリットをもたらすからこそである。倭人は半島から大陸まで乗り出していた。
三国時代に半島では公孫氏が魏と呉の間で複雑な動きをし、倭はそのメリットを失っていた。ところが公孫氏の動きを封じるために、魏は楽浪郡の背後に使者を送り、卑弥呼と結び公孫氏の退路を塞ぎ、これを滅ぼし半島の安定を取り戻した。卑弥呼は「親魏倭王」とされ、倭は再びその力を半島に回復することができた（魏志倭人伝１）。書紀の編者達は、河内政権の倭王が同じくその方向に走ったことをもよく知っていた。ところが隋、唐の脅威に直面して以降、それに蓋をせざるを得ない政治状況に直面した。
息長足姫尊（神功皇后）のときに、あたかもここで初めて事が起こったごとく、その対外政策を記述した。無理は承知のうえで、中国と何の関連もなく、倭の天神地祇の意思を半島進出の動機であるとした。息長足姫尊が選ばれたのは、はじめにみたやうに（書紀巻９）、その新羅の血をひく生まれにあった。彼女には国際情勢を見る資質が生まれながら備はっている。天神地祇の声を聞くこともできる。明治で云ふ和魂洋才である。魏の力を借りた卑弥呼じゃなく、天神地祇の意思を貫いた息長足姫尊、彼女が倭の新たな外交路線を展開した、と宣言した。しかし、何故身重、それも臨月をおさへての遠征となったものか？遠征後に誕生した子が仲哀天皇との子である一貫性を保つには、一旦髻姿の男となり再び女に戻る変身が避けられなかったとでもいふしかあるまい。

十二月戊戌朔辛亥　生譽田天皇於筑紫　故時人號其產處曰宇瀰也　
十二月（しはす）の戊戌（つちのえいぬ）の朔（ついたち）辛亥（かのとのゐのひ）（AD200.12.14）に、誉田天皇（ほむたのすめらみこと）を筑紫（つくし）に生（あ）れたまふ。故（かれ）、時人（ときのひと）、其の産処（みうみのところ）を号（なづ）けて宇瀰（うみ）と曰（い）ふ。

誉田の由来は誉田天皇（応神天皇）紀に詳しい。秋九月に臨月を迎へ、鎮懐石により十二月までもたすことができたことになる。宇瀰はすでに見たやうに福岡県糟屋郡宇美町(地図）であった。

【一云　足仲彥天皇　居筑紫橿日宮　是有神　託沙麼縣主祖内避高國避高松屋種　以誨天皇曰　御孫尊也　若欲得寶國耶　將現授之　便復曰　琴將來以進于皇后　則隨神言　而皇后撫琴　於是　神託皇后　以誨之曰　今御孫尊所望之國　譬如鹿角　以無實國也　其今御孫尊所御之船及穴戸直踐立所貢之水田　名大田爲幣　能祭我者　則如美女之睩　而金銀多之　眼炎國以授御孫尊　時天皇對神曰　其雖神何謾語耶　何處將有國　且朕所乘船　既奉於神　朕乘曷船　然未知誰神　願欲知其名　

【一（ある）に云（い）はく、足仲彦天皇（たらしなかつひこのすめらみこと）、筑紫（つくし）の橿日宮（かしひのみや）に居（ま）します。是（ここ）に神有（ま）して、沙麼県主（さばのあがたぬし）の祖（おや）、内避高国避高松屋種（うつひこくにひこまつやたね）に託（かか）りて、天皇（すめらみこと）に誨（をし）へて曰はく、「御孫尊（みまのみこと）、若（も）し宝の国を得（え）まく欲（おもほ）さば、現（うつつ）に授けまつらむ」とのたまふ。便（すなは）ち復（また）曰はく、「琴（こと）将（も）ち来て皇后（きさき）に進（たてまつ）れ」とのたまふ。則（すなは）ち神の言（みこと）に隨（したが）ひて、皇后、琴撫（ひ）きたまふ。是に、神、皇后に託（かか）りて、誨（をし）へて曰はく、「今、御孫尊の所望（ねがひ）の国は、譬（たと）へば鹿（しし）の角（つの）の如（ごと）し。無實（うつけ）たる国なり。其れ今御孫尊の所御（ゐたま）へる船（みふね）、及び穴戸直（あなとのあたひ）踐立（ほむたち）が所貢（たてまつ）れる水田（こなた）、名は大田（おほた）を幣（まひ）にして、能（よ）く我を祭（いは）はば、美女（をとめ）の睩（まよびき）の如くして、金銀（こがねしろがね）多（さは）なる、眼炎（まかかやく）く国を以て御孫尊に授（さづ）けむ」とのたまふ。時に天皇、神に対（こた）へて曰（のたま）はく、「其れ神と雖も何ぞ謾語（あざむ）きたまはむ。何処（いづこ）にか将（まさ）に国有らむ。且（また）朕（わ）が乘る船を、既に神に奉（たてまつ）りて、朕（われ）曷（いづれ）の船にか乗らむ。然（しか）るを未（いま）だ誰（いづれ）の神といふことを知らず。願はくは、其の名（みな）を知（うけたまは）らむ」とのたまふ。

神託についての異説が紹介されている。皇后でなく、沙麼県主の祖、内避高国避高松屋種に託（かか）ったとある。周芳の娑麼は娑麼水門とも称され、瀬戸内海海上交通の要衝、和名抄の周防国佐波郡佐波郷、平成では、防府市佐波（地図）とされる。注に、内避高”うつひこ”は顕彦、顕祭（うつしいはひ）の語に由来し、神おろし、神託にかかはる語。国避高”くにひこ”は国彦、松屋種”まつやたね”の松屋は地名、和名抄の長門国厚狭郡松室（万都也）、松屋は下関市大字松屋：地図か？松室つ（の）姉（matuyatuane）がmatuyataneとなったのではないか、とある。さうであれば、沙麼県主の祖は巫女といふことにならうが、”ひこ”彦とあり、いかがなものか？松は神を待つ木、屋は屋上、種はおくての稲、穀種（字訓）とあり、祭祀者らしい語をつらねており、当地において神事に秀でた者であったといへやう。
宝の国を得たければ、”うつつに”は現実に、現に授（さづ）く、琴を持て皇后に渡せといふ。皇后が琴を撫（ひ）くと、神は今度は皇后に託り教へた。今、御孫尊の所望の国とは、熊襲の国のこと。鹿の角は中空、無實（うつけ）はすっぽりと内部が空虚になること（字訓）。船と穴戸直踐立が所貢れる水田を幣にして祭れば、金銀多なる、眼炎く国を授くとは足仲彦天皇（仲哀天皇）八年九月（書紀巻８）と変はりない。
この異説は、橿日宮でこの神託が為されたとしておきながら、沙麼県主の祖が登場し、穴戸直踐立に水田を貢らしめるとしており、この水田を橿日宮の神田とするには地理的に疑問が生じる。穴戸の宮、豊浦宮と想定するのが合理的であり、ならばこの神託は、橿日宮で起こったとするより、穴戸で起こったとみるべきかと思はれる。それ故に、内避高国避高松屋種に託（かか）り、彼は沙麼県主の祖となったとみることができやう。
謾語とは偽り話、でたらめの言葉、”あざむく”と訓じている。自分の乗る船を奉れば、一体どの船に乗ればいいのか？一体まだどの神とも名乗っておられないではないか、と反応された。

時神稱其名曰　表筒雄　中筒雄　底筒雄　如是稱三神名　且重曰　吾名向匱男聞襲大歴五御魂速狹騰尊也　時天皇謂皇后曰　聞惡事之言坐婦人乎　何言速狹騰也　於是　神謂天皇曰　汝王如是不信　必不得其國　唯今皇后懷姙之子　蓋有獲歟　是夜天皇忽病發以崩之　然後皇后隨神敎而祭　則皇后爲男束裝　征新羅　時神留導之　由是　隨船浪之遠及于新羅國中　於是新羅王宇流助富利智干　參迎跪之　取王船卽叩頭曰　臣自今以後　於日本國所居神御子　爲内官家　無絶朝貢　

時に神、其の名（みな）を称（なの）りて曰（のたま）はく、「表筒雄（うはつつのを）、中筒雄（なかつつのを）、底筒雄（そこつつのを）」と、如是（かく）、三（みはしら）の神の名を称りて、且（また）、重（かさ）ねて曰（のたま）はく、「吾（わ）が名は、向匱男聞襲大歴（むかひつをもおそほふ）五御魂速狹騰尊（いつのみたまはやさのぼりのみこと）なり」とのたまふ。時に天皇（すめらみこと）、皇后（きさき）に謂（かた）りて曰はく、「聞き惡（にく）き事の言（のたま）ひ坐（ま）す婦人（たをやめ）か。何（なに）ぞ速狹騰（はやさのぼり）と言ふ」とのたまふ。是（ここ）に、神、天皇に謂りて曰はく、「汝王（いましみこと）、如是（かく）信（う）けたまはずば、必ず其の国を得じ。唯（ただ）し、今、皇后の懷姙（はら）みませる子（みこ）、蓋し獲（え）たまふこと有らむ」とのたまふ。是（こ）の夜に、天皇、忽（たちまち）に病（みやまひ）発（おこ）りて崩（かむあが）りましぬ。然（しかう）して後（にち）に、皇后、神の教（みこと）の隨（まにま）に祭（いは）ひたてまつる。則ち皇后、男（ますらを）の束裝（よそひ）して、新羅（しらき）を征（う）ちたまふ。時に神留（とどま）り導（みちび）きたまふ。是（これ）に由（よ）りて、隨船浪（ふななみ）、遠く新羅国の中に及（み）ちぬ。是に新羅の王（こきし）、宇流助富利智干（うるそほりちか）、参迎（まうむか）へて跪（ひざまづ）きて、王船（みふね）を取（とら）へて即ち叩頭（の）みて曰（まう）す、「臣（やつこ）、今より以後（のち）、日本国（やまとのくに）に所居（ま）します神の御子に、内官家（うちつみやけ）として、絶ゆること無く朝貢（みつぎたてまつ）らむ」とまうす。

この伝では、神託の主を表筒雄、中筒雄、底筒雄の三神とする。
向匱男聞襲大歴五御魂速狹騰尊、三説が注されている。①大物主神、②天照大神、荒魂、③住吉三神、そして私見として大野晋氏の見解が紹介されている。”むかひつ”を「海を隔てた向う津」、”をも”は助詞、”おそほふ”は　(おしおそふ：押し覆ふ →おそほふ)の転音、向かいの新羅の津までも勢力を及ぼし支配する。”いつのみたま”は厳の御魂、”さ”は神稲、”あがり”は死ぬこと、神稲が枯れ死する、「聞きにくいことを言ふ婦人」と来ており、一方では神の力を誇示し、他方では縁起の悪いことをいふ、天皇の死を予言するものといふ風にみておられる。
天照大神の荒魂、撞賢木嚴之御魂天疎向津媛命と対で考察され、「聞襲大歴　イツノミタマ　ハヤサカル(リ：アガルをサカルとする)　ムカヒツ　ヲノ　ミコト」と三神の荒魂ともみられる。
折口信夫氏は「かうした神名が、単に偶然に関係なく現れたものとは言へない。必、相当に自由な語順の入り替はりのあることが考へらえる」とする。「聞き悪き事の言ひ坐す婦人かは」の婦人は、神憑りした皇后であらう。
何ぞ速狹騰（はやさのぼり）とは、速やかに高い所にまっすぐあがること、死ぬことを連想させる言葉。何ぞといふ疑念があらはれている。”いつのみたま”であるが嚴之御魂でない五御魂を速やかに天に送る尊。足仲彦天皇（仲哀天皇）の御魂を連想させる。
向匱男聞襲大歴で、向匱襲は字義があり、”むか”向は相対すること、”ひつ”匱、大事なものを入れる匱（き：はこ）であるが、乏しいことにも用ゐる。”おそ”襲（おそふ）は「押す」と「覆ふ」の複合語、頭からかずくやうにしてとりかける衣でもある（字訓）。向津（むかつ）じゃなく向匱（むかひつ）となっており、匱は棺（ひつき）を連想させる。音をあらわすものは男”を”聞”も”大”ほ”歴”ふ”であるが、大は”た”で”ほ”はあてはまらない。”を”は麻でもある。”も”は裳、大歴を”ほふ”と訓じているが、”たふ”遮、対抗し防ぎとめる（字訓）。棺に相対して麻裳を広げて覆うことを防ぎとめるイメージがあり、後と重ねると生死を司るともとれる。
三神は「禊祓の御神格をもって御出現になりましたので、禊祓の神（住吉大社由緒書）」といふ。向匱男聞襲大歴五御魂速狹騰尊は、この三神の機能を示す名とならう。
不快感を示した足仲彦天皇（仲哀天皇）に、その神は皇后の口をかりて、さやうに信じることができなくば、、眼炎く国を得ることはできまい。しかし、もう皇后は懐妊しており、その子を獲ることはある、と述べ、その夜に天皇の命を召された。それ以降は、本文の内容を要約したものとなっている。

新羅の王、宇流助富利智干については、注に、新羅本紀第二・第十二代、沾解尼師今（在位ＡＤ247-261）三年「夏四月、倭人、舒弗邯の于老を殺す。徒論（Toron）」とある于老とされる。于老urは第十代、奈解尼師今（在位ＡＤ196-230）の子、舒弗邯spurkanは新羅１７等官位の第一、于老舒弗邯urspurkanが宇流助富利智干と合致する。智は付加語尾ないしは敬辞、美称とされる。新羅の王ではない。
三国史記「列伝」の于老に、「沾解七年(AD253)癸酉　倭国使臣葛那古在館　于老主之　与客戯言　早晩以汝王為塩奴　王妃爨婦　倭王聞之怒　遣将軍于道朱君討我　大王出居于柚村　于老曰　茲之患　由吾言之不慎　我其当之　遂抵倭軍謂曰　前日之言戯之耳　豈意輿師　至於此耶　倭人不答　執之　積柴置其上　焼殺之乃去　味鄒王時　倭国大臣来聘　于老妻請於国王　私饗倭使臣　及其泥酔　使壮士曳下庭焚之　以報前怨　倭人忿来攻金城　不克引帰」とある。于老が倭国の使臣の葛那古と戯言を交はし、汝王を塩奴（塩を焼く奴）、王妃を爨婦（さんふ：飯炊き婦）にするぞと言ったことが、倭王に聞こえ、倭王は将軍、于道朱君を派遣して于老を討とうとした。于老が不慎を詫びるも聞き入れず、柴の上で焼き殺した。味鄒王の時、倭国の大臣が招かれて来たおり、于老の妻が王に請うて倭の使臣を饗応し、泥酔させて庭に引きずりおろし焼き殺した。倭人が怒って金城を攻めたが、勝てずに引き返した、といふ。新羅本紀では、上記の一行のみであった。于老は第10代の王奈解尼師今の長子、太子であったが、第11代は奈解尼師今の従兄にあたる助賁尼師今が王位を継ぎ、于老の子が16代王の訖解尼師今となっている。于老は「戦えば必ず勝ち、敗れることが無かった策謀の士」であるが、この失言で命を落とし倭国との戦争を招いた人物として描かれている。
さて、新羅本紀と日本書紀の関係であるが、「朝鮮には１２世紀に編纂された『三国史記』といふ史書がある。『三国史記』は「新羅本紀」「高句麗本紀」「百済本紀」(『百済本記』とは別のもの)「雑志」「列伝」で構成されている。『三国史記』は１２世紀の編纂だから『日本書紀』にこれが引用されるはずはない。一方『三国史記』を編纂するにあたっては、その元になる史料があったはずであり、それが「百済本紀」においては百済三書あるいは百済三書の原史料だったのではないかとみることが可能である。しかし、実際はどうもそうではないやうだ。といふのは、もし「百済本紀」が百済三書あるいは百済三書の原史料を元にしていたのなら、「百済本紀」の内容は『日本書紀』で引く百済三書と同じ内容のものが多くなるはずなのに、その内容が同じと判断できるものは、百済三書２６の記事の中で、驚くなかれ、たった１つしかないからである。前述したやうに、欽明紀はほとんどが百済系史料によって書かれているとみてよいが、『三国史記』「百済本紀」にはこれと同様の記事は一切ない。これも不思議なことである。『三国史記』「高句麗本紀」には倭･日本関係記事はひとつもないが、「新羅本紀」には倭･日本関係記事は意外と多い。しかしそれは５００年までと、６６３年の白村江敗戦の年以後のことであり、その間はまったくの空白である。５００年までの「新羅本紀」の倭関係記事で『日本書紀』の記事と一致するのは、いわゆる朴堤上と未斯欣の説話だけであるが、その時代は一致していない。（百済三書と『三国史記』：倭国と日本国の関係史）」といふ状態で、書紀編者達が引用可能であったのは、この戦役に出兵した氏族の伝承、百済三書、『百済記』『百済新撰』『百済本記』、あるいはその原史料、あるいは百済から逃れてきた官吏からの伝聞に限定され、新羅で歴史記述が残されるとしても対唐外交の本格化する7世紀中葉以降で、史料すら残っていないやうで、三国史記において、この時代の記述は年代が明記されているが、書紀同様に編纂時に付されたものであてにはならない。似たやうな話を比較するのが限界かもしれない。いづれの書も、考へあって年代が設定されたものであり、意図があったらうが、我々には不明となった。

一云　禽獲新羅王詣于海邊　拔王臏筋　令匍匐石上　俄而斬之　埋沙中　則留一人　爲新羅宰而還之　然後　新羅王妻　不知埋夫屍之地　獨有誘宰之情　乃誂宰曰　汝當令識埋王屍之處　必敦報之　且吾爲汝妻　於是　宰信誘言　密告埋屍之處　則王妻與國人　共議之殺宰　更出王屍葬於他處　乃時取宰屍　埋于王墓土底　以擧王櫬窆其上曰　尊卑次第　固當如此　於是　天皇聞之　重發震忿　大起軍衆　欲頓滅新羅　是以　軍船滿海而詣之　是時　新羅國人悉懼　不知所如　則相集共議之　殺王妻以謝罪】

一（ある）に云（い）はく、新羅（しらき）の王（こきし）を禽獲（とりこ）にして、海辺（うみべ）に詣（いた）りて、王の臏筋（あはたこすぢ）を拔（ぬ）きて、石（いは）の上（うへ）に匍匐（はらば）はしむ、俄（しばらく）ありて斬（き）りて、沙（いさご）の中に埋（うづ）みつ。則（すなは）ち一人を留めて、新羅の宰（みこともち）として還（かへ）したまふ。然（しかう）して後に、新羅の王の妻（め）、夫（せ）の屍（かばね）を埋みし地（ところ）を知らずして、独（ひとり）宰を誘（をこ）つる情（こころ）有り。乃（すなは）ち宰に誂（あとら）へて曰はく、「汝（いまし）、当（まさ）に王（こきし）の屍を埋みし処（ところ）を識（し）らしめば、必ず敦（あつ）く報（むくい）せむ。且（また）吾（われ）、汝（いまし）が妻（つま）と爲（な）らむ」といふ。是（ここ）に、宰、誘（あざむ）く言（こと）を信（う）けて、密（ひそかに）に屍（かばね）を埋（うづ）みし処を告（つ）ぐ。則ち王の妻（め）と国人（くにひと）、共に議（はか）りて宰を殺す。更（さら）に王の屍を出（いだ）して他処（あたしところ）に葬（はぶ）る。乃時（そのとき）、宰の屍を取りて、王の墓の土の底に埋みて、王の櫬（ひとぎ）を挙（あ）げて、其の上に窆（おろしす）ゑて曰はく、「尊（たふと）く卑（いや）しき次第（つぎて）、固（まこと）に此（かく）の如（ごと）くなるべし」といふ。是に、天皇（すめらみこと）、聞（きこ）しめして、重発震忿（またいか）りたまひて、大きに軍衆（いくさ）を起（おこ）したまひ、頓（ひたぶる）に新羅を滅（ほろぼ）さむとす。是（ここ）を以て、軍船（みいくさのふね）海（わた）に満（いは）みて詣（いた）る。是（こ）の時に、新羅（しらき）の国人（くにひと）、悉（ふつく）に懼（おそ）りて、不知所如（せむすべなし）。則ち相集（あひつど）ひて共に議（はか）りて、王（こきし）の妻（め）を殺して罪を謝（うべな）ひにき。（以上異伝）】

臏”あはたこ”阿波太古、は膝頭の骨、”すぢ”筋は、肉が骨につながる腱、それを拔くとは切って歩けなくすることか？石の上に腹ばいとなり、ついには斬られて、沙の中に埋められた。
王の妻は、王の埋められた場所が分からず、異国人の宰（みこともち）から聞かうとしたといふから不思議である。王の家臣が誰も知らぬ、王だけを浜辺に隔離して新羅の人間にはわからぬやうにして埋めたといふことか？宰からしか知る方法がないとするなら、宰を誘惑して、妻になるとの甘言を用ひて聞き出すといふのは、ありえないことではない。ただ、国人と共に議って宰を殺すことができるのであれば、他に方法があらう、なにか展開に無理があるやうに思はれる。
櫬（ひとぎ）は、棺の古形と注される。王の墓の櫬の下にその宰を埋めて、尊い王の下に卑しい宰を埋めるのが順序であると妻が言ったといふ。天皇がそれを聞き、重発震忿、震えるほどの怒りを重ねて発して、大軍で攻めた。軍船海に満ち、新羅の国人はどうしてよいか分からなくなり、相談をして、王の妻を殺して謝罪したといふ。
非道なる振る舞ひであり、先にみた軍律を重んじることを求め、神意を実現する身重の皇后のなせる所業とは相容れまい。この出兵は「天皇之（この事件）を聞きて」、によるものであり、「皇后」の出兵の動機とは一致しない。書紀は、ここに、半島に出兵した氏族の伝承を挿入したものか。あるいは百済三書をもとにこの話を挿入したものか。この記述は、三国史記においては、王ではなく王の子とされており、立場の相違が鮮明である。
宰は、”みこともち”美古止毛知。注に、新羅においた日本の使臣。（鎌倉中期に編纂された）釈紀十一所引の私記に、「師説、天皇が御言（みこと）を持（も）た令（し）む人なり、故、美古止毛知と称（い）ふ」とある。于老の物語の倭国大臣をさす、としておられる。次の注により、宰として大矢田宿禰を候補にあげておられやう。
姓氏録、右京皇別、真野臣条の、「天足彥国押人命三世孫、彥国葺命之後也、男大ロ納介、男難波宿禰、男大矢田宿禰、従気長足姬皇尊、征伐新羅、凱旋之日、便留為鎮守将軍、于時娶彼国王猶榻之女、生二男」に依拠している。彦国葺命ー難波宿禰ー大矢田宿禰の系図で、気長足姫皇尊に従い新羅に出兵し、留まって鎮守将軍になるまでは合致する。しかし、国王、猶榻（いふたふ）の女（むすめ）を娶り二男を生むとあり、国王を殺し、自らも殺される展開ではなく、大矢田宿禰とするのは如何なものか。
猶榻は、猶が、「①ためらう。ぐずぐずする。疑い惑う。②なお…ごとし。まるで…のようである。」であり、榻が、「しじ／牛車のながえのくびきを支えたり、乗り降りの際に踏み台とする道具／長いす／寝台」であり、「まるで榻（踏み台）のような」とも読める語であり、本名とは思はれず、于老の王とすることもできまい。結局、どの王、どの宰が該当するか定め難ひ。
この異伝では、王の本名も宰の名も記すことが憚られたやうである。書紀の三韓征伐は、単一の伝承ではなく、いくつかの伝承を繋ぎ合はせているやうに思はれる。
また、大矢田宿禰の二男については、続きに「二男兄佐久命。次武義命。佐久命九世孫和珥部臣鳥。努大肆忍勝等。居住近江国志賀郡真野村。庚寅年（690年）負真野臣姓也」とある。努大肆は天武天皇の時の冠位四十八階の第31位に当たる。真野臣は志賀郡真野村（歴史的行政区域データ）に居住とある。和邇、小野の近辺であり、倭（奈良）の和邇氏の部民の地であり、小野には有力者の墓とみられる和邇大塚山古墳が築かれており、南部には小野妹子(いもこ)の墓と伝える唐臼山古墳、小野篁(たかむら)神社や小野道風(とうふう)神社もある。この地は北陸道の和邇駅が置かれた交通の要衝であった。この伝承は、これらのことからすれば、近江の和邇氏に伝はるものであったかもしれない。
和邇氏は孝昭天皇の皇子・天足彦国押人命（天押帯日子命）からの氏族で、孝安天皇、開化天皇に后妃をいれており、この時には半島において鎮守将軍であった有力氏族であった。欽明朝以降は蘇我氏に取って代はられ、舞台から遠ざかることになり、書紀編纂時には、昔話しとなっており、その伝承を十分に残し得なかったのかもしれない。（異伝終了）

於是　從軍神表筒男　中筒男　底筒男　三神誨皇后曰　我荒魂　令祭於穴門山田邑也　時穴門直之祖踐立　津守連之祖田裳見宿禰　啓于皇后曰　神欲居之地　必宜奉定　則以踐立　爲祭荒魂之神主　仍祠立於穴門山田邑

是（ここ）に、軍（みいくさ）に従ひし神表筒男（うはつつのを）、中筒男（なかつつのを）、底筒男（そこつつのを）、三（みはしら）の神、皇后（きさき）に誨（をし）へて曰（のたま）はく、「我（わ）が荒魂（あらみたま）をば、穴門（あなと）の山田邑（やまだのむら）に祭（いは）はしめよ」とのたまふ。時に穴門直（あなとのあたひ）の祖（おや）、踐立（ほむたち）、津守連（つもりのむらじ）の祖、田裳見宿禰（たもみのすくね）、皇后に啓（まう）して曰（まう）さく、「神の居（ま）しまさ欲（まほ）しくしたまふ地（ところ）をば、必ず定め奉（たてまつ）るべし」とまうす。則（すなは）ち、踐立を以（も）て、荒魂を祭ひたてまつる神主（かむぬし）とす。仍（よ）りて祠（やしろ）を穴門の山田邑に立つ。

一書一書で異説を紹介し、三神の荒魂が皇后を主導したものであり、踐立を神主とし穴門の山田邑に祠を立て、荒魂を祭祀する、この見解を本文として採用した。
三神が軍に従った、「時飛廉起風　陽侯擧浪」と漢籍を引用したが、波を起こして船を導ひたのは三神だった。「穴戸直踐立が所貢れる水田、名は大田を幣にして、能く我を祭はば」と皇后に託られた神でもあった。山田邑は、山口県下関市一の宮住吉（地図）の長門国一宮住吉神社の地とされる。御斎祭（おいみさい)は「神功皇后様が三韓征伐の後、自ら一週間、忌み籠られ心身を清められて、住吉大神の神恩に感謝されたといふ故事に由来（一宮住吉神社）」、和布刈(めかりさい)祭は、「神主践立(ほんだち)に命じて、元旦未明壇ノ浦のわかめを刈り採らせ、神前にお供えして人々の幸せを祈られたことに始まります（一宮住吉神社）」とされる。
津守連の祖、田裳見宿禰は、神功皇后の軍船を誘導して功があったとされ、その子豊吾田（摂津住吉神社を奉斎）が津守連を賜り、これが津守連の祖となる。津守氏は、天火明命五世の孫・建筒草命を祖としており、熱田神宮の尾張氏と同族の関係になる。田裳見宿禰は、中臣連巨狭山命に嫁いで、神功皇后の審神者、烏賊津使主を産んだ土美媛命(どみひめのみこと)の甥にもあたる。津守（つもり）は、津＝港の守、筒（つつ）に起因するものとされ、塩筒老翁（鹽土老翁：書紀巻２）、船の帆柱をたてる筒穴（船玉神：荒御魂）、夕星(ゆうつづ)の「つつ：航海の進路を決定することから考えた海神、あるいは、オリオン座のカラスキ星（参星）」、対馬の豆酘（つつ:地図）（安曇系海人の拠点）と関連付けられる。松崎神社(多久頭魂神社「延喜式神社調査」の摂社・対馬下県厳原町大字豆酘)は磯良神を祭り、磯良（安曇磯武良）が神功皇后の伴(水先案内)をしたと伝へられている。

爰伐新羅之明年春二月　皇后領群卿及百寮　移于穴門豐浦宮　卽收天皇之喪　從海路以向京　時麛坂王　忍熊王　聞天皇崩　亦皇后西征　幷皇子新生　而密謀之曰　今皇后有子　群臣皆從焉　必共議之立幼主　吾等何以兄從弟乎　乃詳爲天皇作陵　詣播磨興山陵於赤石　仍編船絚于淡路嶋　運其嶋石而造之　則毎人令取兵　而待皇后　於是　犬上君祖倉見別與吉師祖五十狹茅宿禰　共隷于麛坂王　因以　爲將軍　令興東國兵　時麛坂王　忍熊王　共出菟餓野　而祈狩之曰　【祈狩　此云于氣比餓利】　若有成事　必獲良獸也　二王各居假庪　赤猪忽出之登假庪　咋麛坂王而殺焉　軍士悉慄也　忍熊王謂倉見別曰　是事大怪也　於此不可待敵　則引軍更返　屯於住吉　時皇后聞忍熊王起師以待之　命武内宿禰　懷皇子　横出南海　泊于紀伊水門　皇后之船　直指難波　于時　皇后之船　廻於海中　以不能進　更還務古水門而卜之　

爰（ここに）に新羅（しらき）を伐ちたまふ明年（くるつとし）の春二月（きさらぎ）（AD201.02）に、皇后（きさき）、群卿（まへつきみたち）及び百寮（つかさつかさ）を領（ひき）ゐて、穴門豊浦宮（あなとのとゆらにみや）に移りたまふ。即（すなは）ち天皇（すめらみこと）の喪（みもがり）を收（をさ）めて、海路（うみつぢ）よりして京（みやこ）に向（いでま）す。時に麛坂王（かごさかのみこ）、忍熊王（おしくまのみこ）、天皇、崩（かむあが）りましぬ、亦、皇后、西（にしのかた）を征（う）ちたまひ、幷（あは）せて皇子（みこ）新（あらた）に生（あ）れませりと聞きて、密に謀りて曰（い）はく、「今、皇后、子（みこ）有（ま）します。群臣（まへつきみたち）皆従へり。必ず共に議（はか）りて幼（わか）き主（みこ）を立てむ。吾等何（なに）ぞ兄（このかみ）を以て弟（おとと）に従はむ」といふ。乃（すなは）ち詳（いつは）りて天皇の為（ため）に陵（みさざき）を作るまねにして、播磨（はりま）に詣（いた）りて山陵（みさざき）を赤石（あかし）に興（た）つ。仍りて船を編（あ）みて淡路嶋（あはぢのしま）に絚（わた）して、其の嶋の石を運びて造る。則ち人毎（ひとごと）に兵（つはもの）を取らしめて、皇后を待つ。是（ここ）に、犬上君（いぬかみのきみ）の祖（おや）倉見別（くらみわけ）と吉師（きし）の祖（おや）五十狹茅宿禰（いさちのすくね）と、共に麛坂王に隷（つ）きぬ。因（よ）りて、将軍（いくさのきみ）として東国（あづまのくに）の兵（いくさ）を興（おこ）さしむ。時に麛坂王、忍熊王、共に菟餓野（とがの）に出（い）でて、祈狩（うけひがり）して曰く、【祈狩　此をば于氣比餓利（うけひがり）と云ふ】　「若（も）し事を成すこと有らば、必ず良き獣（しし）を獲（え）む」といふ。二（ふたり）の王（みこ）各（おのおの）仮庪（さずき）に居（ま）します。赤き猪（ゐ）忽（たちまち）に出でて仮庪に登りて、麛坂王を咋（く）ひて殺しつ。軍士（いくさびと）悉（ふつく）に慄（お）づ。忍熊王、倉見別に謂（かた）りて曰はく、「是（こ）の事大きなる怪（しるし）なり。此（ここ）にしては敵（あた）を待（ま）つべからず」といふ。則ち軍（いくさ）を引きて、更に返（かへ）りて、住吉（すみのえ）に屯（いは）む。時に皇后、忍熊王師（いくさ）を起して待てりと聞（きこ）しめして、武内宿禰（たけしうちのすくね）に命（みことおほ）せて、皇子（みこ）を懐（いだ）きて、横（よこしまに）に南海（みなみのみち）より出でて、紀伊水門（きのくにのみなと）に泊（とま）らしむ。皇后の船（みふね）、直（ただに）に難波（なには）を指（さ）す。時に、皇后の船、海中（わたのなか）に廻（めぐ）りて、進むこと能（あた）はず。更に務古水門（むこのみなと）に還りまして卜（うら）ふ。

古事記に曰く、「ここに息長帶日賣の命、倭に還り上（のぼ）ます時、人の心疑はしきによりて、喪船（もふね）を一つ具（そな）へて、御子をその喪船に載（の）せて、まづ「御子は既に崩りましぬ。」と言ひ漏さしめたまひき。かく上（のぼ）り幸（い）でます時、香坂（かごさか）の王・忍熊（おしくま）の王聞きて、待ち取らむと思ひて、斗賀野（とがの）に進み出でて宇氣比獦（うけひがり）をしき。ここに香坂の王、歴木（くぬぎ）に騰（のぼ）り坐（ゐ）て是（み）るに、大きなる怒り猪（ゐ）出でて、其の歴木（くぬぎ）を堀（ほ）りて、すなはちその香坂の王を咋（く）ひ食（は）みき。その弟（いろと）、忍熊の王、その態（わざ）を畏（かしこ）まずて、軍（いくさ）を興して待ち向へし時、喪船（もふね）に赴（おもむ）きて空船（むなふね）を攻めんとしき。ここにその喪船より軍を下（お）ろして相戰ひき。この時忍熊の王、難波（なには）の吉師部（きしべ）の祖、伊佐比（いさひ）の宿禰を將軍（いくさのきみ）とし、太子（ひつぎのみこ）の御方（みかた）は丸邇（わに）の臣の祖、難波根子建振熊（なにはねこたけふるくま）の命を將軍（いくさのきみ）としき。（岩波文庫）。」

十二月十四日に御子を産み、二月に穴門豊浦宮に移る。足仲彦天皇（仲哀天皇）の喪を執り行ひ、海路で、長らく空けていた中洲の纏向宮を目指したとならうか？
神功皇后の新羅遠征は、書紀上での日本（やまと）外交の大転換であったが、神託により橿日で決定されたものであり、重臣が参加していたとはいへ、記述からすれば、中洲の纏向、いわゆる中央は蚊帳の外であった。この間、宮が転々としており、どこが中央か不明とはいへ、倭(奈良)や難波に半島出兵や天皇の死の情報がもたらされていなかったとは想定し難い。成功もさることながら、失敗した場合の事態収拾についても諸々の動きがあっておかしくなからう。
足仲彦天皇が気長足姫尊を娶る前に、「叔父、彦人大兄の女、大中姫を娶りて妃と爲たまふ。麛坂皇子・忍熊皇子を生む。次に來熊田造が祖、大酒主の女、弟媛を娶りて、譽屋別皇子を生む。（書紀巻8）」とあるごとく、麛坂王、忍熊王をはじめとする有力氏族などは、この政策決定には関与しておらず、正確な情報も伝達されていなかった。
結果的に、遠征は成功。皇后が臨月で遠征すること事態、信じがたい。また、臨月から三ヶ月して御子が生まれるなど聞いたことがない。遠征したのは別人で子を生んでいたのか、遠征中に誰か別人の子でも宿したのか？いや神託で天皇の子を授かっていたといふ。天照大神のはからひであるなら信（まこと）とすべき。その子が日嗣の御子たるべし、などと疑念が渦巻いて不思議はない。
それは、麛坂王、忍熊王等にとっては、受け容れ難ひシナリオであった。古事記では、皇后側は、御子は死んだといふ噂を放ち、喪船を用意させた。死産といふなら、状況に鑑みれば、納得できやう。ならば麛坂王、忍熊王を後継に立てるのが筋である。しかし、殯の案内すらなかったのであり、その気配はない。誰か別の子を立てるなら謀反である。
赤石（明石）に陵を造るとし、だう反応するかを探った。赤石は鹿の血に染まった石、「空を切って飛んできた矢は大鹿に当たり、狩人も一緒に溺れ死んだ。この死んだ鹿の血が赤石となって、東松江と西松江の間、浜から15mほど沖の海中に沈み、ここから「アカシ」の地名が起こったと信じられている（ＡＤＥＡＣ）」（地図）。この話は後のものと思はれるが、天日槍以来の持参品に鵜鹿鹿（うかか）赤石があった（書紀巻6）。鵜（う）は鵜の羽のやうに滑らかで、鹿鹿（かか）はきらきらと輝くの義であらう、赤石（珊瑚）の枕詞となっている。不吉な展開を暗示する「赤石（明石；イメージが異なる）」となった。
麛坂王、忍熊王周辺が、明石に天皇の陵を造るとし、淡路島まで船を連ねて石を運んだ。明石市材木町の岩屋神社にオジャタカ舟神事、「成務天皇の勅命により当浜の名主（六人衆といふ）が新船を造り一族郎党を引き連れ淡路に渡り御皇神を船に遷し奉り帰路に着いた所途中八百潮早く波風高く船を当浜に着けることが出来ず西の方林崎前の赤石（明石の起源）の所で一夜の泊まりをなしその時神前に御供へしたのが現在も特殊神餞として伝わっている。（現在も宵宮の朝松江海岸にて行われている）朝旦に至って波風もおさまり今の地に鎮座されたのである（神奈備）」があり、成務天皇の時代からさうであったことになる。故事に因んでおり、陵の造成とすれば名分があるものの、人毎に兵器、武具を持たせたとあり、戦闘準備を進めていた。
犬上君の祖、稲依別王は、日本武尊と両道入姫皇女の長子、足仲彦天皇の兄（書紀巻７）であった（古事記では布多遲比賣との子で帶中津日子命（仲哀天皇）の腹違いの弟）。倉見別は稲依別王の子、若狭国が領地とされる。吉師の祖五十狹茅宿禰は、古事記に、難波の吉師部の祖とある。注に、新羅十七等官位の第十四「吉士」にみえ、朝鮮起源と思はわれる。ただ姓氏録には、難波吉士、草香部吉士その忌寸となった難波忌寸、吉志など、大彦命の後とするものが多い、とある。「活目入彦五十狹茅天皇（垂仁天皇）は、御間城入彦五十瓊殖天皇（崇神天皇）の第三子なり。母の皇后を御間城姫と曰す。大彦命の女なり（書紀巻6）」とあるごとく、五十狹茅を冠する五十狹茅宿禰も大彦命の系統。
若狭、難波を基盤とする倉見別と五十狹茅宿禰が将軍として東国の兵を徴集した。吉備氏と大伴氏は息長足姫尊（神功皇后）側に合流しており、それ以外の日本武尊が従へた東国の兵とならうか。
隷を”つく”と訓じている。罪禍をその人に転移し附着させる意（字統）。

麛坂王、忍熊王、共に菟餓野に出でて、祈狩をし、神意を問うた。菟餓野については、「〈摂津国風土記〉逸文に、夢野に住む鹿夫婦の夢占いの話が語られている。この風土記の内容とよく似た鹿（菟餓野に住む）の夢告の話が、〈日本書紀〉巻11　仁徳天皇38年秋7月条にもある。天平19年（747）〈法隆寺資財帳〉には、法隆寺領山林として、摂津国雄伴郡宇治郷宇奈五岳の四至に、北限伊米野の古名が見え、この伊米野が夢野にあたるとされる。また夢野の地名は、禁野（いみの）で、朝廷の御猟場で禁猟地になっていたからとも考えられている。この〈風土記逸文〉と〈日本書紀〉に登場する故事にちなんで、菟餓野の地を、この夢野としたとする説であるが、菟餓野は、灘区都賀川（地図）付近とも、大阪市北区兎我野町（地図）であるとも考えられている（神戸市文書館）」とある。この場合は仁徳天皇の故事に因んでの菟餓野であり、明石からの撤退、更に住吉への撤退といふ展開からすれば、余りに遠くに引いたことになり、摂津国雄伴郡宇治郷、宇治野山（地図）付近とされる説に説得力があらう。
この撤退は、皇后軍の高砂への上陸、明石への進軍によらう。高砂（地図）に、大国主神と少彦名命を祭祀する生石神社があり、「『播州石宝殿略縁起』によれば、神代の昔、大己貴命天の岩船にのり此山にとどまり生石子大明神（大己貴命の化身）と号し、一神は、少彦名命高御位大明神と号す。二神御心をあわせ、陰陽の御宇を現じ、五十余丈の岩を切りぬき、石屑は一里北たかみくらのみねに投置、一夜の間に、二丈六尺の石のほうでんをつくり、二神の尊鎮座ます(神奈備）」、皇后も高砂に石を運び込んだやうである、「この里（『播磨国風土記』の印南の郡大国の里）に山があり、その名を伊保山という。帯中日子天皇（仲哀天皇）を〔崩御されたので〕神と仰ぎ奉り、〔陵墓造営のために〕息長帯日女命（神功皇后）は石作連大来を連れて讃伎の国の羽若の地の石をお求めになられた。その地から海を渡って来られて、まだ〔お宿りする〕御盧をお定めにならなかったとき、大来が〔絶好の地を〕見いだしてみんなに知らせた。だから美保山という。山の西に原がある。名を池之原という。原の中に池がある。だから池之原という（前掲ＨＰ）」。
軍を引いた麛坂王、忍熊王が祈狩を行った。良き獣を獲れば事は成就する。假庪（さずき）は仮に作った棚であるが、ここでは、桟敷、席のこと。赤き猪が假庪に居る麛坂王を咋ひ殺した。古事記では、歴木（くぬぎ）に登って坐している香坂王を怒った猪が木を倒して王を食ったとしている。神意は最悪とでた。
日本武尊やその子孫に対する神意はいづれも凶とでる。この時点で勝負は終はっていた。書紀は、忍熊王は、この地が不吉として軍を引き、住吉に駐屯せしめ状況の変化を待った、とみている。
古事記では、忍熊王は、「（宇氣比獦＜誓約獦＞）の結果を畏（かしこ）まずて、軍（いくさ）を興して」と、この時に、皇后軍を待ち、御子の死を確認し、生きておれば殺せば、局面を打開できるとみたのであらう、御子の喪船を攻めた。忍熊王には、「難波の吉師部の祖、伊佐比宿禰」が将軍として付き、皇后方には、「丸邇臣の祖、難波根子建振熊命」が将軍として付いたとしている。戦いは、その後、退き追ふ展開で山代に居たるとするが、書紀は、忍熊王はまず住吉（すみのえ）に撤退し、駐屯したと記している。
住吉は二説と注され、和名抄、摂津国菟原郡住吉郷(神戸市東灘区住吉：地図)、あるいは、和名抄、摂津国住吉(大阪市住吉区：地図)、とある。山代への撤退からすれば前者が想定され、皇后軍の紀国への展開を考慮するならば、後者が想定されやう。
軍を引いたものの、師を起し、とあり忍熊王の兵力が増強されており、皇后側からすれば、御子の安全の確保と、挟み撃ちをすべく、武内宿禰を淡路島を南下させ、紀伊の勢力の加勢を求めた。横（よこしまに）出南海（みなみのみち）とは縦（東西）に対する横(南北）で南海、紀伊水門は紀ノ川河口、古くは和歌浦（地図）。皇后は皇后で、難波に迫らうとしたが、海中を船が廻り、進むことが出来ずに、務古水門に戻らざるをえなかった。務古水門は、和名抄、摂津国武庫郡武庫郷、武庫川河口付近と注されるが、西宮市松原町、津門住江町付近（地図）、「このあたりは「都努（つぬ）の松原」と呼ばれる白砂青松の海岸で、入り込んだ入江によって天然の良港「務古水門」として栄えた土地（長生きも芸のうち日記）」とある。古代の海岸線、洪水の起こる武庫川の位置は定め難きものがあったらう（原始・古代の尼崎）。

於是天照大神誨之曰　我之荒魂　不可近皇后　當居御心廣田國　卽以山背根子之女葉山媛令祭　亦稚日女尊誨之曰　吾欲居活田長峽國　因以海上五十狹茅令祭　亦事代主尊誨之曰　祠吾于御心長田國　則以葉山媛之弟長媛令祭　亦表筒男　中筒男　底筒男　三神誨之曰　吾和魂宜居大津渟中倉之長峽　便因徃來船　於是　隨神敎以鎭坐焉　則平得度海　忍熊王復引軍退之　到菟道而軍之　皇后南詣紀伊國　會太子於日高　以議及群臣　遂欲攻忍熊王　更遷小竹宮　【小竹　此云芝努】

是（ここ）に、天照大神（あまてらすおほみかみ）、誨（をし）へまつりて曰（のたま）はく、「我（わ）が荒魂（あらみたま）をば、皇后（おほみもと）に近（ちかつ）くべからず。当（まさ）に御心（みこころ）をば広田国（ひろたのくに）に居（を）らしむべし」とのたまふ。即（すなは）ち山背根子（やましろのねこ）が女（むすめ）、葉山媛（はやまひめ）を以（も）て祭（いは）はしむ。亦（また）稚日女尊（わかひるめのみこと）、誨へまつりて曰（のたま）はく、「吾（われ）は活田長峽国（いくたのながをのくに）に居らむとす」とのたまふ。因（よ）りて海上五十狹茅（うながみのいさち）を以て祭はしむ。亦（また）事代主尊（ことしろぬしのみこと）、誨へまつりて曰はく、「吾をば御心の長田国（ながたのくに）に祠（まつ）れ」とのたまふ。則（すなは）ち葉山媛の弟（いろど）長媛（ながひめ）を以て祭はしむ。亦表筒男（うはつつのを）、中筒男（なかつつのを）、底筒男（そこつつのを）、三（みはしら）の神、誨へまつりて曰はく、「吾が和魂（にきみたま）をば大津（おほつ）の渟中倉（ぬなくら）の長峽（ながを）に居（ま）さしむべし。便（すなは）ち因りて徃来（ゆきかよ）ふ船を看看（みそなは）さむ」とのたまふ。是に、神の教（みこと）の隨（まにま）に鎭（しづ）め坐（す）ゑまつる。則ち平（たひらか）に海（わた）を度（わた）ること得たまふ。忍熊王（おしくまのみこ）、復（また）軍（いくさ）を引きて退きて、菟道（うぢ）に到りて軍（いくさだち）す。皇后、南（みなみのかた）、紀伊国（きのくに）に詣（いた）りまして、太子（ひつぎのみこ）に日高（ひたか）に会（あ）ひぬ。群臣（まへつきみ）と議及（はか）りて、遂（つひ）に忍熊王を攻（せ）めむとして、更に、小竹宮（しののみや）【小竹　此をば芝努（しの）と云ふ】に遷ります。

麛坂王を猪に食はせしめた神、皇后の船を前へ進めしめぬ神の名は明らかにされていない。”うけひ”となれば、天神であらう、後者は通常なら地祇、その地の神とならうが、ここではいささか異なる。地祇に天神の意向を伝へることが前提にあるが、天照大神は、自らの荒魂を皇后から離し、広田国に置くやうにされた。難波に持ち込むなと云ふことであるが、新羅を攻めた荒魂を鎮めることのみではあるまい。国を開くことを求めた神託は皇后に連なる群臣には明らかとなったものの、残された群臣には、預かり知ることのできないものであり、それらの勢力にも分かる神意を顕す必要があったのかもしれない。

広田国は、延喜神名式、摂津国武庫郡広田神社（西宮市大社町、地図）の地とされるが、「享保十二（１７２７）年、当地へ遷座した。室町時代には高隈ノ原」なる処に鎮座、御手洗川を隔てて北側の五月ヶ丘の事とされる（神奈備）」とある。注に、摂津風土記、美奴売（みぬめ）松原の条に、息長足姫尊（神功皇后）が筑紫に幸されるとき、諸神祇が松原に集まったとされ、美奴売の神は、自分の住む山の杉を皇后に献じたとされ、皇后が還幸に際して、この神を美奴売の浦に祭り、船もその神に献った、とある。武庫川の位置も古代は異なっていた、「西宮の平野部は、古代には大半が海でした。武庫川や仁川、夙川などが大洪水により氾濫する度に、上流から土砂が運ばれ、扇状地が広がっていきました。また川筋は一定せず、洪水によってしばしば移動し、例えば武庫川は古代には尼崎の庄下川付近を流れていたとも言います。西宮球場や甲子園球場付近を流れていた時代もあったやうです。西国街道（国道171号線）が山裾に近いところにあるのも、それより下流は沼地や氾濫原で通れなかったからと推測されます（西宮新田開発と用水の歴史）」とある。ただ、息長足姫尊の筑紫への航路は、「記（古事記）紀（日本書紀）」では日本海とされ、これでは瀬戸内海を航行したことになるが、他に補強する伝がみえない。
姓氏録、摂津神別、山（代）直条に、天御影命第十一世孫、山背根子、とあり、天御影命とは「天目一箇神を作金者と爲す（書紀巻2）」の天目一箇神でもある。石凝姥命の子孫であり、鏡の製作者であり、御影に通じる。
山城国久世郡（京都府城陽市水主宮馬場）鎮座（水主神社；延喜式の神社調査）十神のなかに山背大国魂命が居られる。社伝によれば、「崇神天皇の御代、豊鋤入姫命をして天照大神を倭笠縫邑に遷祀せしめ給ひ、淳名城入姫命をして、日本大国魂命ならびに山脊大國魂命を倭、山脊の二国に齊き祭らしめ給ひ、水主（みずし）神社がその一つ」であるといふ（「記紀」では、日本大国魂命のみで、山背大国魂命の件は採用されてはいない）。『延喜式神名帳』によると、「水主神社十座並大月次新嘗就中同水主坐天照御魂神水主坐山背大国魂命神二座預相嘗祭」とあり、天照御魂神とは天神火明命のことであり、山背大国魂命は国神としてこの地で崇敬されていたことになる。姓氏録に、「山城国神別水主直火明命之後也」とあることからも知られる。折口信夫氏によれば、「根子は、神主・君主といふ事である。昔は、神主は即、君主であつた。大倭根子といふと、大倭の地方全体の神事を司る人即、君主といふことになる（大嘗祭の本義）」といふことであり、山背根子は山背国の王となる。山背大国魂命を祭祀する族であり、摂津に居られたとならう。葉山媛は、ここにのみ現れると注される。天照大神を祭る倭姫命は、活目入彦五十狹茅天皇（垂仁天皇）と丹波道主王の女（むすめ）日葉酢媛との間の次女であった。中洲より北の山の向こうの世界、山背、丹波には神を祭るにふさわしい姫がおられるといふイメージがあったやうだ。
続いて、稚日女尊が「活田長峽国に居らむとす」とされた。ここで稚日女尊が顕れることは、「幡荻穂に出し吾や、尾田の吾田節の淡郡に所居る神有り(書紀巻9)」の神であったことになる。尾田は、阿波国阿波郡あるいは志摩国答志（たふし）郡の二説があった。「幡荻穂に出し」とは、新田開発を行ひ、多くの稲穂に現れる稚日女尊とならうか。
活田は、生田でもあり、生田神社（神奈備）の地（神戸市中央区下山手通：地図）。長峽国とは、”なが”の”な”が美称、”が”は”か”で処、”さ”は、挟まれている土地の状態、挟まれた土地の美称。山と海（当時の海岸線はもっと山寄り）の間の神聖なる地（航空地図）のこと。海上五十狹茅は、五十狹茅宿禰の子とされる。父と子が敵味方と別れていたことになる。それも、双方とも重要な役割を担っていた。
事代主尊は、長田国に祠れ、といふ。長田神社（延喜式神社の調査）の地とされる。中国では、祠は犠牲を用ゐず圭壁及び皮幣を用いる、春の祭を祠といひ、品物少なくして文詞多きなりとある。祭は犠牲を用ゐる、祀は自然神をまつるのが原義であるが、殷代には祖祭を祀となし、五祀一巡で一年とした（字統）。ここでは、予言を司る事代主尊にあはせて祠を用ゐたのであらう。葉山媛の弟（妹と同じ）長媛に祭らせた。姉は広田、妹は、長田、長峽の広田、活田、長田を神田とすることを求めたことにならう。皇后側に神意のあることを、明瞭に示す方策となった。
更に、表筒男、中筒男、底筒男、三神は、往来する船を看視するために、「吾が和魂をば大津の渟中倉の長峽に居らしめよ」と念をおした。天照大神の荒魂は穴門の山田邑にすでに祭った。注に、住吉神代記に、摂津国住吉の住吉大社（大阪市住吉区：地図)の鎮座地は「玉野国渟名椋長岡玉出峡」とあり、釈紀所引摂津風土記に「時到沼名椋之長岡之前（前者今神宮南辺是其地）乃謂斯実可住之国」とあり、この時は敵の地になるが、後にこの地に建てることを約したものと解することも可能、とある。話の展開からすれば、摂津国菟原郡住吉郷(神戸市東灘区住吉：地図)で船を看視するのが筋。大津は大きな港、美奴売の浦の泊り。渟中倉（ぬなくら）は、”ぬ”は濡れた、どろどろした、沼のこと、”くら”は財宝を収納する床の高い建物、高い柱の上に板を置いて神を迎える座（字統）、水上の宮とならうか。難波の軍勢に対抗するには、この地をしっかりと味方につけること、錦の御旗のごとく神意をしめすこと、紀伊側から四国、淡路を抑え後顧の憂を断つことができた。

通釈は、この時の京は近江国志賀高穴穂宮、忍熊王は倭国には入坐ずて近江の方へと菟道（宇治）まで退く、と注される。後の展開をみれば、近江に撤退してゆくのであるが、近江には息長氏、山背には山背根子の族がおり、東国の兵を募っていたとはいへ近江への撤退が有利とは云ひ難い。宮の所在地が政治の中心ではあるが、転々としており、理解しがたいものがある。宮は天皇の宮、京は群臣を含めてのこと、皇后の遠征こ従軍しなかった群臣は近江に居たのか、纏向に居たのか？一旦は明石に向ったが後退を続けた。
皇后は難波を経て、紀伊国に到り、太子と日高で会った。日高は、和名抄、紀伊国日高郡(和歌山県日高郡）とされ、小竹宮は通釈に、紀伊国那珂郡志野村（紀の川市粉河町北志野、地図）志野神社（神奈備）の地とあるが、船での便を考えれば日高川河口の小竹八幡神社（神奈備）の地（和歌山県御坊市薗：地図）もうなずける。御子の安全を図る事が鍵であった.。足仲彦天皇（仲哀天皇）が二年の三月紀伊国德勒津宮を発って以来のこと、気長足姫尊（神功皇后）初めての紀伊入りとなった。「『播磨国風土記』「飾磨郡因達の里」によれば、神功皇后の渡海の際、先導神として御船前の伊太氏の神が守ったのであるが、この神を渡しの神・木の神で名草に鎮座する五十猛神、また『播磨国風土記』「逸文・釈日本紀」によれば、赤土で危難をさけさせた爾保都比売命を、凱旋後皇后はこの神を紀の国の筒川の藤代の峰に祀ったとある。現在、伊都郡に鎮座している丹生都比売神と同じ神とされている。この神と五十猛命は共に紀の国を代表する神々である（神奈備）」。紀伊はがっちりと皇后側に組み込まれ、広田、活田、長田ともども形勢は整った。

適是時也　晝暗如夜　已經多日　時人曰　常夜行之也　皇后問紀直祖豐耳曰　是怪何由矣　時有一老父曰　傳聞　如是怪謂阿豆那此之罪也　問　何謂也　對曰　二社祝者　共合葬歟　因以　令推問巷里　有一人曰　小竹祝與天野祝　共爲善友　小竹祝逢病而死之　天野祝血泣曰　吾也生爲交友　何死之無宜同穴乎　則伏屍側而自死　仍合葬焉　蓋是之乎　乃開墓視之實也　故更改棺櫬　各異處以埋之　則日暉炳爃　日夜有別。

是（こ）の時に適（あたる）りて、昼（ひる）の暗きこと夜の如くして、已（すで）に多くの日を経（へ）ぬ。時人（ときのひと）の曰（い）はく、「常夜（とこやみ）行（ゆ）く」といふなり。皇后（きさき）、紀直（きのあたひ）の祖（おや）、豊耳（とよみみ）に問ひて曰（のたま）はく、「是（こ）の怪（しるし）は何の由（ゆゑ）ぞ」とのたまふ。時に一（ひとり）の老父（おきな）有りて曰（まう）さく、「伝（つて）に聞く、是（かく）の如き怪（しるし）をば、阿豆那此（あづなひ）の罪（つみ）と謂ふ」といふ。「何（なに）の謂（いひ）ぞ」と問ひたまふ。対（こた）へて曰（まう）さく、「二（ふたつ）の社（やしろ）の祝者（はふり）を、共に合（あは）せ葬（をさ）むるか」とまうす。因（よ）りて、巷里（むらさと）に推問（と）はしむるに、一（ひとり）の人（ひと）有りて曰さく、「小竹（しの）の祝（はふり）と天野（あまの）の祝（はふり）と、共に善（うるは）しき友たりき。小竹の祝、逢病（やまひ）して死（みまか）りぬ。天野の祝、血泣（いさ）ちて曰（い）はく、『吾（われ）は生（い）けりしときに交友（うるはしきとも）たりき。何ぞ死（し）にて穴（あな）を同じくすること無（な）けむや』といひて、則（すなは）ち屍（かばね）の側（ほとり）に伏（ふ）して自（みづか）ら死ぬ。仍（よ）りて合（あは）せ葬（をさ）む。蓋（けだ）し是（これ）か」とまうす。乃（すなは）ち墓を開きて視れば実（まこと）なり。故（かれ）、更に棺櫬（ひつぎ）を改めて、各（おのおの）異処（ことどころ）にして埋（うづ）む。則ち日（ひ）の暉（ひかり）炳爃（て）りて、日（ひる）と夜（よる）と別（わきだめ）有り。

この時に不思議な現象が起こった。何日も昼が夜のごとく暗くなったといふ。日食とする説があるが、日食が何日も続くことはない。天照大神が天石窟に幽居された時の「為長夜（とこやみゆく）」に比されている。皇后は、天神によるなんらかの怪（しるし）と受け取られた。
豊耳は紀伊国造補任の第九代等与美美命（日前国懸両宮神職家の等与美美命（紀「紀伊」国造家））を指すかと注される。紀伊国造は、出雲国造が出雲大社の世襲神職であるとと同じく、日前国懸神宮の世襲の神職が後継する極めて特殊な国造家である。日像鏡及び日矛鏡を祭祀することによる。常夜の怪は天照大神によると想起せしめていやう。日前国懸神宮（公式HP）の由緒によれば、「日前神宮・國懸神宮は、同一境内に座します二社の大社をなしております。日前神宮は日像鏡(ひがたのかがみ)を御神体として日前大神を奉祀し國懸神宮は日矛鏡(ひぼこのかがみ)を御神体として國懸大神を奉祀しております。神代、天照大御神が天の岩窟に御隠れになられた際、思兼命(おもいかねのみこと)の議(はかりごと)に従い種種の供物を供え、天照大御神の御心を慰め和んで頂くため、石凝姥命(いしこりどめのみこと)を治工とし、天香山(あめのかぐやま)から採取した銅を用いて天照大御神の御鏡(みかがみ)を鋳造しました。その初度に鋳造された天照大御神の御鏡前霊(さきみたま)を日前國懸両神宮の御神体として、後に鋳造された御鏡を伊勢の神宮の御神体として奉祀されたと『日本書紀』に記されております。天孫降臨の際、三種の神器とともに両神宮の御神体も副えられ、神武天皇東征の後、紀伊國造家の肇祖に当たる天道根命(あめのみちねのみこと)を紀伊國造(きいのくにのみやつこ)に任命し、二つの神鏡を以て紀伊國名草郡毛見郷の地に奉祀せられたのが当宮の起源とされています」とある。
皇后がこの現象について問ふと、ある老父が、伝承があり、阿豆那此（あづなひ）の罪、と答へた。語源未詳とある。二社祝者共合葬が原因といふ。その詳細を知る者が別におり、二社とは小竹の社と天野の社といふ。小竹は先にみた小竹宮の地、天野は丹生都比売神社（伊都郡かつらぎ町上天野：地図）の地。丹生とは朱であり、呪具、船の錆止めに用ひられた。皇后の船の逆鉾はこの朱で塗られ船艫舳に建てられ、船体にも塗られた。その貢献に対して皇后が丹生都比売を祭っておられる。祝とは神官のこと。しかし、問題があった。
御子と共に居る小竹（しの）の地で、かつて神官が病で死んだ。善き友であった天野の神官はそれを嘆き、死なば同じ穴に入れてくれと言い残して、そのまま屍の上に伏せて死んだ。言葉のとおり、合葬した、その罪が原因といふ。墓を開いてみれば、その通りであり、別々にして、別の墓に葬ると、太陽が光り照り、昼と夜がもとにもどった。素戔嗚尊の罪により、天照大神が天石窟に入り磐戸を閉ざしこもられ、天地が闇となり昼夜の区別がなくなった故事を想起させる。
”あづきなし”は無状、無道とされ”あ”足”つき”着”なし”で踏む所が無い、素戔嗚尊の勝手気儘、非情で手がつけられないさまがあった。”あづなひ”、足綱ふ、”つな”は寄りすがる頼みとするもの、”つなぐ”は獣を追うこと、一体となること。同性愛の神官を合葬した罪と、同性愛に焦点をおき釈すやうであるが、同性愛は天罪国罪（あまつつみくにつつみ）に該当しない。
両社は、元来、土地の神を祭るものであり、異なる地の神を祭る者が、本人同士の情を優先させ同じ穴に入りたいと自殺した。それぞれの神は合体したいわけではなく、勝手に合体され、そのために自殺に至ったのであり、両神はさぞかしお困りになったのであらう。天野の神官と小竹の神官達は、皇后と御子を迎へるにあたって、原状を復帰し、穢れを祓ふ必要があったやうだ。
古事記によれば、「息長帶日賣の命は既に崩りましぬ。」と皇后側が敵を欺いたとあり、その徴（しるし）に「常夜」が用ゐられたと考へることも可能かもしれない。また、天照大神の神託を受けた気長足姫尊（神功皇后）のもとで、かつては磐余彦尊(神武天皇）と敵対した紀伊の神々との間の罪や穢れを祓ひ、紀伊との新たな夜明けを迎へたとみることも出来やう。

三月丙申朔庚子　命武内宿禰、和珥臣祖武振熊　率數萬衆　令撃忍熊王　爰武内宿禰等　選精兵　從山背出之　至菟道以屯河北　忍熊王出營欲戰　時有熊之凝者　爲忍熊王軍之先鋒　【熊之凝者　葛野城首之祖也　一云　多呉吉師之遠祖也】　則欲勸己衆　因以高唱之歌曰　烏智箇多能　阿邏々麻菟麼邏　摩菟麼邏珥　和多利喩祇氐　菟區喩彌珥　末利椰塢多具陪　宇摩比等破　于摩譬苔奴知野　伊徒姑播茂　伊徒姑奴池　伊裝阿波那　和例波　多摩岐波屢　于池能阿層餓　波邏濃知波　異佐誤阿例椰　伊裝阿波那　和例波　時武内宿禰　令三軍悉令椎結　因以號令曰　各以儲弦藏于髮中　且佩木刀　既而乃擧皇后之命　誘忍熊王曰　吾勿貪天下　唯懷幼王　從君王者也　豈有距戰耶　願共絶弦捨兵　與連和焉　然則　君王登天業　以安席高枕　專制萬機　則顯令軍中　悉斷弦解刀　投於河水　

三月（やよひ）の丙申（ひのえさる）の朔（ついたち）庚子（かのえのねのひ）（AD201.03.05）に、武内宿禰（たけしうちにすくね）、和珥臣（わにのおみ）の祖（おや）武振熊（たけふるくま）に命（みことのり）して、数万（よろづあまり）の衆（いくさ）を率（ひき）ゐて、忍熊王（おしくまのみこ）を撃たしむ。爰（ここ）に武内宿禰等（ら）、精兵（ときつはもの）を選（えら）びて、山背より出づ。菟道（うぢ）に至りて河（かは）の北に屯（いは）む。忍熊王、営（いほり）を出でて戦はむととす。時に熊之凝（くまのこり）といふ者有り。忍熊王の軍（いくさ）の先鋒（さき）と爲（な）る。【熊之凝は、葛野城首（かづののきのおびと）の祖（おや）なり。一（ある）に云はく、多呉吉師（たごのきし）の遠祖（とほつおや）なりといふ】　則（すなは）ち己（おの）が衆（いくさびと）を勧（すす）めむと欲（おも）ひて、因（よ）りて、高唱（おとたか）く歌（うたよみす）して曰（い）はく、

　烏智箇多能（をちかたの）　阿邏々麻菟麼邏（あららまつばら）　摩菟麼邏珥（まつばらに）　和多利喩祇氐（わたりゆきて）　菟區喩彌珥（つくゆみに）　末利椰塢多具陪（まりやをたぐへ）　宇摩比等破（うまひとは）　于摩譬苔奴知野（うまひとどちや）　伊徒姑播茂（いとこはも）　伊徒姑奴池（いとこどち）　伊裝阿波那（いざあはな）　和例波（われは）　多摩岐波屢（たまきはる）　于池能阿層餓（うちのあそか）波邏濃知波（はらぬちは）　異佐誤阿例椰（いさごあれや）　伊裝阿波那（いざあはな）　和例波（われは）　

　彼方（をちかた）の　あらら松原（まつばら）　松原（まつばら）に　渡り行（ゆ）きて　槻弓（つくゆみ）に　まり矢（や）を副（たぐ）へ　貴人（うまひと）は　貴人（うまひと）どちや　親友（いとこ）はも　親友（いとこ）どち　いざ闘はな　我（われ）は　たまきはる　内（うち）の朝臣（あそ）が　腹内（はらぬち）は　小石（いさご）あれや　いざ闘（あ）はな　我（われ）は
　　
時に武内宿禰、三軍（みたむろのいくさ）に令（のりごと）して悉（ふつく）に椎結（かみあ）げしむ。因りて号令（のりごと）して曰はく、「各（おのおの）、儲弦（うさゆづる）を以（も）て髮中（たきふさ）に蔵（をさ）め、且（また）木刀（こだち）を佩（は）け」といふ。既にして乃（すなは）ち皇后（きさき）の命（おほみこと）を挙（のたまひあ）げて、忍熊王を誘（をこつ）りて曰はく、「吾（われ）は天下（あめのした）を貪（むさぶ）らず、唯（ただ）幼（わか）き王（みこ）を懐（うだ）きて、君王（きみ）に從ふらくのみ。豈（あに）距（ほせ）き戦ふこと有らむや。願はくは共に弦（ゆづる）を絶（た）ちて兵（つはもの）を捨てて、与（とも）に連和（うるは）しからむ。然（しかう）して則ち、君王（きみ）は天業（あまつひつぎ）を登（しら）して、席（みまし）に安（やす）く枕を高くして、専（たくめ）万機（よろづのまつりごと）を制（し）まさむ」といふ。則ち顕（あきらかに）に軍（みいくさ）の中に令（のりごと）して、悉に弦を断（き）り刀（たち）を解（と）きて、河水（かは）に投（なげい）る。

三月に入り皇后は、武内宿禰と和珥臣の祖武振熊に命じて、忍熊王を撃たせた。
和珥臣等始祖は天足彦国押人命（書紀巻4）、和珥臣の遠祖、彦国葺（書紀巻5）、和珥臣の祖、武振熊となる。姓氏録、右京皇別、真野臣条では、「天足彦国押人命三世孫、彦国葺命之後也、男大ロ納介、男難波宿禰、男大矢田宿禰」とあった男難波宿禰、古事記の難波根子建振熊にあたる。古事記では、難波は、吉師部の祖、伊佐比宿禰と丸邇臣の祖、根子建振熊と勢力が分かれていたことになる。武振熊が武内宿禰と合流したことにより、忍熊王は菟道に撤退せざるを得なくなり、武内宿禰は数万の衆を率ゐることが可能となった。武内宿禰等、精兵を選びて、山背より出づ、とあり山背根子の衆も合流、菟道に至って河の北に駐屯とあり、淀川水系から押し寄せたことになる。
先に通釈は、忍熊王は近江に撤退したとみていたが、そうであれば河の北に駐屯するのは、忍熊王の側になる。河の南は倭(奈良）に通じる。忍熊王は近江ではなく、倭に撤退していたと思はれる。
葛野城首の祖、熊之凝であるが、葛野が地名、城は氏の名と注されている。葛野は和名抄、山城国葛野郡葛野郷であり、京都市の西北部の渡来人勢力となる。もし、さうであれば、熊之凝は武内宿禰等の背後の敵となり、忍熊王等は武内宿禰等を挟み撃ちする構へとなる。
しかし、大日本地名辞典によれば、熊之凝は、「今平端村大字｜柏木《カシノキ》あり蓋葛野城の訛なり、佐保川に瀕す）、姓氏録云、熊凝朝臣、神饒速日命孫味瓊杵日命之後也。古熊凝寺と云者あり、今額安寺は其址なるべし。三代実録云、昔日聖徳太子、建平群郡熊凝道場、飛鳥岡本天皇（舒明）遷建十市郡百済川辺、号曰百済大寺。（熊凝精舎の事太子伝暦并に大安寺縁起にも見ゆ）（大日本地名辞書）」とあり倭（奈良）の族である。後に平群郡平端村、額安寺辺り（大和郡山市額田部寺町、地図）にも進出している。熊之凝は山代の葛野ではなく、倭の蓋葛野城であれば、河の南の忍熊王に合流していることになる
熊之凝は、多呉吉師の遠祖ともされ、多胡に通じ、多胡碑文（群馬県多野郡吉井町大字池字御門）に「上野国片岡郡緑野郡甘良郡并三郡内三百戸郡成羊給成多胡郡和銅四年三月九日甲寅」とあり、後に関東に進出する渡来人ともされる。この戦いに勝利していれば、非常なる影響力を行使しえた人物だったと思はれる。その熊之凝が、味方を鼓舞せんとして、大きな声で、歌を詠んだ。
その歌から、この戦ひは、政権内部、親兄弟・親戚、朋友が分かれ、一筋縄ではゆかなく複雑に敵対することになっていた。

”をち”は遠、遠く離れた、”あら”は散、バラバラに、”まつ”は松と待つがかかっている。槻弓はケヤキの木で作った弓、”まり”矢は丸く盛り上がった鏑矢、”たぐふ”副は二つのものがならびつれ立つこと。”うまひと”は位の高い人、”どち”は同士、”いとこ”は従兄弟、あるいは親しい人（字訓）、”たまきはる”は枕詞、魂極ると注される、”たまき”玉飾りした手で、”はる”弓を張る、ではどうか？内朝臣は武内宿禰のこと、”あれや”は有るか、いやない。
宇治川の向岸の松林でバラバラと待つ(本当は一杯いるのであるが）敵をめがけて、川を渡り、槻弓に鏑矢をつがへて並び、位の高い人は位の高い人同士、親しい人は親しい人同士、いざ戦おうではないか、我はゆかん。玉飾りして矢をつがへる武内宿禰の腹に堅い小石が詰まっていて射貫けぬといふことがあらうか、いやあるまい。いざ戦おうではないか、我はゆかん。

敵が渡河をせんとした時に、武内宿禰は髪を椎（つち）のやうに結いあげるやうに命じた。儲弦はかけ替えの弓弦、それを髪の中に入れ込み、木刀を腰に下げさせた。皇后の命であるとして、天下を自分のものにするつもりはない。私は吾が子を養育し、君主（神が忍熊王を君主とするなら）に従ふつもりである。だうして防ぎ戦ふことがあらうか。弦を切り、武器を捨て、共に連合して和さうではないか。君主となった者が”あまつひつぎ”の位につき、その席を安らかにし、枕を高くして、すべての政（まつりごと）を統治せしめればよい、と誘ひかけた。それを明にすべく、軍に命令して、弦を切り刀をはずし、河水に投入れせしめた。

忍熊王信其誘言　悉令軍衆　解兵投於河水　而斷弦　爰武内宿禰　令三軍　出儲弦　更張　以佩眞刀　度河而進之　忍熊王知被欺　謂倉見別、五十狹茅宿禰曰　吾既被欺　今無儲兵　豈可得戰乎　曳兵稍退　武内宿禰出精兵而追之　適遇于逢坂以破　故號其處曰逢坂也　軍衆走之　及于狹狹浪栗林而多斬　於是　血流溢栗林　故惡是事　至于今　其栗林之菓不進御所也　忍熊王逃無所入　則喚五十狹茅宿禰　而歌之曰　伊裝阿藝　伊佐智須區禰　多摩枳波屢　于知能阿曾餓　勾夫菟智能　伊多氐於破孺破　珥倍廼利能　介豆岐齊奈　則共沈瀬田濟而死之　于時　武内宿禰歌之曰　阿布彌能彌　齊多能和多利珥　伽豆區苔利　梅珥志彌曳泥麼　異枳廼倍呂之茂　於是　探其屍而不得也　然後　數日之出於菟道河　武内宿禰亦歌曰　阿布瀰能瀰　齊多能和多利珥　介豆區苔利　多那伽瀰須疑氐　于泥珥等邏倍菟　
冬十月癸亥朔甲子　群臣尊皇后曰皇太后　◎是年也太歲辛巳　卽爲攝政元年。

忍熊王（おしくまのみこ）、其の誘（をこつり）の言（こと）を信（う）けたまはりて、悉（ふつく）に軍衆（いくさびと）に令して、兵（つはもの）を解（と）きて河水（かは）に投（なげい）れて、弦（ゆづる）を断（き）らしむ。爰（ここ）に武内宿禰、三軍に令して、儲弦（うさゆづる）を出（いだ）して、更に張りて、眞刀（まさひ）を佩（は）く。河（かは）を度（わた）りて進む。忍熊王、欺（あざむ）かれたることを知りて、倉見別（くらみわけ）、五十狹茅宿禰（いさちのすくね）に謂（かた）りて曰（い）はく、「吾（われ）既に欺かれぬ。今儲（まけ）の兵（つはもの）無し。豈（あに）戦ふこと得（う）べけんや」といひて、兵（つはもの）を曳（ひ）きて稍退（ややしりぞ）く。武内宿禰、精兵（ときつはもの）を出して追ふ。適（たまたま）逢坂（あふさか）に遇ひて破りつ。故（かれ）、其の処を号（なづ）けて逢坂（あふさか）と曰ふ。軍衆（いくさびと）走（に）ぐ。狹狹浪（ささなみ）の栗林（くるす）に及（おひし）きて多（さは）に斬りつ。是（ここ）に、血流れて栗林に溢（つ）く。故、是の事を悪（にく）みて、今に至るまで、其の栗林（くるす）の菓（このみ）を御所（おもの）に進（たてまつ）らず。忍熊王、逃げて入（かく）るる所無し。則（すなは）ち五十狹茅宿禰を喚（よ）びて、歌（うたよみ）して曰（い）はく。

　伊裝阿藝（いざあぎ）　伊佐智須區禰（いさちすくね）　多摩枳波屢（たまきはる）　于知能阿曾餓（うちのあそが）　勾夫菟智能（くぶつちの）　伊多氐於破孺破（いたておはずは）　珥倍廼利能（にほどりの）　介豆岐齊奈（かづきせな）　

　いざ吾君（あぎ）　五十狹茅宿禰（いさちすくね)　たまきはる　内（うち）の朝臣（あそ）が　頭槌（くぶつち）の　痛手（いたでお）負はずは　鳰鳥（にほどり）の　潜（かづき）せな

則ち共に瀬田（せた）の済（わたり）に沈（おち）りて死（まか）りぬ。時に、武内宿禰、歌して曰はく。

　阿布彌能彌（あふみのみ）　齊多能和多利珥（せたのわたりに）　伽豆區苔利（かづくとり）　梅珥志彌曳泥麼（めにしみえねば）　異枳廼倍呂之茂（いきどほろしも）　

　淡海（あふみ）の海（み）　瀬田（せた）の済（わたり）に　潜（かづ）く鳥　目（め）にし見えねば　憤（いきどほろ）しも

是に、其の屍（かばね）を探（か）けども得ず。然（しかう）して後に、日数（ひへ）て菟道河（うぢがは）に出（い）づ。武内宿禰、亦歌して曰はく。
　阿布瀰能瀰（あふみのみ）　齊多能和多利珥（せたのわたりに）　介豆區苔利（かづくとり）　多那伽瀰須疑氐（たなかみすぎて）　于泥珥等邏倍菟（うぢにとらへつ）　

　淡海（あふみ）の海（み）　瀬田（せた）の濟（わたり）に　潜（かづ）く鳥　田上（たなかみ）過（す）ぎて　菟道（うぢ）に捕（とら）へつ
冬十月（かむなづき）の癸亥（みづのとのゐ）の朔（ついたち）甲子（きのえうまのひ）（AD201.10.02）に、群臣（まへつきみたち）、皇后を尊びて皇太后（おほきさき）と曰（まう）す。◎是年（ことし）、太歳辛巳（かのとのみ）。即（すなは）ち攝政元年（まつりごとふさねをさめたまふはじめのとし）とす。

古事記に曰く、「故、追ひ退けて山代に到りし時、還り立ちて、各退かずて相戰ひき。ここに建振熊の命、權（たばか）りて云はしめけらく、「息長帶日賣の命は既に崩りましぬ。故、更に戰ふべきこと無し」といはしめて、すなはち弓絃（ゆづる）を絶（た）ちて、欺陽（いつは）りて歸服（まつろ）ひぬ。ここにその將軍、既に詐（いつはり）りを信（う）けて、弓を弭（はづ）し兵（つはもの）を藏（をさ）めき。ここに頂髮（たぎふさ）の中より、設（ま）けし弦（つる）【一の名をうさゆづと云ふ】を採り出（いだ）して、更に張りて追ひ撃ちき。故、逢（あふ）坂に逃げ退きて、對（むか）ひ立ちてまた戰ひき。ここに追ひ迫（せ）めて沙沙那美（ささなみ）に敗り、悉にその軍（いくさ）を斬りき。ここにその忍熊の王と伊佐比の宿禰と、共に追ひ迫めらえて、船に乘りて海に浮び歌ひけらく、
　いざ吾君（あぎ）　振熊（ふるくま）が　痛手（いたて）負（お）はずは　鳰鳥（にほどり）の　淡海（あふみ）の湖（うみ）に　潜（かづ）きせなわ
とうたひて、すなはち海に入りて共に死にき（岩波文庫）」。

古事記では、建振命に、「息長帶日賣の命は既に崩りましぬ。故、更に戰ふべきこと無し」と言はせたとするのを、書紀は武内宿禰となし、皇后の崩により降服するとの言に伊佐比宿禰が欺かれた、ではなく、皇后が君主に従ふとの言に忍熊王が欺かれた、と訂正したことになる。戦場も古事記では、斗賀野で開戦し、撤退して山代に至りとあるが、書紀では、菟道川を挟んで戦端が開かれ、忍熊王は川の南側に営したとする。古事記では山代から逢坂（地図）、瀬田に撤退とあり問題ないが、書紀では、菟道川の北岸から攻撃され、撤退し、武内宿禰の精兵に追はれ、適（たまたま）逢坂に遇ふとなるが、これでは、菟道川北側の敵の背後に回り、敵の真っ只中、山背、あるいは、醍醐、山科を抜けねばならず、理解しがたい。武内宿禰が川南から攻撃して攻め上れば問題は無いが・・・狹狹浪は、近江国滋賀郡、栗林は、催馬楽｢鷹子｣の「安波川乃原（粟津の原）乃美久留須（御栗栖）」、粟津（地図）のあたり。大量の血が流れ不吉なのであるが、唐崎のあたりはかつては湖岸が陸側に入りこみ、湖中に突き出した「いとほどせまき岬」とされ、このやうな岬は常世への旅立ちの場、常世から神々が依り来る聖なる場とも認識された。節季のかわりめに祓えが行われ、ここで祓えが行われると、常世の国から聖水が波だって寄せてきて、生命の若やぎと甦がえりを得ると信ぜられる場（水辺の鎮魂：テキスト：原田敦子）となったやうである。狹狹浪といふものは、そういふ響きがあったものか。
古事記においては、伊佐比宿禰が振熊の攻撃で痛手を負うくらいなら、鳰鳥のごとく水に潜って逃げたいと忍熊王と連れだって湖に入ったが死んでしまった、ととれる。しかし、書紀においては、忍熊王が五十狹茅宿禰に向かい”いざ吾君”と呼びかけている。親しく呼ぶ言葉とあるが、吾君といふのは如何なものか。武内宿禰に槌の頭で殴りつけられ痛手を負うくらいなら、瀬田の済を潜って渡らうと入水したが、沈んで死んだ、と訂正した。集めた東国の軍を渡す船も用意できず、見捨てて己のみ潜水して身を隠し渡河をはかるとは、武内宿禰は憤りを覚えた。全軍に川底の屍の捜索を命じたのであらう。田上（地図）を過ぎた宇治川とあり、瀬田川が宇治川とされるのは、京都府域に入ってからであり、相当下流域でみつかったことになる。日本武尊に連なる者を待ち受ける死はどうしてかうなるのか？
倉見別、熊之凝の消息はわからない。亡くなった五十狹茅宿禰ともども、その氏族の祖といふことであり、子孫が名をなしているのであり、勝負のついた時点以降は融和がはかられたものとみえる。
太歳辛巳（AD201年）十月に皇后は皇太后となり、攝政元年と定めた。

2008.03.24了　 2022.07.08　更新、及び以下追加（2018年版「出雲国問」による）

朝鮮半島（古地図；HP）
　半島は、古来、モンゴロイドが土着したところに、北より騎馬遊牧系の民が南下し、南では海より大陸南方、東方、東南アジア系の民、倭人が入り込む地であった。周の武王が殷を討ったとき、武王は殷の賢人箕子（きし）を王倹（平壌）に候として封じ、箕子は農事や養蚕や機織り、八条の教えにより民を教化し、箕子朝鮮を建国したという（それは中国人、あるいは韓国の儒者の主張であり、韓国の独自性を主張する人は、それ以前に、太白山に降臨した檀君を朝鮮族の始祖とする）。遊牧民は牧草を求め移動するのが常であるが、農耕や養蚕により定着する族もあらわれる。
　春秋戦国の世にあっては、朝鮮は燕の情勢に左右され、燕が朝鮮その南の真番（朝鮮国の属国）を併合することもあった。燕が秦に滅ぼされ、秦が天下を統一した時には、朝鮮候として仕えていたが、陳勝や項羽等が秦に叛き戦乱となると、朝鮮候の準は朝鮮王を称した。
　漢が天下を統一（BC206-8年）すると、劉邦は同郷の盧綰（ろわん）を燕王とした。しかし、盧綰は謀反を疑われ劉邦が没すると匈奴に逃げ、部下の衛満（えいまん）は朝鮮に逃れた。準に取り立てられ、圭の百里を授けられた衛満は、西辺の守りに就いた。そこは、燕、齊、趙から多くの民が避難し、難民の邑と化し、衛満はこれらを糾合し準を討ち、王倹に衛氏朝鮮を建国する（BC194年）。衛満は漢の鉄器文化、鉄製農具や武器を導入し、手工業を興し周辺の族と交易する。漢は衛満を遼東太守の外臣とし、濊貊（わいはく）系の遊牧民等がこれに服した。一方、準は左右の官を率いて船で南方に逃れ、韓を称す民の王（韓王）となる。河北の韓人の末裔か、山東半島を経由して逃れてきた韓人か、不明であるが韓姓を称していたようだ。
　その南を中国人は辰と称し、小国が分立しており、辰王が月支国に都を置き全体を統治しているとみなしていた。月支*は騎馬民族であり、大月支と小月支に分かれ、小月支の一部が半島を南下したとされるようであるがよくは分からない。辰の地には、かつて秦の苦役から逃れてきた亡人が東部に地（後の辰韓）を与えられており、準を諫めて容れられず朝鮮国を出た宰相の歴谿卿（れきけいけい）も二千余戸の住民を率いて逃れて来てもおり、遊牧民も漢人も混在する地であったが、それぞれの地では、土着の王族が治めていたとされる。後に50数カ国の馬韓、12カ国の辰韓、12カ国の弁韓となる地である。

*小谷仲男教授（富山大学）によれば、月氏はペルシアやバクトリアの北辺の草原にいたイラン系遊牧民で最も東方にまで移動した族。匈奴に追われ河西に残ったのが小月支、西方に向い大夏を征服し、バクトリアをギリシア人から奪ったのが大月支という（塞と大月氏）。後に新羅が西方との交易に携わる遠因ともみられよう。
「第十章天毒とセリカ - 小嶋秋彦の古代史研究サイト」によれば、「辰は十二支」のうち方角として｢東東南｣を表わすので、馬韓のうちの｢東南地方｣の語義が先とみられる。というのも、辰の漢音は chen で、韓 chan、絹 chüan、縑 chìenと訓音が近似し、｢チャン｣に依拠した用字とみられるからである。・・・後漢書韓伝で｢月支国｣と表記されているのは、三国志魏書倭人伝では｢辰王は月支国を統治して｣とあり、馬韓の諸国の中にも「月支国」とあり、目支は月支である。月支はサンスクリット語の candra の転訛とみられる。サンスクリット語で月を表わすが、チャンドラ神は東北地方の守護神名であり、インド亜大陸から韓半島は正に東北地方に当たる。因みに東方の守護神はインドラ神である。東北方の守護神にはソーマ神もいるが、チャンドラの名が採られたのは、韓が｢チャン｣訓であることによる応用である。韓の音訓はまた｢ハン｣であり、｢漢｣とも表記されるが、これはチャンドラと同義の hendra に依拠する。よって馬韓は mah-endra の音写で、mahā-candra(大－月支)であり、｢大韓｣を意味している」とある。辰と月氏の由来となる。

　漢の武帝の元朔元年（BC128年）に、濊君の南閭（なんりょ）等が、朝鮮王、衛右渠（うきょ）に畔（そむ）き、二十八万口を率い遼東に詣（いた）り、漢に内属する事件が起こり、武帝はその地を蒼海郡とした。しかし、漢人の官が治めるには難しかったようで、BC126年には、南閭に「穢王之印」を授け治めさせている。
　武帝の治世は、度重なる匈奴征伐等遠征、建築造営により、財政が悪化し、塩・鉄（後には酒）の専売制、財産税の導入、商品の流通に介入して利を図るなどにより、疲弊や不満がみられ、元鼎末（BC112-111年）には、南越が背き、朝鮮王、衛右渠も周辺国の漢に朝貢する道を閉ざすなど不穏な動きをする。武帝は衛氏を伐ち（BC108年）、朝鮮を楽浪郡、その東を臨屯郡、南の真番を真番郡、北を玄菟郡とし、郡県制を敷いた。郡太守が派遣され、漢人の官が赴任したのであろうが、郡県システムをその素地のない所で機能させるのは、困難であったようだ。
　昭帝の時（BC82年）臨屯郡は楽浪郡に編入され、楽浪東部都尉（郡太守を補佐し、郡内の武職や兵卒を掌る官職）が置かれ濊の官をもってその地を治めしめ、真番郡は楽浪郡に併合された。臨屯郡に居た濊貊の圧迫を受けた玄菟郡は、かつての蒼海郡の地に移され、そこを追われた穢王の族は北に逃れ、「扶余」（後に高句麗を建国）を称し、移動した玄菟郡の日本海沿岸に居た濊貊は「沃沮」を称した。とはいえ、彼等には、楽浪の漢文化にはあこがれが有り、その導入を図った。これらの変動のなかで、辰は馬韓、辰韓、弁韓に分立する。

三韓
　後漢書によれば、「韓には三種が有り、馬韓、辰韓、弁辰という。馬韓は西に在り、五十四国有り。其の北は楽浪と、南は倭と接す。辰韓は東に在り、十二国。其の北は濊貊と接す。弁辰は辰韓の南に在り、亦、十二国。其の南は亦、倭と接す。凡て七十八国、伯済は是其の一国。大なるは万余戸、小なるは数千家、各（おのおの）山と海の間に在り。地を合せると方四千余里、東西は海により限りとす。皆（すべ）て古の辰国である。馬韓は最大にして、其の種を共立して辰王とす。都は(月)支国に目（み）え、盡（ことごと）く三韓の地に王たる。其の諸国の王は先ず皆て馬韓種人である。馬韓人は田と蠶（養蚕）を知り、綿布を作る。梨のような大栗がある。長い尾の雞がおり、尾の長さは五尺。邑落は雜居で、亦、城郭は無い。土室を作り、形は家のようで、開戸が上に在る。跪拜を知らず、長幼男女の別が無い。金宝錦罽（毛織の絨毯）を貴しとせず。騎乘す牛馬を知らず。唯に瓔珠（たま）を重んじて、衣に綴り飾りとし、頸に縣け耳に垂らす。大率（およそ）皆くしゃくしゃ頭のままで（冠がない）、布袍（ふほう、裳がない）で草履。其の人となりは壮勇で、少年が室を築くに力をなすは、輒（すなわち）繩で脊の皮を貫き、大木を縋（ひきずり下ろし）、大声で叫ぶを健となす。常に五月の田が竟（おわ）ると鬼神を祭り、昼夜酒会し、群れ聚り歌い舞う。舞うこと輒数十人、相隨いて地を（ふ）み節をとる。十月に農の功畢（おわ）りて、亦、復（また）かくのごとし。諸国では邑ごとに一人天神を主祭し、号（なづ）けて「天君」という。又、蘇塗（そと）を立て、大木を建て鈴や鼓を縣け、鬼神に事（つか）える。其の南界は倭に近く、亦、文身（入れ墨）者有り」という。
　濊においては、大君長が居なかったが、漢の都尉のもとに官として侯、邑君、三老を置き、下戸を治めるようになり、後には、都尉の代わりに渠帥（きょすい：統率者）を置き候とした。馬韓では各国に長師（大は臣智）、次に邑借（ゆうしゃく）が置かれ、辰韓、弁韓では、各国に渠帥（大は臣智）、次に儉側（けんそく）、次に樊秖（はんし）、次に殺奚（さっけい）、次に邑借が置かれた。
　後漢の光武帝は、各族の長や王を朝貢せしめて信任することによる統治に切り替えた。かくして、紀元44年には、東夷の韓人で廉斯（れんし）邑の蘇馬諟（そばし）等、47年には、高句麗、49年には、扶余王、54年には、鮮卑大人が朝貢し、57年には、倭の奴国王の使者が楽浪を経由し洛陽に至り、その存在を誇示した。
　一番手の蘇馬諟は弁辰(弁韓)の人、中国人からみれば、辰韓と弁辰は同じようにみえたが、その風俗において、弁辰は抜きんでていた。三國志、魏書、東夷傳、弁辰によれば、「土地は肥美にして、種は五穀に宜しく、稻に及び、蠶（蚕）桑を曉（し）り、縑（かとりぎぬ）の布を作り、牛馬に乗駕す。嫁娶の礼俗、男女に別有り。大鳥の羽を以て死を送り、其の意、死者をして飛揚せしめんと欲（す）。国に鉄を出し、韓、濊、倭皆て從いてこれを取る。諸の市買（しこ、市場の商人）が皆て鉄を用いること、中国が銭を用うがごとし。又以て二郡（楽浪郡・帯方郡）に供給す。俗は歌舞飲酒を喜び、瑟有り。其の形は筑（箏に似る楽器）に似て、これを弾けば亦、音曲有り。兒生れば、便ち石を以て其の頭を厭（おしつ）け，其の褊を欲す。今の辰韓人は皆褊頭。男女は倭に近く、亦文身す。歩戰に便（な）れ、兵仗は馬韓と同じ。其の俗、行く者相逢えば、皆住（とど）まり、路を讓る。弁辰と辰韓は雜居す。亦、城郭有り。衣服居處は辰韓と同じ。言語法俗は相似たり。鬼神を祠祭するに異有り。灶（かまど）を施すに皆て戸西に在り。其の瀆盧国は倭と界を接す。十二国亦、王有り。其の人形は皆大。衣服は絜清にして長髮。亦、広幅細布を作る。法俗は特に嚴峻」といい、楽浪郡や帯方郡で中国商人と鉄で交易決済を行っていた。倭と界を接すとあり、倭が弁辰の南端に居所を有していたことになる。奴国が楽浪や洛陽に達するのは、弁辰と手を携えたことによろう。

建国談
　三国遺事、駕洛国記によれば、天地が開闢したとき、国も君臣もなく、九の干という酋長が百姓（諸々の姓）を治めていた。後漢の光武帝の建武18年(AD44年)に北の亀旨峰（クジボン）で異様な声がした。九干によれば、昊天が新たな家邦と君后を降ろすとのお告げであるという。皆で祈り歌舞して迎えるべしとのことで、歌舞を続けると、天から紫の縄が降り、その先に紅く金の袋があり、開けると太陽のように輝く金の卵が六つあった。各の卵から童子が生まれ、最初の童子を首露(スロ、最初に現れた)と名付け、六国の一、大駕洛国の王とし、他の五人を五加耶国の主とした。建武24年になると、九干が皇后を迎えることを進言する。西南の隅の海の彼方から、緋の帆を張り、茜の旗を付けた船が北を目指してきた。錦繍（錦と刺繍を施した絹織物）、綾羅（あや絹とうす絹）、衣（上半身着）裳（下半身着）疋（二反）段（一反）、金銀珠玉、瓊玖（美しいおび玉）、服玩器を持参する阿踰陀（アユタ）国の公主の二十八歳の娘、許黄玉（ホファンオク）が乗船していた。父王と皇后は夢で昊天上帝のお告げが有り、駕洛国元君の首露に嫁げとのことであった。ローマと漢の間で、陸のシルクロードのみならず、海のシルクロードでもその交易の利を得ようとするインド商人との交易がその視野にあった地が駕洛であるといいたい。
　高句麗、百済、新羅、駕洛の建国の記述について、高麗時代の金富軾（三国史記、1145年12月に撰上）、高僧一然とその弟子（三国遺事、1270年代後半から1280年代中頃に撰上）等は、「紀」や「記」を意識しており、中国の史書に記されない伝承を取り込み、朝鮮半島に中国人が入る前に自らの独自の歴史と伝統のあったことを示そうとした。朝鮮半島の歴史は、中国の歴史では無く、朝鮮半島の歴史で有り、中国の支配を受けることはあっても、中国に属すものではないとする意識の表れであり、今少しく、建国談をみておきたい。

　三国遺事によれば、朝鮮の建国は以下のごとしという。「孔子は礼楽により邦を興し、仁義を教え、怪力・乱神を語らなかったが、その邦の興りに怪異なる現象がみられた。伏羲は黄河の出した図により、禹は洛水の出した書により、大変に乗じ、大器を手に入れ、大業を成した。
　虹が神母にまとわり伏羲は生まれ、龍が女登に感じて炎帝を生み、皇娥（こうが）が窮桑（きゅうそう）の野で白帝の子と称す神童と交り小昊を生み、簡狄（かんてき）が卵を呑んで契（せつ、商の始祖）を生み、姜嫄（きょうげん）が（巨人の）跡を履（ふ）んで弃（き、后稷）を生んだ。妊娠十四ヵ月にして誕生したのが堯（ぎょう）であり、龍が大沢に交わりて沛公（はいこう、劉邦）を生んだ。
　三国の始祖においても、このような神異があって、怪しむべきことはない。だから「紀異」を諸篇の漸（はじめ）とする。二千年の昔、壇君王儉（だんくんおうけん）がおり、都を阿斯達に立て、国を開き朝鮮と名付けた。堯と同じ時である。
　『古記』に云う。昔、桓因（帝釈天）は、その子、桓雄が天の下のことばかり気にするので、その意を知り、下の三つの高い山を視て、人間を広く増やすに、天符印三箇（三種神器、鏡、鈴、銅剣か？）を授け、人間を治めせしめた。雄は徒三千を率（ひき）い、太伯山の頂の神壇樹の下に降りた。これを神市と謂い、桓雄天王と謂う。風伯・雨師・雲師を將（ひき）い、穀を主（つかさど）り、命を主り、病を主り、刑を主り、善惡を主り、凡（すべ）て人間の三百六十余事を主り、世を治め教化した。
　時に熊と虎が同じ洞窟におり、人間になりたいと神雄に願った。神雄は、靈艾一・蒜二十枚を与え、それを食い、百日日の光を見なければ人間になれると告げた。熊と虎はそれを食し、二十一日にして、熊は女身を得たが、虎はそうしなかったのでそのままであった。熊女は夫を得て子を妊むことを呪願した。神雄が人と化し、婚し、熊女は孕みて子を生む。この子を壇君王儉という。平壤城に都し、始めて朝鮮を稱す。また都を白岳山の阿斯達に移す。またの名を弓（方）忽山、または今彌達という。国を御（おさ）めること一千五百年。
　周の武王が即位すると箕子を朝鮮に封ず。壇君は藏唐京に移り、後に阿斯達に還り隱れ、山神となった。一千九百八歳であった。（巻一、紀異第一　序文および古朝鮮を筆者要約）」。

　高句麗とは、中国人からすれば、玄菟郡の高句麗県に出入りしていた濊貊、後に扶余と称した族であり、高麗（こま）、貊（こま）でもある。後の高麗（こうらい、918年 - 1392年）と区別するために高句麗とした。三国史記、高句麗本紀によれば、「扶余王の子がなく、山川を祭ると、王の馬が大石の前に止まり、その石に下に金色の蛙のような形の子供がいた。金蛙（きんあ）とし、王の子とした。宰相は占いで、天神が金蛙に国を継がせると知り、扶余王達は東海の海浜に移り、東扶余とし、天帝の子の解慕漱（かいばそう）がそこに都を拓き、亡くなると金蛙が後を継いだ。金蛙が解慕漱と愛し合ったという河神の娘の柳花（りゅうか）の話を聞き、柳花を家の中に入れると、日光が娘を追いかけて照らし、娘が身ごもった。娘は大卵を産み、その卵を食べる獣も、面倒をみるものもなく、野原に捨てられ、鳥が卵を温めた。金蛙王が割ろうとしたが割れず、柳花に返した。そこから生まれたのが体格、知能にすぐれた子で、七歳にして自分で弓矢を作り、百発百中させたため、弓矢の名手（朱蒙）と名付けられた。
　金蛙王には七人の子があったが、朱蒙の異能を恐れ、後の禍となると、排斥すること策した。柳花はそれを案じ、朱蒙に立ち去ることを薦め、朱蒙は魚やスッポンの助けを得て川を渡り、追手の手からのがれることができた。そこで三人の賢人に会い、彼等とともに卒本にたどり着き国を拓き、国号を高句麗とした。朱蒙二十二歳、漢の孝元帝建昭二年（BC37年）のことであった。（筆者要約）」とあるが、高句麗の由来には触れておらず、だから高氏としたと高氏の由来としたのみである。

　また、同じく、百済本紀によれば、「朱蒙が北扶余から卒本に避難してきた時、卒本扶余王には、息子がおらず三人の娘がおり、朱蒙を非凡と見て、二番目の娘を嫁がせた。王が亡くなると朱蒙が王位につき二子をもうけた。長男を沸流（ふつりゅう）といい次男を温祚（おんそ）という。ところが、朱蒙が北扶余にいた頃に生ませた子が卒本にやってきて太子となったので、沸流と温祚は家臣を連れて南に逃げた。漢山に来て温祚は、そこに留まったが、沸流は更に海岸をめざした。温祚は、河南の尉礼城に都をおき、十人の家臣が従ったので国号を「十済」とした。前漢成帝の鴻嘉三年（BC18年）のことであった。海岸に住んだ沸流は、水が塩からく暮らしがたたず、温祚等が尉礼で豊かに暮らしているのを見て恥じて死に、家臣達は温祚に服した。百姓が喜んで従ったので、国号を「百済」と改めた。百済王家は扶余系である。（筆者要約）」とする。

　また、同じく、新羅本紀によれば、「辰韓に六村がある。馬がいなないており、そこへ行くと、馬の姿が消え、大きな瓢の形をした卵があり、それを割ると、幼児が出てきた。十余歳で優秀で老成しており、六村の人々は、彼をあがめて君主とし、瓢を辰韓では朴（ぼく）といい、王者を居西干（きょせいかん）というので、朴氏、諱（いみな）を赫居世（かくきょせい）、王号を居西干（コソガン）とし、前漢孝宣帝の五鳳元年（BC57年）に即位した。十三歳で国号を徐那伐（じょなばつ）とした」とあるが、これは辰韓時代のことである。第三代儒理尼師今（じゅりにしきん）の治世（在位 AD24-57）に六部六姓（李、崔、孫、鄭、裴、薛）を定め、十七の官位を設けたとするが、このような官位が導入されるのは、中央集権的な国家が形成される第十七代　奈勿尼師今（在位AD356～402）以降とされ、編者の金富軾が「紀」に対抗してこの期に繰り上げて官位制度の成立を記したとされる。第四代、脱解（だっかい）尼師今のとき、始林の樹間の鶏の鳴き声に導かれ、金色の小箱の中から小男児を得て、その名を閼智（あるち：知恵者；後の新羅王嫉の始祖）とし、金の小箱から生まれたため、金氏とし、国号を鶏林にした（始林→鶏林→新羅となる）。（脱解は、倭国の東北一千里の多婆那国の国王が女国の王女を娶って生んだ大卵。王女が箱にいれて海に流し、金官国に流れつき、更に辰韓の浜辺につき、老婆がその箱を開けて、子供見つけ養育したもの。学問を薦められ精通し、王女の夫となり、王が賢者を後継者と定めて亡くなり、王位に就いた）。

　一然は朝鮮建国の「紀異」、檀君神話を記したが、これを継ぐ族がなかった。扶余にもそれぞれの紀異の始祖がいるが、朱蒙も温祚も檀君を継ぐものではない。月支国に都を置いた辰王も別個。辰韓、弁韓を牛耳っていた馬韓の王はよく分からない。駕洛の首露も辰韓の赫居世も、脱解も新羅王族の祖の閼智（金氏）も別個、ある程度共通するのは、卵から生まれた異能の男児、天神の子とするものであるが、その天神が如何なるものかは分からない。
　我が国では、奴国や邪馬台国が有していたであろう神話、また出雲が有していた神話は、ヤマト政権により放棄されたものがあれば、また、変形変質されたものもあろう。天武天皇の世にその形を整えつつあった「記」や「紀」の建国神話や歴史が編纂されて以降は、王朝の交代がなく、その一貫性は保たれてきた。もし、王朝の交代が起っておれば、それは分断されたことであろう、そうならなかったのは、まことに奇跡的なことである。

神功皇后の新羅征討のイデオロギー
　中国の史書により、倭人が馬韓、弁韓、辰韓の頃から、半島との交流、交易があり、弁辰と似た風俗を有し、三国史記からみても、倭人が半島に渡り、新羅とたびたび交戦していることが知られる。倭人は弁辰と親和性があり、弁辰が辰韓と対立する状況にあって、弁辰に加勢したことに由来するのであろう。歴史的には、さまざまな情勢に応じ、時々に新羅と対立したのであろうが、皇后の新羅征討は、「古事記（記）」と「日本書紀（紀）」では相違があるが、天照大神の意向を実現するものと記されることになった。
この神の意向を正しく理解し、それを確認し、心身を浄（きよ）め、天神地祇を祭祀し、海を浄めることで、神々の威力、自然の幇助が発揮され事は成就される、という構成にみえる。
　「記」は、皇后の腹の御子が後継者となること、金銀宝の国、新羅を征することを天照大神の意向とした。天神地祇を祭祀し、船に天照大神の御魂を坐して、真木の灰を瓠に納め多くの木の皿に載せて海に浮かべる（海を浄める）と、魚達が船を背負い、海神が風を起こして浪に乗せて導き、一気に川を遡り新羅の王の前に押し上がった。結果、新羅は降伏し、御馬甘となり、百済が屯家となった。その時点で御子が生まれそうになり、石を腰に当てて鎮め、筑紫に戻って御子を生んだとしている。
　「紀」は、神々を、撞賢木嚴之御魂天疎向津媛命（天照大神の荒魂）、尾田吾田節之淡郡所居神（天照大神の分身あるいは妹）、天事代於虚事代玉籤入彦嚴之事代神（事代主神）、表筒男・中筒男・底筒男神とした。神意を確認せんとして熊襲を討つと成就した。アユも釣れた。磐を雷が砕き溝も通った。皇后が髪を海水ですすぐと髻（男性の髪型）となった。「うけひ」はことごとく実現されてゆく。又、偵察すると西北に山（国）が確認された。天照大神の和魂が皇后の身を守り、荒魂が船を導く。その時が皇后の開胎（産み月）であったので、帰還時に産むことになるよう祈願し、腰に石を当てて出航した。風、浪、攻め上がる様は同じ、新羅は図籍（土地の図面と人民の籍）を封印し、飼部となり朝貢を約し、人質を出し、内官家屯倉（貢納国）となった。それを示すために、皇后が持つ矛を新羅の王の門に樹てた。皇后は筑紫に戻って御子を産んだ。

　しかし、新羅との対立に、実際に従事した氏族が、この見解を聞けば首をかしげたことであろう。それらの氏族にはそれらの見解があって当然である。「紀」においては、一書、一書の形で、痕跡が残されているが、部分的で、編纂方針に合致する範囲にとどまっていよう。
　該当する氏族としては、熊襲を討たせた吉備臣の祖鴨別、船を導いた磯鹿の海人、新羅の宰として残ったとされる和珥氏、武内宿禰が忍熊王を攻める軍を率いさせた和珥臣の祖武振熊、後の新羅の人質帰還に際して、逃亡したのを追い新羅を討ち、捕虜を連れ帰った武内宿禰の子、葛城襲津彦が登場するのみである。ただこれらの氏族は「記紀」編纂当時は過去の有力氏族であり、その意向を反映させることは難しかった。
　「記」の編纂における天武天皇の意向は、序文（ﾘﾝｸ）に明らかにされている。
　天武天皇の意向は、「『諸家の賷る帝紀及び本辞、既に正実に違ひ、多く虚僞を加ふ』といへり。今の時に当りて、其の失を改めずは、未だ幾年をも経ずしてその旨滅びなむとす。これすなはち、邦家の経緯、王化の鴻基なり。故これ、帝紀を撰録し、旧辭を討覈して、僞を削り実を定めて、後葉に流へむと欲ふ」、諸家の伝承ではなく「記紀」を公式見解として子孫に定着させることであった。
神功皇后に関しては、「夢に覚りて神祇を敬ひたまひき。所以に賢后と称す」とされた。
　神祇とは「あまつかみとくにつかみ」であり、その意向を呈するものが「ひつぎ」する。その主体は、霊継ぎ、日継ぎ、天地開闢の霊とその歴史を継承する。そして、天武天皇を中国の皇帝を凌駕する、天地開闢以来続く神の子孫、現人神であるとした。それ故に、天地開闢から一系たる系譜を導くこととなった。
　天武天皇については、「潜龍元を体し、煒雷期に応じき。夢の歌を開きて業を纂がむことを相せ、夜の水に投りて基を承けむことを知りたまひき」、壬申の乱に勝利して、「昇りて天位に即きたまひき。道は軒后に軼ぎ、徳は周王に跨えたまひき。乾符を握りて六合を総べ、天統を得て八荒を包んたまひき。二気の正しきに乗り、五行の序を斉へ、神理を設けて俗を奬め、英風を敷きて国を弘めたまひき。重加、智海は浩汗として、潭く上古を探り、心鏡は煒煌として、明らかに先代を覩たまひき」と記されている。
　藤原鎌足の死、天智天皇の崩御、大友皇子の後継と不遇に身を潜めたまひしが、夢の歌に促されそれを確かめむと、大海人皇子が夜の川で身を浄めたまへば、龍となり天位につくが定めと覚られた（壬申の乱に勝利して、天位につかれた）。
　道は中国の黄帝に抜きんで、徳は周王を超へ、天子のしるしを手にすれば、それは天上天下のすべて、天地の果てまでを覆ひぬ。陰陽を正し五行の秩序を整へ、神のことわりを世にすすめ、よきありやうを国にひろめたまふ。加ふに、海の如く広大な智により、遠く上古に鑑み（天地開闢に遡り）、その心の鏡は（天照大神の御心の如く）輝き、先代の業績を明らかにされた、とでもなろうか。

岩倉紙芝居館　古典館　日本書紀　9-1 上田　啓之
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