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大鷦鷯天皇 仁德天皇
卌一年春三月（AD353.03） 》》
卌三年秋九月庚子朔（AD355.09.01） 》》
五十年春三月壬辰朔丙申（AD362.03.05） 》》
五十三年（AD365） 》》
五十五年（AD367） 》》
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五十八年夏五月（AD370.05） 》》
六十年冬十月（AD372.10） 》》
六十二年夏五月（AD374.05） 》》
六十五年（AD377） 》》
六十七年冬十月庚辰朔甲申（AD379.10.05） 》》
八十七年春正月戊子朔癸卯（AD399.01.16） 》》
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(岩波文庫 日本書紀 坂本太郎･家永三郎･井上光禎･大野晋 校注 を読む。)
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大鷦鷯天皇（おほさざきのすめらみこと） 仁德天皇（にんとくてんわう）
卌一年春三月 遣紀角宿禰於百濟 始分國郡壃場 具錄郷土所出 是時 百濟王之族酒君无禮 由是 紀角宿禰訶責百濟王 時百濟王悚之 以鐵鎖縛酒君 附襲津彥而進上 爰酒君來之 則逃匿于石川錦織首許呂斯之家 則欺之曰 天皇旣赦臣罪 故寄汝而活焉 久之天皇遂赦其罪
四十一年の春三月（やよひ）（AD353.03）に、紀角宿禰（きのつののすくね）を百済（くだら）に遣（つかは）して、始めて国郡（くにこほり）の壃場（さかひ）を分ちて、具（つぶさ）に郷土所出（くにつもの）を録（しる）す。是（こ）の時に、百済（くだら）の王（こきし）の族（やから）酒君（さけのきみ）、礼无（ゐやな）し。是（これ）に由（よ）りて、紀角宿禰、百済の王を訶（ころ）ひ責（む）む。時に百済の王、悚（かしこま）りて、鉄（くろがね）の鎖（つがり）を以（も）て酒君を縛（ゆ）ひて、襲津彦（そつびこ）に附けて進（たてまつ）り上（あ）ぐ。爰（ここ）に酒君来（まうき）て、則（すなは）ち石川錦織首（いしかはのにしこりのおびと）許呂斯（ころし）が家（いへ）に逃（に）げ匿（かく）る。則ち欺（あざむ）きて曰（い）はく、「天皇（すめらみこと）、既に臣（やつかれ）が罪を赦したまひつ。故（かれ）、汝（いまし）に寄（つ）けて活（わたら）はむ」といふ。久（ひさ）にありて天皇、遂（つひ）に其の罪を赦したまふ。
百済の国郡の境界を日本（やまと）の将軍を遣はして分かち、何を産出するかを記させた。百済の王では、それが出来なかったのか？礼を失する王族、酒君がおり、どうにもならなかった。十七年（AD329）条に、「新羅、朝貢らず」とあったが、それに類するものであらう。どの地で何が産出するかを、貢物をとるために独自に調査した。それを妨害する勢力があった。
それを紀角宿禰が叱責し百済の王は、酒君を捕え、襲津彦に附けて天皇に進り上げたといふ。磐之媛命の父、襲津彦も百済の王の下で、酒君同様勝手な振る舞いをしており、同族の紀角宿禰が、事態の収拾に起用された。これ等の状況は、高句麗の半島南下政策により、日本（やまと）との間（はざま）で起こったものと思はれ、後にみてみたい。磐之媛命の運命も、半島でのこの父の行動が影響していたものであらう。池内宏、津田左右吉は共にこの酒君が進上された話は事実と認め難いとする、と注される。
姓氏録、右京諸蕃、刑部に「百済国より出る酒王なり」、和泉国諸蕃、百済公にも、「出自百済国酒王也」、六人部連に、「酒王之後也」とある。石川錦織首許呂斯は、住吉神代記に、「山預の石川錦織許呂志が仕へ奉る山名、所所に在り。号けて、兄山(せのやま)・天野・横山・錦織(にしごり)・石川・葛城(かつらぎ)・音穗(おとほ)・高向(たかむく)・華林・二上(ふたかみ)山等と曰す、と見え、また、嶺の東の方頭(かた)に杖立二処あり、石川錦織許呂志・忍海刀自(おしうみのとじ)等、水別を争ひ論らふ。とある」と注される。石川錦織首許呂斯は、住吉大社の広大な神領の山を管理しており（山河寄さし奉る本記：いこまかんなびの会）石川と錦織の首（おびと）であった許呂斯とならう。”ころし：おさえつけて小さくすること（三省堂古語辞典）”とは妙な名前である。葛城襲津彦が知恵を授けたのであらうか、酒君は、「天皇が罪を赦して、汝（許呂斯）の所に寄り活（わたらひ：生活の為の仕事（三省堂古語辞典））とするやうにされた」と欺き、住吉大社の神領に逃げ込んだ。百済の王族であり、天皇もしばらくして、その罪を赦された。住吉大社も広大な神領管理や開発に渡来人を用ゐたのであらう。もっとも、彼に関しては、王族の酒君であり、鄭重に扱はれたものと思はれるが。
卌三年秋九月庚子朔 依網屯倉阿弭古 捕異鳥 獻於天皇曰 臣毎張網捕鳥 未曾得是鳥之類 故奇而獻之 天皇召酒君 示鳥曰 是何鳥矣 酒君對言 此鳥之類 多在百濟 得馴而能從人 亦捷飛之掠諸鳥 百濟俗號此鳥曰倶知 【是今時鷹也】 乃授酒君令養馴 未幾時而得馴 酒君則以韋緡著其足 以小鈴著其尾 居腕上 獻于天皇 是日 幸百舌鳥野而遊獵 時雌雉多起 乃放鷹令捕 忽獲數十雉
是月 甫定鷹甘部 故時人號其養鷹之處 曰鷹甘邑也
四十三年の秋九月（ながづき）の庚子（かのえね）の朔（ついたちのひ）（AD355.09.01）に、依網屯倉（よさみのみやけ）の阿弭古（あびこ）、異（あや）しき鳥を捕（と）りて、天皇に献りて曰（まう）さく、「臣（やつかれ）、毎（つね）に網を張りて鳥を捕るに、未（いま）だ曾（かつ）て是の鳥の類（たぐひ）を得ず。故（かれ）、奇（あやし）びて献る」とまうす。天皇、酒君（さけのきみ）を召（め）して、鳥を示（み）せて曰（のたま）はく、「是（これ）、何鳥（なにとり）ぞ」とのたまふ。酒君、対（こた）へて言（まう）さく、「此の鳥の類、多（さは）に百済に在り。馴（なら）し得（え）てば能（よ）く人に従ふ。亦捷（と）く飛びて諸（もろもろ）の鳥を掠（と）る。百済の俗（ひと）、此鳥を号（なづ）けて倶知（ぐち）と曰ふ」とまうす【是、今時（いま）の鷹なり】。乃（すなは）ち酒君に授（さづ）けて養馴（やす）む。幾時（いくばく）もあらずして馴（なつ）くること得たり。酒君、則ち韋（をしかは）の緡（あしを）を以て其の足に著（つ）けて、小鈴を以て其の尾に著けて、腕（ただむき）の上に居（す）ゑて、天皇に献る。是（こ）の日に、百舌鳥野（もずの）に幸（いでま）して遊猟（かり）したまふ。時に雌雉（めきぎし）、多（さは）に起つ。乃ち鷹を放ちて捕らしむ。忽（たちまち）に数十（あまた）の雉（きぎし）を獲つ。
是の月に、甫（はじ）めて鷹甘部（たかかひべ）を定む。故（かれ）、時人、其の鷹養（か）ふ処（ところ）を号（なづ）けて、鷹甘邑（たかかひのむら）と曰ふ。
依網池（復原研究にみる古代依網池の開削；川内眷三、HP）が造成されたのは、書紀では、御間城入彦五十瓊殖天皇（崇神天皇）の六十二年の条とされる（書紀巻５）。住吉区我孫子町、庭井町から大和川の対岸、松原市天美町一帯とされる。屯倉となっており、阿弭古が管理していた。稚日本根子彦大日日天皇（開化天皇）の時（書紀巻４）に、古事記は葛城の垂見宿禰の女（むすめ）、鸇（わし）比売を娶って生んだ子、建豊波豆羅和氣の王を、道守臣、忍海部の造、御名部造、稻羽の忍海部、丹波の竹野別、依網の阿毘古等之祖としている。大足彦忍代別天皇（景行天皇）の十八年の四月の条に（書紀巻７）、山部阿弭古が祖、小左（をひだり）を召し、冷き水を進らしむ、といふ記述があり、阿弭古は依網で山部として仕へていた葛城系の氏族とならう。
珍しい鳥が網にかかった。分からないので、酒君を召して問うてみると、倶知（鷹）といふ。隼は知られていたが、鷹は知られていなかった。鷹は訓練すれば、人に従うとの酒君の言葉に、天皇は酒君にその訓練を任せた。
韋はなめし皮のこと。緡は釣り糸、縄のこと。韋で作った紐を足に付け、尾に小鈴に付け腕にすえて、天皇に献上した。百済では鷹狩りの風習があり、それを導入したのが百済の王族の酒君であった。百舌鳥野で試してみると、数十の雉を獲、鷹甘部を定めたといふ。
百舌鳥野（堺観光コンベンション協会）は和泉国の大鳥郡の地、大阪府堺市の百舌鳥町から浜寺石津町にかけての地域、と注される。酒君と阿弭古の子孫が鷹甘部を構成したのであらう。甘は詩、斉風、鶏鳴（けいめい）に、「子（し）と夢を同（とも）にすることを甘（たのし）まん、は酣楽（かんらく）の意（字統）」とある。鷹甘は鷹遊びとならうか。職員令の兵部省の被官に主鷹司があり、鷹戸が付属し、令集解によれば、大和、河内、摂津に鷹養戸十七戸があった、と注される。鷹甘邑は、摂津志に、「住吉郡鷹飼部第宅古蹟は鷹合村に在り（今、大阪市東住吉区鷹合町（地図））又、鷹甘部の墓有りて、今、平塚と称す」と注される。鷹甘の風習が百済からもたらされ、鷹甘部が設置されたといふことからすれば、百済の王族である酒君が来朝したといふ話を否定するのはどうも馴染まない。鷹狩りができる身分同士でなくば、この話は成立しないであらう。
五十年春三月壬辰朔丙申 河内人奏言 於茨田堤鴈産之 卽日 遣使令視 曰 旣實也 天皇 於是 歌以問武内宿禰曰 多莽耆破屢 宇知能阿曾 儺虚曾破 豫能等保臂等 儺虚曾波 區珥能那餓臂等 阿耆豆辭莽 揶莽等能區珥々 箇利古武等 儺波企箇輸揶 武内宿禰答歌曰 夜輸瀰始之 和我於朋枳瀰波 于陪儺于陪儺 和例烏斗波輸儺 阿企菟辭摩 揶莽等能倶珥々 箇利古武等 和例破枳箇儒
五十年の春三月（やよひ）の壬辰（みづのえたつ）の朔（ついたち）丙申（ひのえさるのひ）（AD362.03.05）に、河内（かふちのくに）の人、奏（まう）して言（まう）さく、「茨田堤（まむたのつつみ）に、鴈（かり）産（こう）めり」とまうす。即日（そのひ）に、使（つかひ）を遣（つか）はして視（み）しむ。曰（まう）さく、「既に実（まこと）なり」とまうす。天皇（すめらみこと）、是（ここ）に、歌（みうたよみ）して武内宿禰（たけしうちのすくね）に問ひて曰（のたま）はｌく、
多莽耆破屢（たまきはる） 宇知能阿曾（うちのあそ） 儺虚曾破（なこそは） 豫能等保臂等（よのとほひと） 儺虚曾波（なこそは） 區珥能那餓臂等（くにのながひと） 阿耆豆辭莽（あきづしま） 揶莽等能區珥々（やまとのくにに） 箇利古武等（かりこむと） 儺波企箇輸揶（なはきかすや）
たまきはる 内（うち）の朝臣（あそ） 汝（な）こそは 国（くに）の長人（ながひと） 秋津嶋（あきづしま） 倭（やまと）の国（くに）に 雁産（かりこ）むと 汝（な）は聞（き）かすや
武内宿禰、答歌（かへしうた）して曰（まう）さく、
夜輸瀰始之（やすみしし） 和我於朋枳瀰波（わがおほきみは） 于陪儺于陪儺（うべなうべば） 和例烏斗波輸儺（われをとはすな） 阿企菟辭摩（あきづしま） 揶莽等能倶珥々（やまとのくにに） 箇利古武等（かりこむと） 和例破枳箇儒（われはきかず）
やすみしし 我（わ）が大君（おほきみ）は 宜（うべ）な宜（うべ）な 我（われ）を問（と）はすな 秋津嶋（あきづしま） 倭（やまと）の国（くに）に 雁産（かりこ）むと 我（われ）は聞（き）かず
古事記に曰く、「また一時（あるとき）、天皇、豊樂（とよのあかり）したまはむとして、日女（ひめ）島に幸行（い）でましし時、その島に、雁（かり）卵（こ）生みき。 ここに建内（の）宿禰（の）命を召して、歌をもちて雁の卵（こ）生みし状（さま）を問ひたましく、
たまきはる 内（うち）の朝臣（あそ） 汝（な）こそは 世（よ）の長人（ながひと） そらみつ 倭（やまと）の國に 雁（かり）卵（こ）生（む）と聞くや
とのりたまひき。ここに建内（に）宿禰、歌をもちて語りて白ししく、
高光る 日の御子 諾（うべ）しこそ 問ひ給へ まこそに 問ひ給へ 吾（あれ）こそは 世の長人 そらみつ 倭の國に 雁（かり）卵（こ）生（む）と 未（いま）だ聞かず
とまをしき。かく白して、御琴を給はりて歌ひけらく、
汝（な）が御子や 遂（つひ）に知らむと 雁は卵生（こむ）らし
とうたひき。こは本岐（ほき）歌の片（かた）歌なり（岩波文庫）。」
茨田堤は十一年冬十月（書紀巻11）にある河内国茨田郡茨田郷の堤。どうしたことか、築くと壊れ、河伯に武藏人強頸を人柱にすれば塞がると天皇の夢にお告げがあり、呼び出された強頸は、泣き悲み、水に沒して塞がったとされる。鴈は雁に同じ。冬の渡り鳥、東北、北海道、日本海側等の寒冷地に越冬する。繁殖期は、5-7月。海岸線が上昇しているこの時代は温暖化の時代であり、雁がこの地に飛来していることも、冬十月に産卵孵化しているといふのも異様な出来事となる。
武内宿禰は、大足彦忍代別天皇（景行天皇）三年（ＡＤ73年）に屋主忍男武雄心命が紀伊国に派遣され、阿備の柏原に九年居て、紀直が遠祖、菟道彦の女（むすめ）、影媛を娶りて生んだ子であり、280歳にならうかといふ超絶老臣であり、当世の物知りとして右にでる者はいなかった。天皇は、武内宿禰を召して問うた。”たまきはる”は、タマが玉、魂、キハルが刻む、極まるの意、内にかかる枕詞とされるが、これでは命が尽きるイメージで、この句とは合致しない。ここでは長寿の瑞称であり、魂気遙（は）る、内にかかるとすれば、魂氣墾（は）る、でありたいが、語源未詳。
汝のごとき長寿の者なら、この国で雁が子を産んだといふ話を知っていやう、と。”やすみしし”は八隅知之（八方を治める）、安見知之（安らけく見そなはし治める）とされ、大君にかかる枕詞。”うべ”は肯定の意味、もっともなこと。我が大君、よくぞ私にお尋ねいただきましたが、我が国においては聞いたことはございません、と返ってきた。不遇な死をした、強頸の生まれ変わりかと思うむきもあらうか、なんのことか意味不明である。
古事記の方が意味が通る。日女島は大阪府三島郡と注される。磐余彦尊（神武天皇）の正妃は、事代主神と三嶋溝耳神（みしまのみぞくひみみのかみ）之女（むすめ）、玉櫛媛（たまくしひめ）に共して生む所の兒、媛蹈五十鈴媛命（ひめたたらいすずひめのみこと）であった（書紀巻３）。三嶋は溝咋一族の地であり、葛城の鴨族が進出してきた所、溝咋神社（地図）の置かれている茨木市五十鈴町あたりとされる。白肩（枚方）の津とされ、淀川と並走している安威川も、当時は、淀川と合流し、島状の中洲の一つが日女島（姫島神社の地「大阪市西淀川区姫島町」とする説があるやうだが当時は海中にあたる）と称されたのであらう。難波、宇治、山背、近江の淀川水系の要の地の一つが三島であった。それは、まさに茨田堤の対岸であった。大鷦鷯天皇（仁德天皇）はその地で宴会をしやうとして行幸された。ところが雁が卵を生んでいたといふ。”ひめ”に”たまご”とはまことにめでたい。そのやうなことがあるのかと、建内宿禰に問ふと、聞いたこともない、とここまではよく似た進行である。
古事記においては、これは瑞祥である。建内宿禰が琴を給はり、とは神託を告げるやうなスタイルをとっている。汝、御子や（大鷦鷯天皇）、”つひに”は最後に、”しる”は統べること、汝がつひに統治をすることとなったので、雁が卵を生むといふ吉祥があらわれた、と大鷦鷯尊が皇位を継いだことの正当性を寿いだ。聖人による太平の治世には、鳳凰や麒麟が現れるといふ中国の故事に倣った。これを”ほき”歌、寿（ことほ）ぐ歌の片歌といふ。大鷦鷯天皇を仁徳天皇とする所以のひとつである。
書紀の編者達は、仁徳たる所以は即位の時点で（書紀巻１１）すでに述べており、雁が子を生むを鳳凰や麒麟と同一視することは、国書としては、流石に、憚られたとみえ、単に珍しい話として残したのであらう。
五十三年 新羅不朝貢
夏五月 遣上毛野君祖竹葉瀬 令問其闕貢 是道路之間獲白鹿 乃還之獻于天皇 更改日而行 俄且重遣竹葉瀨之弟田道 則詔之曰 若新羅距者 擧兵撃之 仍授精兵 新羅起兵而距之 爰新羅人 日々挑戰 田道固塞而不出 時新羅軍卒一人 有放于營外 則掠俘之 因問消息 對曰 有強力者 曰百衝 輕捷猛幹 毎爲軍右前鋒 故伺之撃左則敗也 時新羅空左備右 於是 田道連精騎撃其左 新羅軍潰之 因縱兵乘之 殺數百人 即虜四邑之人民以歸焉
五十三年（AD365）に、新羅（しらき）、朝貢（みつきたてまつ）らず。
夏五月（さつき）に、上毛野君（かみつけのきみ）の祖（おや）竹葉瀬（たかはせ）を遣して、其の闕貢（みつきたてまつらぬこと）を問はしめたまふ。是の道路（みち）の間（あひだ）に白鹿（しろきか）を獲（え）つ。乃ち還りて天皇に献る。更に日を改めて行く。俄（しばらく）ありて、且（また）重（かさ）ねて竹葉瀬が弟（おとと）田道（たぢ）を遣（つかは）す。則ち詔（みことのり）して曰（のたま）はく、「若（も）し新羅距（ふせ）かば、兵（いくさ）を挙げて撃て」とのたまふ。仍りて精兵（すぐれるいくさ）を授（さづ）く。新羅、兵を起（おこ）して距（ふせ）く。爰に新羅人（しらきひと）、日々に戦（たたかひ）を挑（いど）む。田道、塞（そこ）を固めて出でず。時に新羅の軍卒（いくさびと）一人、営（いほり）の外（と）に放（い）でたること有り。則ち掠俘（とら）ふ。因りて消息（あるかたち）を問ふ。対（こた）へて曰（まう）す、「強力者（ちからひと）有り。百衝（ももつき）と曰（い）ふ。軽（かろ）く捷（と）くして猛（たけ）く幹（つよ）し。毎（つね）に軍（いくさ）の右（みぎのかた）の前鋒（さき）たり。故（かれ）、伺（うかが）ひて左（ひだりのかた）を撃たば敗（やぶ）れなむ」とまうす。時に新羅、左を空けて右に備ふ。是に、田道、精騎（すぐれるうまいくさ）を連（つら）ねて其の左を撃つ。新羅の軍、潰（にげあか）れぬ。因りて兵（いくさ）を縱（はな）ちて乗（も）みて、数百人（ももあまりのひと）を殺しつ。即ち四（よつ）の邑（むら）の人民（たみ）を虜（とら）へて、以（ゐ）て帰（かへ）りぬ。
上毛野氏の伝承から取材されたものであらう、と注される。上毛野氏は、御間城入彦五十瓊殖天皇（崇神天皇）と紀伊国の荒河戸畔の女（むすめ）、遠津年魚眼眼妙媛との皇子、豊城入彦命から出たとされる（書紀巻５）。狹穗彦を撃ったその子、八綱田（やつなだ）が上毛野君の遠祖（書紀巻6）。その子、彦狹嶋王は大足彦忍代別天皇（景行天皇）により、東山道の十五国の都督に任命され（書紀巻7）たが、春日の穴咋邑で病死して上野国に葬られた（書紀巻7）。父の代わりに東国を領めたのがその子、御諸別王、「則ち行きて治めて、早に善き政を得つ。時に、蝦夷騷ぎ動む。即ち兵を擧げて撃つ。時に蝦夷の首帥、足振邊・大羽振邊・遠津闇男邊等、叩頭みて来り。頓首みて罪を受ひて、盡に其の地を獻る。因りて、降ふ者を免して、服はざるを誅ふ。是を以て、東、久しく事無し。是に由りて、其の子孫、今に東国に有り（書紀巻7）」とあり、その子、荒田別は、気長足姫尊（神功皇后）の四十九年に、「荒田別、鹿我別を以て将軍とす。則ち久氐等と共に兵を勒へて度りて、卓淳国に至りて、將に新羅を襲はむとす（書紀巻9）」、応神紀に、「時に上毛野君祖荒田別、巫別を百済に遣し、仍りて王仁を徴（め）す」とあった（書紀巻10）。その子が竹葉瀬（上毛野）と田道（下毛野）になる。上毛野氏は、同じく紀伊国の出である武内宿禰一族とともに半島進出の武門であった。
朝貢しないので、その理由を問はしめて、答へ次第では兵を使ふやう詔を受けた。精兵を授かったが、新羅が日々戦いを挑み、防戦が精一杯であった。時に新羅の軍卒を捕らへ、軍情を問ふと、右翼に常に百衝（ももつき）といふ俊敏な猛者が居り、左翼を撃てば勝てるといふことであった。その策によって、数百人を殺し、四邑の民を捕虜として連れ帰ったとある。朝貢しなければ、人を連れ帰る、といふ方針であったやうだ。
新羅本紀第三・第十七代 奈勿 尼師今（在位 ＡＤ356-402）の九年（AD364）に 、「夏四月、倭兵大きに至 る。王、之を聞きて、恐れ敵とすべからず。 草の偶人數千を造り、衣を衣せ兵（器）を持たせ、吐含（とがん）山の下に列べて立てる。勇士一千を斧峴（ふけん：未詳）の東の原に伏せる。倭人、衆を恃みて直進す。伏せ發（弓をはな）ち其の不意を撃つ。倭人、大きに敗走し、追撃して之を殺し幾（ほと）んど盡（つ）きぬ（国会図書館20/259）」とあった。日本（やまと）が結構多勢の軍をもって、新羅に攻め込んでいたことは確認できやう。
五十五年 蝦夷叛之 遣田道令撃 則爲蝦夷所敗 以死于伊峙水門 時有從者 取得田道之手纒與其妻 乃抱手纒而縊死 時人聞之流涕矣 是後 蝦夷亦襲之略人民 因以 掘田道墓 則有大蛇 發瞋目自墓出以咋 蝦夷悉被蛇毒 而多死亡 唯一二人得免耳 故時人云 田道雖既亡 遂報讎 何死人之無知耶
五十五年（AD367）に、蝦夷（えみし）、叛（そむ）けり。田道（たぢ）を遣して撃たしむ。則ち蝦夷の爲（ため）に敗られて、伊峙（いし）の水門（みと）に死（みう）せぬ。時に從者（つかひびと）有りて、田道の手纒（たまき）を取り得て、其の妻（め）に与（あた）ふ。乃ち手纒を抱きて縊（わな）き死ぬ。時人（ときのひと）、聞きて流涕（かな）しぶ。是（こ）の後に、蝦夷（えみし）、亦襲（おそ）ひて人民（おほみたから）を略（かす）む。因りて、田道が墓を掘る。則ち大蛇（おろち）有りて、目を発瞋（いから）して墓より出でて咋（く）ふ。蝦夷、悉（ことごとく）に蛇（おろち）の毒（あしきいき）を被（かうぶ）りて、多（さは）に死亡（し）ぬ。唯（ただ）一二人（ひとりふたりのひと）免（まぬか）るること得つらくのみ。故（かれ）、時人云はく、「田道、既に亡（し）にたりと雖も、遂に讎（あた）を報（むく）ゆ。何（なに）ぞ死にたる人の知無（さとりな）からむや」といふ。
蝦夷を偵察したのが武内宿禰、討伐したのが日本武尊、それに大足彦忍代別天皇（景行天皇）が従はせたのが、吉備武彦と大伴武日連であった。日本武尊亡き後、蝦夷の騒乱を鎮めたのが御諸別王、毛野氏が東国で根を張ることとなった。この度の叛乱には田道が起用されたが、伊峙の水門で討ち死にしたといふ。伊峙の水門は上総国夷隅郡（夷隅港：現 勝浦港：地図）、陸奥国牡鹿郡石巻（現 石巻港：地図）、常陸国茨城郡夷針郷（東茨城郡茨城町大戸：地図）の三説がある。日本武尊は航路で、房総半島を回り、葦浦（鴨川市吉浦：地図）、玉浦（九十九里浜：地図）に立ち寄り竹水門に向かった（書紀巻7）。葦浦、玉浦にあたる地が上総夷隅郡夷隅港（勝浦港）となる。蝦夷の賊首、嶋津神、国津神等が結集していた竹水門も、多賀城（地図）、常陸国の多珂郡（常陸国（北部）多珂郡の歴史）、陸奥国行方郡多珂郷（千年村プロジェクト）の三説があったが、陸奥国牡鹿郡石巻（石巻港）は陸奥国行方郡多珂郷、多賀城より更に奥地となり、常陸国茨城郡夷針郷ならば常陸国の多珂郡に近い。いづれも交易上での要所である。
新羅との戦いでは慎重さと、果敢さを示した田道の死の記述はあまりにそっけない。悲惨、無念、語るに憚られた。從者が田道の手纒（たまき：手にまく玉）をその妻に渡すと、妻は、その手纒を抱き締め、それで首を吊って死んでしまった。田道の手纒を持ち帰るのが精一杯で、遺体を収容することもできなかったのであらう。妻はその魂を慰めるために自らの命を絶ち、夫の魂に寄り添った。その話を聴いた人々は、あまりのことに涙を禁じえなかった。毛野氏の総帥竹葉瀬の弟であり、現地とはいえ篤く葬られたのであらう、蝦夷は勢いを盛り返すと、再びその地を襲い、人々を連れ去り、田道の墓を掘り、副葬品を持ち去らうとでもしたのであらうか。そこには大蛇がおり、瞋、目を怒りで見開き、墓を出て、咋、かみくらう。その毒にあたり多くの者が死に、一人か二人がやっとのことで逃げ戻ることができたにすぎなかったといふ。時の人の云く、「田道は、死んでも敵（あた）を討つ、どうして死人が無知なものか」と。
「青森県南津軽郡尾上町猿賀の猿賀神社の社伝によれば、その２百年後に洪水があった時、白馬に跨った田道が流木を舟にして当地に流れ着いたとのこと。さらに２百余年後に坂上田村麻呂が征夷大将軍として蝦夷征伐で苦戦に陥った時に、田道の神霊が現れ大勝に導いたので、此の地に祠を造って祀った。それを桓武天皇の奏上し、勅許により大同２年(807年)奥州猿賀深砂(しんしゃ)(神蛇)大権現として勧請した。（瓶塚：姉崎郷土資料館）」
五十八年夏五月 當荒陵松林之南道 忽生兩歴木 挾路而末合
冬十月 呉國 高麗國 並朝貢
五十八年の夏五月（さつき）（AD370.05）に、荒陵（あらはか）の松林の南の道に當りて、忽（たちまち）に兩（ふたつの）の歴木（くぬぎ）生ひたり。路を挾みて末は合へり。
冬十月（かむなづき）に、呉国（くれのくに）、高麗国（こまのくに）、並びに朝貢（みつきたてまつ）る。
推古元年是歳条に、「造四天王寺於難波荒陵」、同寺の御手印縁起に荒陵郷が見え、和名抄の摂津国西成郡安良郷はこれに当たるといふ。大阪市四天王寺（地図）の西南の茶磨山とする説がある、と注される。荒陵を”あらはか”荒れた墓、古墳とみるやうであるが、荒は、爾雅に、「果の熟せざるを荒と為す」とあり、耕地に向かず、生色なく無秩序な状態、辺鄙なこと、陵は神霊の降下を迎えて祀るところ、その地は山の平坦に近づくところで、そこに陵墓を営むことが多い（字統）とある。松林であり、当時は街外れの山道。道の両側に歴木が生え、みるみる大きくなり、枝が重なり有った。
新羅本紀第三・第十七代 奈勿 尼師今、七年（ＡＤ362）夏四月に、「始祖廟庭樹連理（始祖廟の庭にある二本の木の枝が一つに連ねた。国会図書館20/259）」とある。中国では連理の木は、分かれていたものが統一される瑞祥とされる。新羅本紀では、三年の春二月に、「親祀始祖廟 紫雲盤旋廟上 神雀集於廟庭（王自ら始祖廟を祭ると、紫色の雲が廟上に丸く立ちこめ、神雀が始祖廟の庭に集まって来た。国会図書館20/259）」ともあり、中国風の政治が行はれていたと記述されている。日本（やまと）では、荒陵の松林に於いてもさやうな瑞祥はみられる、とでもならうが、唐突ではあるが、やはり、後の四天王寺につながるものとして、ここに言及されたのであらう。
呉国、高麗国、並びに朝貢る、はあり得まい、何らかの往来はあった。
六十年冬十月 差白鳥陵守等充役丁 時天皇親臨役所 爰陵守目杵 忽化白鹿以走 於是 天皇詔之曰 是陵自本空 故欲除其陵守 而甫差役丁 今視是怪者 甚懼之 無動陵守者 則且 授土師連等
六十年の冬十月（かむなづき）（AD372.10）に、白鳥陵守等（しろとりのみさざきもりども）を差（さ）して役丁（えよほろ）に充（あ）てつ。時に天皇、親（みづか）ら役（えだち）の所に臨みたまふ。爰（ここ）に陵守（みさざきもり）目杵（めき）、忽に白鹿（しろきか）に化（な）りて走（に）ぐ。是に、天皇、詔して曰はく、「是（こ）の陵、本（もと）より空（むな）し。故（かれ）、其の陵守を除（や）めむと欲（おもほ）して、甫（はじ）めて役丁に差せり。今是の怪者（しるまし）を視るに、甚（はなは）だ懼（かしこ）し。陵守をな動しそ」とのたまふ。則ち且（また）、土師連等（はじのむらじら）に授（さづ）く。
差（さ）すとは、指名する、それと定めること。役（え：えだちに同じ）丁（よぼろ：21歳～60歳までの男）、役丁（えよほろ）は賦役にかりだされる男。白鳥陵守は日本武尊の墓守のこと。日本武尊は伊勢国の能褒野陵に葬られたが、明衣のみあって骨がなかった、つまり、生き返り、白鳥となり、倭の琴彈原、河内旧市邑を経て、天に返り、神となられた、と記されている（書紀巻７） 。
この時代となって、守るべきものが無いとして天皇が、陵守の任を解き、賦役に駆り出した。目杵は陵守の名であるが、平定されない葦原中国を「彼の地（くに）未だ平（さや）がず。須也（いな）頗傾（かぶ）さぬ（神威に服さない）凶目杵（しこめき：凶悪な目と牙の）国か（書紀巻２、一書）」と評しており、目つきの鋭く、牙をむくやうな屈強の土地の神を連想させる。その目杵が白鹿となって逃れた。怪者を”しるまし”と訓じている、不吉な前兆に限って用ゐられる。日本武尊が信濃に入られたとき、「山の神、王を苦びしめむとして、白き鹿と化りて王の前に立つ。（書紀巻７）」とあった。その山の神は「頗（すこぶる）未だ化に從はず。（書紀巻７）」とあり、服従しない国神を意味しており、天皇は”おそれおほい”こととして、陵守を廃することを取りやめられた。
日本武尊の霊力はいまだ目杵を従へておられ、平安を護持しておられた。天皇はこの任の重さを悟り、土師氏に授けられた。陵守は後の令制の綾戸にあたり、土師宿禰が諸陵司の土部に任じ、綾戸が諸陵司のもとにおかれることになる、土師氏が葬事を司る、と注され、この縁起を示したものであらう。
大鷦鷯天皇（仁德天皇）は気長足姫尊（神功皇后）、誉田天皇（応神天皇）と日本武尊の子孫を討ち、政権に就いた系譜であった。その白鳥陵から陵守を廃そうとしたが、改めてその霊力を知らされた、といふことかもしれない。
六十二年夏五月 遠江國司表上言 有大樹 自大井河流之 停于河曲 其大十圍 本壹以末兩 時遣倭直吾子籠令造船 而自南海運之 將來于難波津 以充御船也
是歲 額田大中彥皇子 獵于闘鷄 時皇子自山上望之 瞻野中有物 其形如廬 仍遣使者令視 還來之曰 窟也 因喚（めす）闘鷄稻置大山主 問之曰 有其野中者何 窨鯽矣 啓之曰 氷室也 皇子曰 其藏如何 亦奚用焉 曰 掘土丈餘 以草蓋其上 敦敷茅荻 取氷以置其上 旣經夏月而不泮 其用之 卽當熱月 漬水酒以用也 皇子則將來其氷 獻于御所 天皇歡之 自是以後 毎當季冬 必藏氷 至于春分 始散氷也
六十二年の夏五月（さつき）（AD374.05）に 遠江（とほつあふみの）国司（くにのみこともち）、表上言（まう）さく、「大（おほ）きなる樹有（きあ）りて、大井河（おほゐがは）より流れて、河曲（かはくま）り停（とどま）れり。其の大きさ十囲（とうだき）。本は壱（ひとつ）にして末は両（またまた）なり」とまうす。時に、倭直（やまとのあたひ）吾子籠（あごこ）を遣（つかは）して船に造らしむ。而して南海（みなみのみち）より運（めぐら）して、難波津（なにはのつ）に将（ゐ）て来（きた）りて、御船（みふね）に充（あ）てつ。
是歳（ことし）、額田大中彦皇子（ぬかたのおほなかつひこのみこ）、闘鷄（つけ）に猟（かり）したまふ。時に皇子（みこ）、山の上より望（おせ）りて、野の中を瞻（み）たまふに、物有り。其の形廬（いほ）の如（ごと）し。仍（すなは）ち使者（つかひ）を遣（つかは）して視（み）しむ。還（かへ）り来（まうき）て曰（まう）さく、「窟（むろ）なり」とまうす。因（よ）りて闘鷄稻置（つけのいなき）大山主（おほやまぬし）を喚（め）して、問ひて曰（のたま）はく、「其（か）の野の中に有るは、何の窨（むろ）ぞ」とのたまふ。啓（まう）して曰（まう）さく、「氷室（ひむろ）なり」とまうす。皇子の曰（のたま）はく、「其（そ）の蔵（をさ）めたるさま如何に。亦奚（なに）にか用（つか）ふ」とのたまふ。曰さく、「土を掘ること丈余（ひとつゑあまり）。草（かや）を以て其の上に蓋（ふ）く。敦（あつ）く茅荻（ちすすき）を敷きて、氷（こほり）を取りて其の上に置く。既に夏月（なつ）を経（ふ）るに泮（き）えず。其の用（つか）ふこと、即（すなは）ち熱き月に当りて、水酒に漬（ひた）して用ふ」とまうす。皇子、則ち其の氷を将（も）て来（きた）りて、御所（すめらみこと）に献（たてまつ）る。天皇（すめらみこと）、歓（よろこ）びたまふ。是（これ）より以後（のち）、季冬（しはす）に当る毎（ごと）に、必ず氷を蔵（をさ）む。春分（きさらぎ）に至りて、始めて氷を散（くば）る。
国司の初見、遠江も国司も令制による知識、大井河は大井川、圍は厩牧令に、「周三尺為圍」と注される。大宝律令の小尺が約29.6cmであり、周囲3m、直径1m弱の大木。途中から二股となっていた。二股のまま都合よく、舟に造ることができた。大井川は流木の多いことで知られるが、かほどの大木が五月に流木となるとは、ただならぬ豪雨と土砂崩れ、地震でもあったものか？
吾子籠は、倭直が祖麻呂の弟、倭の屯田及び屯倉を額田大中彦皇子が、屯田司（みたのつかさ）出雲臣（いづものおみ）が祖（おや）淤宇宿禰（おうのすくね）に代はりて掌握しやうとしたとき（書紀巻１１）、その経緯を知る者として、韓国から呼び戻され、それが非なることを額田大中彦皇子に告げた人物として登場した。誉田天皇（応神天皇）の五年（書紀巻10）に伊豆国で長さ十丈（約30m）の枯野（輕野）と称される船を造らせたとあった。狩野川流域の楠の木で造船され、難波へ回航され、応神天皇が朝夕使う清水を汲む業務に就いたされており、流木も楠の木であったかもしれない。両枝船は後に、「天皇、両枝船を磐余市の磯池に泛（うか）べて、皇妃と各分れて乗りて遊宴す（履中天皇三年）」とあり、さういふ目的で難波まで運ばれたのかもしれない。
闘鷄（つけ）は和名抄に、大和国山辺郡都介郷（奈良市都祁小山戸：地図）とあり、都祁（つげ）山口神社（延喜式神社の調査）の地、伊賀へと向かう要地にあたる。雄略天皇七年(463年）八月条に闘鶏の話が記されている。吉備の下道臣前津屋が小雄鶏を天皇の鶏、大雄鶏を自分の鶏として闘はせ、小雄鶏が勝つとこれを殺したといふことで、謀反の疑いありとして殺される。中国では、周の宣王が闘鶏を行った（列子、黄帝篇）とあり、春秋時代には、闘鷄が権勢をあらわすものとされ、前津屋の権勢をあらはしている。闘鷄といふ地名は、闘鷄の鷄を飼育したことに因るものと思はれるが、”つけ”、”つげ”と訓は不明である。黄楊（つげ）の櫛で占いを”つげ”る、鷄は時を”つげ”る、の”つげ”とするむきもある。周礼においては、鷄は、「啓明を告げる鳥」、説文に、「時を知る畜なり」、玉篇に、「晨（あした）を司る鳥なり」とされ、時計の無い時代には、時を告げる機能は為政者に比されるほど重要であった。允恭天皇二年（413年）二月条によれば、允恭天皇皇后の忍坂大中姫命がまだ皇后でなかった時、闘鶏国造であった大山主からぞんざいな口を聞かれたといふ。羽振りがよかったのであらう。この姫が皇后となられ、昔の無礼をとがめ死罪のところを、姓を貶して稻置としたとされる。
廬（いほり）は、説文に、「寄（かりや）なり、秋冬には去り、春夏には居る」、農耕の時期にだけ寄宿する田中の廬舎（字統）。猟場に廬があるといふのはおかしいので、視にやらせると、窟であるといふ。屈は獣が尾を屈曲する形で、その棲むところを窟といふ。古くは洞穴人のやうに人が住み、物を集積するところとし、また墓窟にも用いた（字統）。
窨は、地下の穴倉、穴倉の貯蔵すること。１丈は１０尺で約3m。土をそのくらい堀り草でその上を蓋（おお）ふ（遮熱）。茅荻を厚く敷いてその上に氷を置く（排水）、といふことであらうが、川村和正氏の「都祁氷室に関する一考察」、龍谷大学考古学論集」によれば、「奈良盆地とは比高差約４００m、温度差も約３～５度あり、冬季の氷作りの適地」であり、都祁村の西隣の福住町では、「花崗岩の風化したマサといふ掘り易く水はけの良い土壌」であり、「氷室跡･氷池跡が近接」しており、「東西約４kmの範囲に確認できた氷室状大型穴は２０数基」あり、「布目川支流の水源地や分水嶺付近の水田を臨む丘陵地帯に分布する」とされる。都祁村でも発見されるやうになり、上部径が5～10m、「深さが2.6mくらいの摺鉢状土坑」で、３～４基がひとまとまりとなり、「覆屋の柱穴とみられるピット」があり、「底部にもう一段直径約0.9m、深さ約0.4mのビット」が設けられ排水が工夫されているやうである。その時期については、「都祁に氷室が設営された年代が仁徳朝に遡ることは史実と思えないが、『紀』に採録されたことから、『紀』編纂時に闘鶏氷室に関する伝承が存在したことは否定できない。また、その背景として、８世紀前後の主水司所管の主要氷室は、都祁氷室であった可能性が高く、７世紀末～８世紀初頭の都祁郷に氷室が設けられていたとしても矛盾しない」とみておられる。
泮は分かつこと、広雅、釈古には「棄てる」とされ、呂氏春秋、論威に、「木を以て木を撃つときは即ち拌（さ）く」とあり、たたき割ることが原義（字統）。不泮を”きえず”と訓じている。
古事記の「応神天皇」に、「秦の造(みやつこ)の祖(おや)漢直(あやのあたへ)の祖、また酒を醸(か)むことを知れる人、名は仁穂(にほ)、亦の名は須須許理(すすこり)ら、参(まゐ)渡り来つ。かれ須須許理、大御酒(みき)を醸みて献りき。ここに天皇、この献れる大御酒(みき)にうらげて、御歌よみしたまはく、
須須許理(すすこり)が 醸(か)みし御酒(みき)に われ酔(ゑ)ひにけり 事和酒咲酒(ことなぐしゑぐし) われ酔ひにけり（やまとうた）」
とあり、この醸(か)み酒には麹が用ひられているとされる。雲南の徳宏チンポ族は、「米を蒸して冷めてから麹を加えて混ぜでバナナの葉で包んで発酵させ、酒の味がすると、土甕に移し、十数日保存し、出来あがったら冷め水を加えて飲み（雲南の徳宏チンポ族の水酒）」、水酒とする。アルコール度は清酒の三分の一程度、甘酸っぱいヨーグルトのやうな飲み物、そこに氷を入れており、口ざわりが爽やかになったものと思はれる。「天皇、歓びたまふ」、とあり、額田大中彦皇子の株は大幅に上昇したことであらう。
六十五年 飛騨國有一人 曰宿儺 其爲人 壹體有兩面 面各相背 頂合無項 各有手足 其有膝而無膕踵 力多以輕捷 左右佩劔 四手並用弓矢 是以 不隨皇命 掠略人民爲樂 於是 遣和珥臣祖難波根子武振熊而誅之
六十五年（AD377）に、飛騨国（ひだのくに）に一人（ひとりのひと）有り。宿儺（すくな）と曰ふ。其（そ）れ爲人（ひととなり）、体（むくろ）を壱（ひとつ）にして両（ふたつ）の面（かほ）有り。面、各（おのおの）相背（あひそむく）けり。頂（いただき）合（あ）ひて項（うなじ）無し。各手足有り。其れ膝（ひざ）有りて、膕踵（よほろくびす）無し。力多（さは）にして軽（かろ）く捷（と）し、左右（ひだりみぎ）に剣（つるぎ）を佩（は）きて、四（よつ）の手に並（ならび）に弓矢を用（つか）ふ。是（ここ）を以て、皇命（みこと）に隨（したが）はず。人民（おほみたから）を掠略（かす）みて楽（たのしび）とす。是に、和珥臣（わにのおみ）の祖（おや）、難波根子武振熊（なにはのねこたけふるくま）を遣（つかは）はして誅（ころ）さしむ。
日本武尊が蝦夷、東国を征したとき、従はなかったところ、信濃国・越国が残り、吉備武彦を越に遣し、自らは信濃に向はれ、山の神が白鹿となって王を苦しめんとしたことは既にみた（書紀巻7）。日本武尊は、この時に、飛騨から美濃へと出、膽吹（伊吹）山では大蛇となった山の神に苦しめられ、結局命を落とされた（書紀巻7）。これらの地域は、大国主命が国譲りを迫られた後も従はなかった国神の治める地であった。飛騨もそうであり、宿儺といふ人間離れした力を持つ怪人の治める国、ご当地においては、大変な力を持つ神と崇敬されていた。
大国主命の子、建御名方命は国譲りに反対し、「武甕槌命との力競べに敗れて信濃の諏訪湖まで逃れ、武甕槌命のために死を与えられやうとした時、諏訪以外には出遊しないこと、兄、大国主命の意志に背かないことを約して許され給うた。その後、諏訪に定住して開拓を始めたり、害獣を退治したり、農耕・養蚕の業を広めたりされたので、「お諏訪さま」と呼ばれ、耕作の神・五穀豊穣の神としてだけでなく、狩猟の神、また武神としても崇敬を集めた（神社データベース - 神羅）」とあり、この伝統を飛騨で引き継ぐ者とならう。「当村（丹生川町）の千光寺や飛騨金山鎮守山・美濃国武儀日龍峰寺・同肥田瀬暁堂寺では『飛騨国蜂賀の岩窟より宿儺出現』と伝えられております。丹生川町・日面地区の伝承では出羽が平(現在の飛騨大鍾乳洞近辺)の岩窟より宿儺は出現したとなっています。宿儺の姿は異形にして、身の丈一丈・躯は一つにして両面・四手四足と伝わっていますが、人並み外れた技と武勇の比喩とも思われます。宿儺は飛騨・美濃の各地に残された恩顧の伝説から、神祭りの司祭者として飛騨から美濃に及ぶ地域を統率し、農耕の指導者としても偉業を成しました。この地の人々は宿儺さまと呼んで崇拝しました。・・・後になって円空上人は、笑みを浮かべた顔と怒っている顔との二つの顔を並べた両面宿儺像を作り、千光寺に残しました。（両面宿儺(りょうめんすくな)の伝説）」といふ。また、”すくな”は少名に通じ、大国主命の葦原中国平定を助け、常世郷に去った少彦名命と関連づけるなど、両面宿儺をめぐる珍説・奇説があるが、「大和朝廷と戦った現地の英雄が、伝説の中で超人化した、といふあたりで話を落ち着けるのが分別（両面宿儺伝説をめぐる奇想）」とされている。
膕は”ひかがみ”、膝の裏のくぼんだところ、踵は”かかと”、膝はあるが、膕踵なし、つまり、鳥のごとき足であり、軽く、捷（はや）く動いて力強いといふが、翼なくしてその足では無理ではなからうか？抱朴子、巻十七、登渉に、「山に入るときには、径九寸以上の鏡を背中にかければよい。近づく物があれば、鏡の中を見よ。人間の姿なら仙人か良き神、邪鬼なら鳥獣の本体が映る。老いた魅（すだま）は踵がない。（平凡社、本田済訳）」とある。宿儺は土地の神ではなく、魅であるとしたかった。
難波根子武振熊が武内宿禰に加わったことにより、武内宿禰は忍熊王を討つことができた（書紀巻9）。ここで、この手強い相手に対して切り札として用ひられたとならう。飛騨一宮水無神社略誌に、「神代の昔より表裏日本の分水嶺位山に鎮座せられ、神通川、飛騨川の水主、また水分の神と崇め農耕、殖産祖神、交通の守護（道祖神）として神威高く延喜式飛騨八社の首座たり。歴代朝廷の崇敬厚く、御即位、改元等の都度霊山位山の一位材を以って御用の笏を献上する。（延喜式神社の調査）」とあり、以降は朝廷への崇敬篤い地となった。磐余彦尊(神武天皇)が天香山の土で平瓮（ひらか）、嚴瓮（いつへ）を造り、丹生川上において祭りを行ひ、地祇である吉野の水神の支持を取り付けたことで、兄磯城を討つことができたごとく（書紀巻3）、この地の水神の祭祀権を治めることが重要であった。また、当地、丹生川町もその名のとおり、丹朱を産する地であり、これを押さえることも狙いの一つであったと思はれる。神通川を通じて越へ、飛騨川を通じて美濃へ、安房峠から松本経由で諏訪、あるひは、木曾から諏訪へと通じており、この地を平定した難波根子武振熊の功績は大なるものがあった。
六十七年冬十月庚辰朔甲申 幸河内石津原 以定陵地 ○丁酉 始築陵 是日 有鹿 忽起野中 走之入役民之中而仆死 時異其忽死 以探其痍 卽百舌鳥 自耳出之飛去 因視耳中 悉咋割剥 故號其處 曰百舌鳥耳原者 其是之綠也
是歲 於吉備中國川嶋河派 有大虬令苦人 時路人觸其處而行 必被其毒 以多死亡 於是 笠臣祖縣守 爲人勇捍而强力 臨派淵 以三全瓠投水曰 汝屢吐毒 令苦路人 余殺汝虬 汝沈是瓠 則余避之 不能沈者 仍斬汝身 時水虬化鹿 以引入瓠 瓠不沈 卽擧劔入水斬虬 更求虬之黨類 乃諸虬族 滿淵底之岫穴 悉斬之 河水變血 故號其水 曰縣守淵也 當此時 妖氣稍動 叛者一二始起 於是 天皇夙興夜寐 輕賦薄斂 以寛民萠 布德施惠 以振困窮 弔死問疾 以養孤孀 是以 政令流行 天下大平 廿餘年無事矣
六十七の年冬十月（かむなづき）の庚辰（かのえたつ）朔（ついたち）甲申（きのえさるのひ）（AD379.10.05）に、河内（かふち）の石津原（いしつのはら）に幸（いでま）して、陵地（みさざきのところ）を定めたまふ。○丁酉（ひのとのとりのひ）（AD379.10.18）に、始めて陵（みさざき）を築（つ）く。是（こ）の日に、鹿（か）有りて、忽（たちまち）に野の中より起（おこ）りて、走りて役民（えたみ）の中に入りて仆（たふ）れ死ぬ。時に其の忽に死ぬることを異（あやし）びて、其の痍（きず）を探（もと）む。即（すなは）ち百舌鳥（もず）、耳より出（い）でて飛び去りぬ。因（よ）りて耳の中を視るに、悉（ことごとく）に咋（く）ひ割（か）き剥（は）げり。故（かれ）、其の処（ところ）を号（なづ）けて、百舌鳥耳原（もずのみみはら）と曰（い）ふは、其れ是の縁（ことのもと）なり。
是歳（ことし）、吉備中国（きびのみちのなかのくに）の川嶋河（かはしまがは）の派（かはまた）に、大虬（みつち）有りて人を苦（くるし）びしむ。時に路人（みちゆくひと）、其の処に触れて行（ゆ）けば、必ず其の毒（あしきいき）を被（かうぶ）りて、多（さは）に死亡（し）ぬ。是（ここ）に、笠臣（かさのおみ）の祖（おや）県守（あがたもり）、爲人（ひととなり）勇捍（いさを）しくして強力（つよ）し。派淵（ふち）に臨（のぞ）みて、三（みつ）の全瓠（おふしひさこ）を以（も）て水（みづ）に投（なげい）れて曰はく、「汝（いまし）屢（しばしば）毒（あしきいき）を吐（は）きて、路人（みちゆくひと）を苦びしむ。余（われ）、汝虬（みつち）を殺さむ。汝、是（こ）の瓠（ひさこ）を沈（しづ）めば、余（われ）避（さ）らむ。沈むること能（あた）はずは、仍（すなは）ち汝（いまし）が身を斬（ころす）さむ」といふ。時に、水虬（みつち）、鹿（か）に化（な）りて、瓠を引き入る。瓠沈まず。即ち剣（つるぎ）を挙（あ）げて水に入りて虬を斬（き）る。更に虬の党類（ともがら）を求む。乃ち諸（もろもろ）の虬の族（やから）、淵の底の岫穴（かふや）に満（いは）めり。悉に斬る。河（かは）の水（みづ）血に変（かへ）りぬ。故、其（そ）の水（かは）を号けて、県守淵（あがたもりのふち）と曰ふ。此（こ）の時に当りて、妖気（わざはひ）稍（やうやく）に動きて、叛（そむ）く者一（ひとり）二（ふたり）、始めて起る。是（ここ）に、天皇（すめらみこと）、夙（つと）に興（お）き夜（おそ）く寐（い）ねまして、賦（みつき）を軽（かろ）くし斂（をさめもの）を薄（うす）くして、民萠（おほみたから）を寛（ゆるやか）にし、徳（いきほひ）を布（し）き恵（うつくしび）を施（ほどこ）して、困窮（くるしくたしなき）を振（すく）ふ。死を弔（とぶら）ひ疾（やむもの）を問ひて、孤孀（やもをやもめ）を養（やしな）ひたまふ。是を以て、政令（まつりごと）流行（しきなが）れて、天下（あめのした）大（おほ）きに平（たひらか）なり。二十余年（はたとせあまり）ありて事（こと）無（な）し。
石津原は和名抄の和泉国大島郡石津郷、石津太神社の由来は、「伊奘諾命、伊奘册命夫婦となり、蛭子命をお生みになられたが、命三才に成られても尚、立ち給ふこと能はざりしかば、天磐樟船に乗せて順風に放ち棄て給ひしに、船は波に従い飄々として海岸に漂着し命は其の携へ来りし五色の神石をここに置き給い、此の地を石津といい、其の船の着きし所を石津の磐山といふ。・・・蛭児命が舟で漂着した時凍死寸前だったので浜の漁師たちが百八のわら束を積み、火を付けて命の身体を暖めて助けた（延喜式神社の調査）」とされる。蛭子命は蛭兒（書紀巻1）のこと、天照大神、月読命の次、素戔嗚尊の兄にあたる命。社伝によれば、五代觀松彦香殖稻天皇（孝昭天皇）が創建されたとされるが、さやうな地に行幸され、陵地を定められたのは何故か？
石津といふのは石を運んでくる港の義、また、堺、和泉、岸和田地域で生産流通せしめられた須恵器の運び出しにも使われたと思はれる。この地は石津川、西除川に囲まれた湿地であり、陵を作ることは一種の港湾、治水工事であったかもしれない。死の20年前から陵墓を作るといふは、暴君のごときイメージにつながり仁徳とは合致すまい。しかし、蛭兒が流れ着いた浜であり、ただでは済まなかった。
二週間後に工事に始めると、野の中から鹿が飛び出し人夫に向かって来た。通例では、危ういところで鹿が倒れて人夫が難を逃れたのは、耳に入り込んだ百舌鳥がその中を食いちぎった、脳に損傷を与えたことによる、と釈される。三十三年の秋九月の条にあったごとく、百舌鳥野は鷹狩りを行った狩場であった。書紀においては鹿は山の神として現れる。地の神はこの工事を善しとしなかったのだらう。
仁徳天皇は大鷦鷯天皇（おほさざきのすめらみこと）、ミソサザイであり、百舌鳥がその危険を阻止した。あるひは、狩猟民には鹿の耳などを串刺しにして神に供へる俗があるとされ、諏訪大社では耳裂鹿生首や鹿の脳漿と肉を和えたもの（脳和）、生鹿、生ウサギの肉（神長官守矢史料館）などが供へられることから、犠牲として捧げられたとも考へられる。不遇であった蛭兒と共に八重事代主命、天穂日命を合祀する地であり、国神への配慮も求められたのであらうか。
瓠を沈めるといふモチーフは十一年冬十月条（書紀巻11）での茨田堤での衫子が持ち込んだ二個の匏の”うけひ”と同じ。真の力がないと水中に引き込むことはできないと考へられた。大蛇が鹿となって引き入れやうとしたが三個の全瓠は沈まなかった。笠臣の祖、県守に真の力があった。「吉備を前中後に三分割するのは、天武朝以降のこと、川嶋河は、備中国浅口郡（岡山県倉敷市玉島：地図）の高梁川か、派は川の股、分岐しているところ、”みつち”は水の霊、水の精霊、大蛇あるいは竜」、と注される。しかし、玉島は古代においては吉備の穴海の地（岡山の地盤）であり、海の中であり、高梁川と小田川が合流し（倉敷市酒津：地図）分かれて穴海に流れ込んでいたと思はれる。
書紀においては、誉田天皇（応神天皇）が二十二年の秋九月に葉田の葦守宮で、「川嶋県を分ちて、長子稻速別に封さす。是、下道臣の始祖なり。次に上道県を以て、中子仲彦に封さす。是、上道臣、香屋臣の始祖なり。次に三野県を以て、弟彦に封さす。是、三野臣の始祖なり。復、波区芸県を以て、御友別が弟鴨別に封さす。是笠臣の祖なり。即ち苑県を以て、兄浦凝別に封さす。是、苑臣の始祖なり。即ち織部を以て、兄媛に賜ふ」としている。葉田は簸娜（はだ）と云ひ、京都の嵐山の「大堰川」、「大きな堰（せき）」を築いたのが秦氏であるごとく、高梁川をせき止める湛井堰を築いたのもこの地の秦氏とみられている（書紀巻10）。鴨別が治めた波区芸県は未詳、笠岡市あたりではないかとされるが、県守がここまで出掛けてきて退治したことになる。この時代は、川嶋河を渡るか、穴海に出て船で行くか、いづれにせよこの”みつち”に対応せざるを得なかった。高梁川は暴れ川であり、大蛇のごとく蛇行する流れを茨田堤と同じく、堤をつくって制御しやうとする試みであったと考へられやう。
岫は、説文に、「山に穴あるなり」とあり、和名抄では「久岐（くき）：洩れたるところ」とされる。”かふや”は”ゆきかふいやと：行き交う岩屋戸”と注され、県守淵は酒津あるいは井尻野あたりとされるやうだが、山沿いの淵で、淵底に山側から地下水が湧くやうな洞のある所となる。
治水工事に動員されるといふことが常態化し、それが陵墓のやうなものの建設となれば、民の不満が高まったものと考へられる。後に仁徳天皇とされる大鷦鷯天皇の取った行動は、淮南子、脩務訓、「湯夙興夜寐，以致聰明，輕賦薄斂，以寬民氓，布德施惠，以振困窮，吊死問疾，以養孤孀。百姓親附，政令流行，乃整兵鳴條，困夏南巣，譙以其過，放之暦山」より引用された。湯は夏の王、桀（けつ）の家臣であり、伊尹を用ゐることを薦めたが、桀は諌める臣を殺し、湯を囚へ殺そうとしたが、衆望が湯に集まり釈放せざるを得なくなる。伊尹も湯の下に還り相として、桀を討ち、南巣に放ち、諸侯は湯を王とし、殷を建国する。しかし、臣下として主君を討ったことに悩むところがあった。七年後に起こった大干ばつはその報ひと思はれ、太史の占いに、人を生贄として祈るやうにでた。湯は、斉戒（さいかい）して爪を剪（き）り髪を断ち、素車白馬にて、身に白茆（はくぼう）を嬰（まと）ひて、身（みずから）を以て犠牲と為し、桑林の野に祷（いの）った。政の節あらざるか、民の職を失へるか、宮室の崇きか、女謁（じょえつ）の盛んなるか、苞苴（ほうしょ）の行はるるか、讒夫（ざんぷ）の昌（さかん）なるか、と（政治が無節操となり、民が職を失ひ、宮殿が崇（たかい：豪華）となり、女が政治に口を出し、賂が行われ、人を讒訴するやうなことになっているとすれば）、我が責められるべきであると伺ひをたてると、大いに雨ふること方数千里であった、といふ故事である。民萠の萠は氓の仮借、氓は亡民のこと。民を萠黎ともいふが、戦乱で土地を追われた農民とならうか、彼らを寛大に扱った。孤は子を失った老人、孀は夫に死なれた婦人。働き手を失った人々を養ふこと。これによって天下が大きに治まり、二十年余り石津での工事もはかどった。
八十七年春正月戊子朔癸卯 天皇崩
冬十月癸未朔己丑 葬（はぶる）于百舌鳥野陵
八十七の年春正月（むつき）の戊子（つちのえね）の朔（ついたち）癸卯（みづのとのうのひ）（AD399.01.16）に、天皇崩（かむあが）りましぬ。
冬十月（かむなづき）の癸未（みづのとのひつじ）の朔己丑（つちのとのうしのひ）（AD399.10.07）に、百舌鳥野陵（もずののみさざき）に葬りまつる。
誉田天皇（応神天皇）の二年の春三月の庚戌の朔壬子（AD271.03.03）に、「仲姫を立てて皇后とす。后、荒田皇女、大鷦鷯天皇、根鳥皇子を生れませり（書紀巻10）」とあり、大鷦鷯尊はそれ以降の生まれとすべきであるが、十三年の春三月（AD282.03）に、髪長媛を譲ってもらっており、そのことからすれば、それ以前の生まれとならう。古事記は、仁徳天皇を83歳とするが、書紀では127歳を越へていることになる。「堺の百舌鳥古墳群では、乳の岡古墳に次いで百舌鳥陵山古墳（履中陵）が築造されます。この古墳は、墳丘の長さが360メートルもあり、日本で3番目の規模を誇っています。百舌鳥陵山古墳の出現は、百舌鳥野の地に大王墳の進出を鮮やかに印象づけます。
百舌鳥陵山古墳の完成と前後して古市古墳群では、未曾有の大事業誉田御廟山古墳（応神陵）の築造が開始されます。この時期の百舌鳥古墳群では、イタスケ古墳（墳丘長146メートル）の築造が確認されますが、巨大な前方後円墳の築造は、一旦ペースダウンしたやうな印象があります。
ところが、誉田御廟山古墳が完成したころ、百舌鳥にこれをしのぐ巨大古墳の築造計画が実施に移されやうとしていました。大仙古墳（仁徳陵）の築造です。大仙古墳は墳丘の長さが486メートルもあり、ずんぐりした誉田御廟山古墳に対して、前方部を引き伸ばして、墳丘の長さをより強調したプロポーションとなっています。
大仙古墳を大阪湾から見ると、その巨大な側面が目に飛び込んだはずです。古墳の築造者が、古墳の見せ方に、いかに大きな力点をおいていたかを考える素材だと思います。
さて、百舌鳥古墳群では、大仙古墳と前後して、土師ニサンザイ古墳（墳丘長290メートル）、百舌鳥御廟山古墳（墳丘長186メートル）、田出井山古墳（反正陵 墳丘長150メートル）といった巨大古墳が造られます。さらに、これらの巨大古墳の周辺にも、数多くの中小の古墳が造られ、百舌鳥古墳群の最盛期の様相を呈します。
ところが、百舌鳥古墳群では、これらが集中して築造された後、ぱったりと古墳の築造が途絶えます。百舌鳥古墳群と古市古墳群は、同じく5世紀を中心に形成された大型古墳群ですが、比較的安定して古墳を造り続けた古市古墳群に対し、短期間に集中して古墳が造られた、百舌鳥古墳群といふ異なる個性をみることができるのです。
百舌鳥と古市に展開された巨大古墳造りの競争は、何を意味するのでしょうか。大和政権を掌握した最高首長は、前代を上回る古墳を築くことを至上課題としていたやうに見受けられます。大仙古墳は、前方部を引き伸ばすことで、誉田御廟山古墳を上回る規模の古墳を実現しています。しかし、その形は伝統的な前方後円墳の基本形を逸脱しており、墳丘の体積は、逆に誉田御廟山古墳を下回るといふデータがあります。巨大古墳造りといふ政治政策の限界を、無理やり前方部を延伸させた大仙古墳にみることができるのです（百舌鳥古墳群の形成（№42）：藤井寺市）」とあり、大仙古墳（大阪府堺市大仙町：地図）は歴史的には大鷦鷯（仁徳）天皇の在位から築造されたとはならないやうである。379年、石津といふ港からすれば、乳岡（ちのおか）古墳が伝承としてモデルとなったものと思はれる。誉田天皇（応神天皇）陵の築造と同じく、死後に築造されたと見るほうが、仁徳とされた経緯とも合致しやう。
日本書紀 卷第十一 了
2009.05.31 更新 2022.11.10
（追記）
六十七の年冬十月（AD379.10.）から八十七の年春正月（AD399.01）まで記述は空白である。371年百済においては、近肖古王が高句麗を攻め、これを破り、翌年（372年）には、東晋に使を遣し朝貢し、「鎮東将軍領楽浪太守」に叙せられている。遼西から馬韓に至る地域を支配したことを東晋が認めて叙任したものである。この百済の急激な軍事的膨張は長く維持することが出来ず、広開土王碑によれば、「倭は辛卯年（391年）に百済と新羅を破り臣民としていた」とあるごとく、援助を仰いでいた倭の軍門に下っていた。396年、広開土王自ら水軍を率ゐて百済を攻め、「五十八城、村七百、残王弟並びに大臣十人を将いて、師を旋し都に還す」とあり、朝鮮半島においては、激動の時期を迎えていた。書紀においては、ここを空白にし、神功皇后、応神天皇の時代の出来事として、干支二運（60年ｘ2回=120年）前の出来事として、記述する手法をとらざるを得ない事情があった。それだけに、ここの沈黙は重苦しいわだかまりがある。もう少し先で、また、みてみたい。
岩倉紙芝居館 古典館 日本書紀 11-2 上田 啓之
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